さん、機嫌直してくださいよ」

 ベッドの上で三角座りをしてひたすら夜景を見つめていると、同じバスローブを着た角名がつんつん肩をつついてくる。顔は見てやらない。角名なんかもう知らない。そう呟いたわたしに角名がくすりと笑いをこぼしてから、わたしの足下にごろんと寝転び、顔を覗き込んできた。それから「さんってば」とじゃれつくみたいに言った。猫みたい。知らない間に視線を向けてしまっている。また負けた。

「めっちゃはずいこと聞いてもええ?」
「どうぞ」
「角名って、わたしのためやったらどこまでできるん?」
「別れるのとさんを殺す以外ならできますかね」
「発言がちょいちょい怖いねん」

 角名が体を起こす。わたしと同じように三角座りをして「なんで急にそんなこと聞いたんですか」と微笑んだ。特に理由はない。なんとなく。そのまま言えば角名は小さく笑うだけでしつこくは聞いてこなかった。
 ひたすら見られていると、困ってしまう。そんなにしげしげと見るようなものじゃないんですけど。目を逸らしたらまた負けてしまうから耐えているけど、そろそろ限界が近い。

さんは俺にどこまでなら許してくれます?」
「生命活動に必要なことなら」
「じゃあ抱きしめていいってことですね」
「……必要なら」

 角名がちょっとだけ驚いているのが分かる。きっとわたしが拒否すると思っていたのだろう。いつもの流れならツッコミを入れて拒否していたかもしれない。
 三角座りしていた足を崩して角名が、優しい眼差しでわたしを見る。わたしの額を指先でつついて「それじゃあ抱きしめられないんですけど」と言う。

「今は三角座りが落ち着くんやけど」
「まあまあ、そう言わずに」

 ね、と言葉が通じない子猫に言い聞かすような声色。耳元がくすぐられたようなそれに、しぶしぶ足を崩す。横座りのように足を倒した瞬間、角名が腕を伸ばしてきた。わたしの肩を捕まえると、優しく抱き寄せる。何の躊躇いもなく背中に回された腕に力が入ったのが分かる。両腕で閉じ込められるように抱きしめられた。ぎゅっと世界を支配するように、それでいてとても愛おしそうに。
 角名の体温が好きだ、と、思う。落ち着くし、どきどきもする。心地良い鼓動を感じる。好きな人に抱きしめられるというのはこういうことだった。そう、教えてくれる。

さん」
「……うん」
「三角座り、俺の地元では体育座りって言ってました」
「なんやねん急に。どうでもええわ」

 角名の肩に顔を埋めて、くつくつ笑ってしまう。大真面目に人を抱きしめておいてなんだその話題は。人が自分の感情を真剣にまとめていたのに。おかしい。
 角名の鼻先が耳に当たったのが分かった。そのあとすぐに頬に唇が当たる。角名がわたしを軽く抱き上げると、自分の足を伸ばして座り直した。膝の上にわたしを下ろしてから、少し腕の力を緩める。見つめてくる角名の呼吸音だけが静かに聞こえている。
 どき、と心臓が跳ねた。あ、そうか、クリスマスの夜、ですよね。わたしは今ホテルにいて、ダメ押しで下着を贈られている、角名の彼女なわけなので。つまりは、そういう。ほんの少し体に力が入ったのが自分で分かる。いや、まあ、わたしも角名も大人なんだし、そうですよね。そうなるよね。
 角名が小さく笑った。ぎゅっとわたしを抱きしめると、小さな声で「何もしません」と囁いた。

「えっ?」
「約束します。何もしないので、そんなに怖がらないでください」
「こ、怖がってへんし……」
「元々今日はそのつもりじゃないです」
「……そうなん?」
さんがいいなら押し倒しますけど」
「う、あー、うん、ご、ごめん……」
「なんで謝るんですか。さすがにそんなに手が早い男じゃないですよ」

 びっくりした。シチュエーションとしては確定演出と言っても遜色ないものだったから。求められたなら仕方ない。そう、拒否するつもりはなかったけど、少しだけ避けたい気持ちがあったことは否めない。元々そういうことをするのはあまり得意じゃない。ただくっついているだけでいいのに、といつも思っていたから。
 角名がわたしの右手に触れた。するすると指を撫でている。何が楽しいんだか。角名の首元に顔を埋めたまま不思議に思っていると、角名が「はい。クリスマスプレゼント」と言った。思わず顔を上げる。クリスマスプレゼントって、人によってはドン引き間違いなしのあの下着二着だったのでは?

「気に入った?」

 してやったりといった顔をしている。わたしの右手首を優しく握って、軽く持ち上げられる。右手の薬指に見慣れない指輪がいつの間にかはまっていた。角名がわたしの右手に自分の右手を並べる。同じデザインのものが同じ場所にはまっている。

「かわいいの選んだんですけど、どうですか」
「重……」
「えーひどい。喜ぶと思ったのに」
「重くて、わたしは好きや」

 付き合ってまだ一か月くらいではじめて一緒にクリスマスを過ごす彼女にペアリングって。重すぎ。角名に体を預けて笑ってしまう。わたし、実はそういうの、すごく嬉しいタイプ。知らなかったかもしれないけど。
 好きな人に言われた言葉は、どんなものであれ呪いになる。こういうところが好きだと言われれば、一生それを変えてはいけないと思う。そういうところが嫌いだと言われれば、一生そういうところを出さないように気を付けようと思う。お前はこういうのが好きだろと言われれば、それを見て喜ばなければいけないと思う。たとえその相手とお別れしても呪いだけは脳裏のどこかにこびりついている。
 好きな人と手を繋いで歩くことが好きだ。たとえ結婚しても、おばあちゃんになっても、好きな人とは手を繋いでいたい。好きな人に甘い言葉を囁かれることが好きだ。小っ恥ずかしいものであればあるほど嬉しい。好きな人に抱きしめられることが好きだ。いつどんな瞬間でも、体温を感じたら嬉しくて笑ってしまうと思う。自分はそういうタイプじゃない、と意地を張っていた。呪いがあったから。
 角名がわたしの頭に顔を寄せた。「まさかさんがそんなことを言ってくれるなんて」と呟いてから、大きく息を吐いた。

「いろいろ見て回った甲斐がありました」
「せやけど角名、あんまつけられへんやろ。自分もつけられるもんにしたほうがよかったんとちゃうん」
「バレーしてるときは首にかけときます」
「急にネックレスつけはじめたらファンビビるやろ。しかもそれが指輪やったらいろいろ察するで、女の子は」
「それはそうなんですけどね。急に現実を叩きつけてくるじゃないですか。さっきまでのとろとろの顔に戻ってください」
「なんやねんとろとろの顔って。半熟たまごか」

 きらきら光る指輪を見つめる。簡単な女だと笑われても構わない。嬉しいものは嬉しい。鈍いから解放された気持ちだった。
 宣言通り、角名は抱きしめたりキスをしたりはしてきたけど、それ以上のことは何もしなかった。ここまでしてやったんだから抱かせろ、くらいに思われてもおかしくなかったと思うのに。そんな感じは角名から一切感じなかった。変なの。でも、それが純粋な愛情に思えて嬉しかった。


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