わたしの服は乾燥にかけておいてくれたみたいで、七時に洗濯が終わってようやく手元に戻ってきた。 また廊下に出て着替えようとしたのだけど、わたしより先に侑が廊下に出て行く。 ドアの向こうから「三十秒で開ける」と言ってから「いーち、にーい」と数え始めた。 大急ぎで着替えて、二十九秒のところで靴下を履き終わった。 ほっとしていると侑はドアを開けて「なんやねん、ちゃんと着とるやんけ」と言いつつパーカーを拾い上げる。 それをそのまま畳んでタンスに入れるものだから「洗わんの?」と声を掛けたら「別にええやろこんくらい」と言ってタンスを閉じた。

「……一応聞くけど」
「なに?」
「俺と付き合うてって言うても、どうせ断るやろ」

 拗ねた顔をしている。 まさか一回やっちゃったくらいで「付き合おうよ」とは言えない。 そもそも侑のことをそういう目で見たことがないし、なんなら治のほうが話しやすいし。 小さい声で「まあ、付き合うのは、ちょっと」と返してみる。 すると侑は「付き合うてくれへんのかい!」と項垂れた。

「わたし、侑でもええよ……みたいな流れにならへんのかい! よう分からへんわ恋愛!」
「いや、侑でもええ、やったら誰かの代わりになっとるやん……」
「もうそれでもええよ。 が彼女になってくれるんやったら」
「いや、そんな……」
「北さんの代わりでもええよ」

 寂しそうな顔だ。 捨てられた子犬みたいな。
 侑は起き上がると両手で頬杖をつく。 そうしてじいっとわたしの瞳を覗き込むようにして「なあ、俺な」と柔らかい声で言った。

「そんなんでもええよ、嘘でもええよ。 なんでもええから俺のこと好きって言えや」

 今日は雨の予報だった。 それなのに外はきれいに晴れている。 冷え込むなんて言っていたのに暖かいし、洗濯は干さないほうがいいと言っていたのに洗濯日和。 天気予報なんてあてにならない。 ぼんやり頭の中でそう思った。
 高校二年になったばかりのときを思い出した。 体育館のドア近くで、蜘蛛の巣に絡まった蜉蝣がいた。 じたばたともがく姿をなぜだか今でも覚えている。 どうせ短い命なのに生きようとしていた。 逃げられたって短い命。 どうせ続かない命。 それなのに、もがかずにはいられない。 そんな感じだった。 自由を求めて、自分に絡みつく糸を振り切りたくて。 諦めが悪い。 まるで、わたしと侑みたいだ。 北さんは振り向いてくれない。 それなのにわたしは北さんばかり見ている。 そう分かっていても、想うことをやめられなかった。 それを、醜いと、汚いと思わなかった。 だからわたしは、蜘蛛の巣を片付けることが、できなかった。 あの蜉蝣が飛び立てたのか蜘蛛に食べられたのか。 実ったのか実らなかったのか。 どちらにせよ、わたしにとって醜いものではなかった。
 諦めが悪いという言葉を当てはめるまでたどり着いたのに、それでも思うのだ。 醜くなんかない。 汚くなんかない。 わたしも、侑も。 ただ、恋をしていただけなんだ。 侑の表情を見てはじめてそう思えた。 自分が北さんに恋した日々は、なんだかどんよりと暗くて、重くて。 でも醜くも汚くもない、なんとも中途半端なものだった。 けれどきれいでもなくて。 なんだか後ろめたいような隠さなきゃいけないような、そういうものだと思っていた。

「侑」
「なんやねん」
「……来週の土曜日は、練習なん?」
「……日曜日はオフや」
「その日、わたしに時間くれる?」
「あげへん言う思うんかアホ、分かり切ったこと聞くなや、腹立つ」
「ごめん」

 その日までに、考える。 そうぼそぼそと答えたら、侑はぎりっとわたしを睨み付けた。 そうして「一週間寝ずに考えろ。 悩んで苦しんで目の下に隈作れや」と言って頭を抱えた。 その姿がちょっとだけ面白くて笑ってしまう。 侑はばっと顔をあげて「な〜〜に笑とんねん!」とわたしの髪を両手でぐしゃぐしゃにする。 それをやめさせようと侑の手をつかんだら、ぴたっと手が止まった。 視線を侑に向けた瞬間に触れるだけのキスをされた。

「好きや」
「…………なんでキスしたん」
「片思い超過料やと思って見逃しとけや」

 ぱっと手を離される。 時計の針は八時を指している。 侑が「あと一時間で治、帰ってきてまうわ」と言いつつ立ち上がる。 家はどこなのか聞かれたので二駅先だと答える。 すると侑はスウェットを脱ぎつつ服を出して、「駅まで送る」と言った。
 高校三年生のときに、家の近くまで侑が送ってくれたことがあった。 練習が長引いて、真っ暗になってしまったから気を遣ってくれたのだ。 でもそのとき侑は一言も「送る」なんて言わなくて。 家の方向が違うから送ってくれるなんて気が付かなくて、侑に察しが悪いと言われたっけ。 懐かしいそんなことを思い出して、なぜだか心臓がきゅっと痛んだ気がした。




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「おかえり〜」
「……めっちゃ、なんか嫌なんやけど」
「なんでやねん!」
「シーツぐしゃぐしゃやしごみ箱の中見たないし、洗面所に俺のパーカーあったんやけどあれ何?」
が俺のと間違えて着ただけやわ」
「……付き合えた?」
「保留にされたわ。 クソ腹立つわ」
「せやけど機嫌ええやん」
「…………まあ、そらそうやろ」
「聞きたないし言いたないけど無理やりはほんまにあかんで……」
「無理やりっ……ちゃう、わ…………たぶん……」
「ちょおほんまに近寄らんといて。 犯罪者はちょっときついわ」
「犯罪者ちゃうわ!」

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