一週間、あまりよく眠れなかった。ぼうっとした頭のまま大学へ行って、ぼうっとしたまま講義を聞いて、ぼうっとしたままご飯を食べて、ぼうっとしたまま帰宅して。そんな日々だった。友達は「腑抜け面してる〜」と笑いつつも心配してくれる子ばかりで。でも、話せなかった。
 佐久早くんはどうしてあんなことを言ったのだろう。どうして、わたしが佐久早くんのことを好きじゃないなんて、思ったのだろう。デートの誘いを断ったことはないし、佐久早くんの嫌がるようなことはしていないと思うし、佐久早くんの邪魔になるようなこともしていない、はず、なのに。気を付けてきたはずだったのに、何がいけなかったのだろう。何が佐久早くんに不快感を与えてしまったのだろう。分からない。おこがましいけれど、思い当たる節がなかった。
 何度も電話かメールをしようとした。でも、どうしても勇気が出なかった。答えが出ていない曖昧な状態で連絡を取っても佐久早くんに嫌がられてしまうかもしれない。そう思うと、佐久早くんの連絡先をタップすることができなくて。
 友達に相談できないならネットに頼るしかない。いろいろなワードで検索をかけてみた。どうにかこうにかヒットした質問ページ。「彼氏に突然別れを告げられました。何もしてないと思うのですがなぜでしょうか?」というタイトル。わたしは、別れを告げられてはいない、けど。そう思いつつ読み進めていく。たくさんの回答がついていた。その中で「彼氏とはスキンシップを取っていましたか?」という質問がされているものを見つける。スキンシップ。その質問に対して投稿者が「正直あまりしていません。恥ずかしくて」と回答をしている。わたしと、似ているかも。それに対する回答を恐る恐るタップして開く。そこには「男は好きな子には触りたいものです。拒否された、嫌われたと思ったのではないでしょうか」とあった。
 思い当たる節がたくさんあった。佐久早くんと二年もろくに手も繋がずにいた。最近になって突然手を繋ぎたいと言われたから繋いだ、けど。手汗が嫌なんじゃないかとか汚いと思っているんじゃないかとか、いろんなことが気になって躊躇うことが多かった。佐久早くんに見つめられるのも恥ずかしくて、目を逸らしてしまう。もしかして、それが、良くなかったのかな。
 でも、この投稿者の人の彼氏と違って、わたしが悩んでいる相手は佐久早くんだ。彼女だからって触りたい、なんて思うかな。大してかわいいわけでも、スタイルがいいわけでもないわたし相手に。そもそもそういうことに興味があるように見えない。手を繋ぎたいと言ってくれたのも、わたしが繋ぎたいと思っているかもしれないと気を遣ってくれたんじゃないかと思っている。だって、あの佐久早くんだ。人と手を繋ぎたいなんて、思うかな。
 質問ページを閉じて、スマホを机の上に置く。分からない。何がいけなかったんだろう。わたしは佐久早くんのことを何も分かっていないんだな。そうため息をこぼしてしまった。



▽ ▲ ▽ ▲ ▽




 よく眠れないまま、約束している日曜日になってしまった。事前にちゃんと見るものはチェックしてきたし、大体の目星もつけてきた。大丈夫。絶対に嫌な思いはさせない、はず。不安を抱えたまま待ち合わせ場所についた。
 佐久早くんはいつも通り約束の時間より少し早めに来てくれた。なんて声をかければいいのか。そう思いつつ「おはよう」とぎこちなく声をかける。佐久早くんはいつも通り「おはよう」と普通に返してくれた。でも、なんとなく、何かを感じる。思わず視線が俯く。佐久早くんは何でもないように歩き始める。今日は、手を、繋がないんだ。そう残念に思う自分と、嫌がられるかもしれない不安がなくなって安心する自分がいた。
 駅から直結しているショッピングセンターに入ると、賑やかな声で溢れている。休日だから人が多い。こっそり佐久早くんの横顔を見てしまった。人混み、大嫌いだよね、佐久早くん。嫌がってるんじゃないかな。そんなふうに不安に思ってしまう。早く帰りたいって思っているんだろう。見るものだけ見て早く退散したほうがいいだろう。
 佐久早くんがわたしを見た。「どこから見る?」と聞かれたから慌てて「一階の端にあるお店に行ってもいい?」と言う。佐久早くんが「どこ?」と言いつつ歩いて行く。その隣を歩きつつお店の名前を告げる。女の子向けのお店だから佐久早くんが知っているわけがない。分からないながらも「ふうん」とだけ返してくれた。
 わたしが見たいお店を見た後は佐久早くんが見たいところに、と歩きながら言った。それを聞いた佐久早くんは「いや、俺は別に行きたいところないけど」と言うものだから、余計に慌ててしまう。完全にわたしに付き合わすだけになってしまう。早く決めて早く帰らないと。でも、買い物に行こうと提案してくれたのは佐久早くんだったはずだ。何か見たいものがあったんじゃ、ないのかな。何となく突っ込みづらくて「そっか」とだけ返してしまう。
 目的のお店に到着すると、ネットで調べておいた新作アイテムのコーナーにすぐに近寄る。かわいいトップスがあったからそれだけ見ようと決めていた。色も実際に見て確認するだけで目星を付けている。すぐに商品を手に取って、サイズ感と色味を確認。思った通りだ。合わせるスカートもある。決まり。そんなふうにレジへ行こうとすると佐久早くんが「え」と声を上げた。

「どうしたの?」
「いや……決めるの早いな?」
「あ、えっと、これ、前からほしいなって思ってたから」
「……ふーん」

 ちょっと不満げに見えた、気がする。早く決めたのに何がいけなかったのだろうか。慌てて会計を済ませて佐久早くんの元に戻るけど、やっぱり不満げな顔をしていた。失敗した、かな? そんなふうに不安になっていると、佐久早くんが「次は」と聞いてきた。慌てて次のお店の名前を告げて、二人でお店を出た。
 ルートもちゃんと確認してある。この端っこのお店からエスカレーターに向かうまでの導線に次のお店があるし、その次も同じ。エスカレーターで上に上がってから同じように導線に行きたいお店があるようにルートを組んでいる。最終的に今日入ってきた入り口の近くにあるお店に行って帰宅。無駄のない完璧なルートだ。佐久早くんが行きたいお店があれば少し変わるかと思っていたのだけど、ないと言われてしまったからわたしが組んだルートそのままで行くことにする。
 どのお店に入っても、佐久早くんは同じ反応しかしなかった。もっと早くないとだめなのだろうか。そう思って急いで店内を見たり、見ようと思っていたお店をいくつかやめたりしたけど、なかなか表情が変わらない。もしかしてお腹が空いたのかな。ショッピングセンターに入って一時間ほどが経過している。午前十一時。お腹が空いても不思議じゃない時間だ。恐る恐る「お昼食べる?」と聞いてみると、佐久早くんは「いいよ」としか言わなかった。
 フードコート、は嫌いだろうからレストラン街でお店に入ることにした。何がいいか聞いても佐久早くんの反応が薄かったから困ったけど、お店が清潔そうで明るいところを選んで「ここでいい?」と聞いたら「いいよ」と返事があった。お店に入ってからも佐久早くんは何となく口数が少なくて、どうしようと不安になってしまう。
 もしかしてもう帰りたいのかな。当たり前だ。女物の服ばかり見ても面白くないだろうし、雑貨もそんなに興味がなさそうだし、本屋さんでも何も見ていなかった。帰りたい、と、思っているのなら帰るのが一番いい。

「あの、佐久早くん」
「うん?」
「もう結構見たし、帰ろうか? 昨日も練習だったから疲れてるだろうし……」
「疲れてないから気にしなくていい」
「……で、でも」
「まだ二階見てないだろ。が帰りたいならそれでいいけど」

 そう言われると、「そんなことないよ」という返答になる。佐久早くんはちらりとわたしを見てから、お水が入ったグラスを手に取る。「じゃあ、次どこ行くか考えといて」とだけ言うと、お水を一口飲んだ。
 二人でご飯を食べて、お店を出た後も同じような感じだった。わたしが行きたいお店に行って、事前に見ようと思っていたものを急いで見て、買うものは急いで買う。それなのに、佐久早くんはなんだか不満げで。どうしたらいいか分からなくてずっと心臓がうるさい。
 二階にある行きたい最後のお店に入る。ここを出たら一階に戻って後は駅のほうへ行くだけ。そんなふうにルートを思い出す。ここで見たいのは新作のワンピースだけ。新作が置いてあるコーナーに行こうとしたら「」と佐久早くんに呼び止められた。

「あ、うん?」
「これ」
「え? あ、スカート?」
「花のやつ。なんで見ないの」

 びっくりした。佐久早くんが小花がたくさん描かれたスカートを指差して、ちょっと拗ねたような顔をしていたから。花のやつ。なんで見ないの。そう言われて、あ、と思った。
 捨ててしまった花柄のスカート。シンプルな洋服を着ていることが多い佐久早くんの隣にいるとうるさく思えて、恥ずかしくて捨ててしまったものだ。それを、佐久早くんは、かわいいと言ってくれた。なんで着ないの、と言って。もしかして今日、それを見るつもりだった、のかな。そう考えてみると佐久早くんが買い物に行こうと提案してくれたのはその話が出たときだ。

「……そ、そういうの、着てても、変じゃないかな?」
「は? 俺かわいいって言っただろ」
「う、うん……」

 怒られてしまった。照れながら慌てて佐久早くんの元に戻る。佐久早くんが指差したスカート。花柄だけどちょっとタイトなシルエットのものだ。体型にあまり自信がないから似合わない気がするけどなあ。そう悩んでいると佐久早くんが「いや、別にそれがいいって言ってるわけじゃない」と言った。でも、今日見るものの中に花柄のスカートはない。お店をチェックしてもいないし、今から探すとなると時間がかかってしまう。そんなふうに思っていると佐久早くんが「さっき行ったとこにもあったけど」と鞄を肩にかけ直しながら呟く。

「……わたし、優柔不断だから、時間かかっちゃうかもしれないんだけど……」
「別にいい。とりあえずここで見たいもの見てくれば?」
「あ、うん!」

 慌ててチェックしてあったものを見に行こうとすると、佐久早くんが「ゆっくりでいい」と言ってわたしの腕を掴んだ。「焦りすぎ。今日ずっと」と言われて、ようやく佐久早くんが不満げだった理由を察した。

「ご、ごめん。佐久早くん、人混みが嫌いだから嫌なんじゃないかなって、不安で」
「嫌だったら買い物行こうって言わねえよ」
「そうだよね、ごめんなさい……」

 ぱっと腕を離してくれた。佐久早くんが「どれ見るの」と言って店内を見渡す。新作のワンピースを、と言えば「どれ?」と聞いてくれた。見つけたワンピースを手に取って「これです」と見せると、佐久早くんはじっと目を細めてそれを見つめた。

「……肩が出てる」
「あ、うん。それだけちょっとどうかなって悩んでて」
「肌が出てないほうがいい」
「やっぱりそうだよね」
「かわいいけど」

 ちょっと固まる。慌てて「かわいいよね、このワンピース」と返しておく。びっくりした。佐久早くん、最近なんだか様子が変わった気がする。かわいい、とか、こんなに頻繁に、言う人だったっけ。ワンピースを戻しながら小さく深呼吸。どきどきしてしまうから、やめてほしい。そんなふうに困ってしまう。

「何着てもかわいいけど、他のやつに見られるのが嫌だから肌は出てないほうがいい」
「……そ、そっ、か」

 たぶん顔が赤いと思う。思わず俯いてしまうと、佐久早くんが「で、次は」と言った。ちょっと早口。こっそり佐久早くんの顔を見ると、ほんの少しだけ耳が赤くなっている。照れている。そういうの、やっぱり普段は言わない人、だろうに。どうして言ってくれたんだろう。ちょっと不思議に思ってしまった。


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