さん、連絡先教えてよ〜」

 酔っぱらった男を苦笑いでかわしつつ、無理やりここに連れてきた友達を睨み付ける。 友達はお目当ての男がいるようで、まったくこちらを見ることはなかった。
 高校を卒業して東京の大学へ進学した。 そして二度目の冬。 二十歳になりアルコールが解禁。 それほど強くもないのであまり飲んでいなかったのだけど、こういう場では飲まないとノリが悪いとか言われるから仕方なくちょっとずつは飲んでいる。 だからこういう場にあまり来たくなかったのに。 友達がどうしても飲み会の頭数が足りないから、と頼み込まれて渋々来た飲み会は、所謂合コンというやつだった。 さっきから左隣に座っている見知らぬ男に絡まれてうんざりしてきたところだ。
 ちょうど真後ろに出入り口があるので逃げるのは簡単なのだけど、この場の空気を壊すのも嫌だし追いかけてこられても困る。 どうしたものか。 そう思わずため息をついたとき、背後の引き戸がガラガラと静かに開いた。

「ご注文どう……ぞ」

 なんの間? 不思議に思いつつ誰かが呼んだらしい店員さんが困っているので「誰がボタン押したの? 何頼むの?」と声をかける。 呼んだらしい人たちはもうべろべろに酔っているので聞いちゃくれない。 それに苦笑いをこぼしつつ勝手に注文することにした。 「すみません」と振り返ると、そこには、見知った顔。

「……」
「……どっちでしょう」
「いや、治やろ……」
「正解」

 とりあえず注文を入れる。 ここにいる人たちには関西から出てきたことを言っていない。 案の定わたしの左隣で鬱陶しかった男が「え! さん関西弁かわいい〜!」とうざ絡みしてくる。 一応標準語っぽく話すようにしていたのに、突然現れた高校の同級生を前にしたらぽろっと出てしまった。 この場で治に話しかけるのは無理そうだし、注文だけ伝えてからそのまま行ってもらった。
 それにしても驚いた。 治も、というか宮兄弟は二人とも東京の大学に進学したとは聞いたし、どの大学かも知っている。 会おうと思えば会える距離だった。 それでも連絡を取ることはなく、二年間一切メールも電話もしていないままだ。 今までばったり会うこともなかったのに、こんな偶然が突然あるとは。

「ねーねー、さっきの店員、知り合い? もしかして彼氏?」
「いや、違います」
「えー、でもなんか親し気だったじゃん。 ていうか関西弁でしゃべってよ〜」

 うざい。 その一言に尽きる。 誰が親しくもない酔っぱらった男と素で喋るか。 悪態をつきつつ苦笑いでまた流す。 それを見ていたべろべろの友達が「えーもういい感じじゃん、いいなあ!」と大声でこちらを指さす。 おい、ふざけんなよ。 内心そう思ったけど口には出せない。 「いや、そんなんじゃないよ」と苦笑いしつつ手を振る。 けれど、友達の一言で男は調子に乗ったらしい。 わたしの腰に腕を回すと「このあとホテル行きま〜す!」と大声で言った。
 本当に最悪。 素で言えばほんま無理、なんやこの空間、アホかっちゅうねん、って感じ。 頼み込まれたとはいえついてきたわたしが馬鹿だった。 大きなため息。 腰に回された腕を振り払おうとするけれど、男は「え〜照れないでよ〜」と力を緩めない。 殴っていいのだろうか。 またため息。
 男はわたしの腰に腕を回したままご機嫌に飲み続け、途中で何度もキスしようとしてきたり胸を触ろうとして来たりとやりたい放題だった。 全部高校時代のマネージャー業で培ったちょっとの腕力ですべて何とか阻止したけど。 そろそろわたしも酔いが回って来たし、だいぶ疲れてきたし、限界が近い。 帰りたい。 誰か早く解散って言ってくれないかな。 わたしだけ帰るって宣言する勇気がない。 なんて情けないのだろうか。 はあ、とため息をついてしまう。
 男の手が腰でもぞもぞと動く。 そうしてスカートの中に入れていたわたしの服をたぐり上げると、「隙ありっ」と気持ち悪い声で言う。 服の中に手を入れられた。 気持ち悪さと驚きから勢いよく男の顔を平手打ちしてしまった。 「ふざけんなやクソが!」の暴言付きで。 一瞬でその場が凍る。 あ、と思った。 普段、大学でわたしは大人しくて口数が少ない、ような人になる努力をしている。 汚い言葉遣いもしていないし、暴言なんか吐いたことがない。 友達も驚いた顔でこちらを見ているのがよく分かる。 わたしに平手打ちされた男は呆然としていたけれど、すぐに「え、なになに〜?!」と馬鹿みたいな声をあげる。

「ちょっと触っただけじゃん! ノリ悪っ!」
「びっくりした、って大きい声出せるんだね〜?! でもノリちがくない?」

 けらけらと笑われる。 他の男どもも「ちょっと触ったくらいでキレるとか」と笑う。 女の子たちも「だね〜」と男どもに媚を売っている。 わたしの隣にいる男はまたへらへら笑って「ノリ悪いよ〜? これくらいで怒ってちゃさあ」とまた腰に腕を回す。 なんだこの空間。 気持ち悪いしげんなりしてきた。 頭がくらくらしてきた。 はあ。 ため息がまたこぼれる。

「おい」

 背中が少しひんやりする。 腰に回っていた男の腕がない。 代わりに誰かが背後からわたしを隠すように抱きしめていた。

「誰や、こないアホみたいな乱交にこいつ呼んだん」
「え、誰……てか乱交……?」
「誰やって聞いとんねん」
「あ、あたし、だけど……」
「もう二度とこいつ誘うなや、クソ女が」

 ばさっと頭からコートらしき服が被せられる。 前がよく見えない。 そのままぐいっと腕を引っ張られたのでよろよろと立ち上がる。 コートの隙間をなんとか見つけて、覗いた先には、治じゃなくて侑がいた。 侑はわたしのコートを引っ掴みつつ「クソが」と吐き捨てる。 打って変わってふつうの声で「靴どれやねん」と言いつつ隅に置かれていたスニーカーを指さし「あれやろ、どうせ」と言う。 間違ってない。 小さく頷くと「めんどいやつやわ、ほんまに」と呟きつつ靴を近くに寄せてくれた。 それから振り返ると「釣りはいらん」となんとも怖い声で言ってばさっと何かを投げた。 たぶんお札だったと思う。 でも、声が出せなくて黙ったままでいてしまった。
 レジの横を通り過ぎるときに侑が治の名前を叫んだ。 別の店員さんが「すぐ呼ぶなー」と明るい声で言ってからものの数秒で治がやって来た。 そうして「うわ、マジで来よった」と引き気味の声で言う。 その口ぶりからどうやら治が侑を呼んだことが察せた。

「治今日何時上がりなん」
「十時やけど後輩んち泊まるわ」

 「ほな、気張りや」と言い残して治は戻っていった。 そうしてようやくわたしを振り返ると、「アホか、はよ着ろ」と侑のものらしいコートを指さした。 いや、自分のコート、着たいんだけど。 侑が持ったままのコートを返してほしいのになぜだか声に出ない。 おろおろしたまま大人しく侑のコートを着ている自分がいた。 わたしが侑のコートを着ているので侑は長袖のパーカーしか着ていない。 寒くないのかな。 そう思いつつも言葉が出せない。

「アホか、嫌やったら嫌やって言えや。 なに黙ってイイコチャンしとんねん」

 乱暴にぐしゃぐしゃと頭を撫でられた。 その手は乱暴なんだけどなぜだか優しくて、なぜだかぼろぼろと涙がこぼれた。

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