頭が痛い。まったく休まらない。ホテルについてからジェットコースターに乗ったみたいな感覚に襲われ続けている気がする。お湯に浸かりながら大きく息を吐いた。
 きれいな夜景。地元の光景をこんなにじっくり眺めることなんてめったにない。肩まで湯船に浸かりながらぼけっとしてしまう。角名って、本当に、わたしのこと、気に入ってくれてるんだなあ。自惚れみたいなことをしみじみ思ってしまって、自分で恥ずかしくなった。
 そのとき、バスルームにノックの音が響いた。思わず「ん?!」と大きな声で反応してしまう。曇りガラスの向こう側に角名のシルエットが見えてびっくりしてしまう。「さん、ちょっといいですか」と角名が声をかけてきた。いやいや、お風呂中なんですけど! 思わず体を腕で隠しつつ「良くない!」と返す。角名はけらけら笑って「言うと思いました」と返してきた。

「え、な、何?! お風呂入っとるんやけど!」
「知ってます。ルームサービスのシャンパンが来ちゃったんですけどどうしますかって聞きにきただけです」
「そんなん出たらでええわ!」
「でもさんが出るころにはぬるくなっちゃいますよ。せっかく冷やしてあるのに。良いシャンパンだからもったいなくないですか?」
「氷水に入っとるやろ?!」
「部屋の暖房で溶けますよ」

 良いシャンパン。飲んでみたい。適切な温度に準備された、良いホテルのものなのだから余計に。でも、お風呂もまだ楽しみたいし、角名を入れるのは無理。でも、飲みたい。
 バスルームを見渡してハッとした。いいことをひらめいた。置いてあるタオルと、お湯に浮かべるために置いてあるであろう花びら。正直花びらは、なんじゃこれ、としか思えなくて入れるつもりはなかった。ドアの前にいる角名に「ちょっと待って」と声をかけて湯船からあがる。タオルを素早く体に巻いて、無駄に置いてある色とりどりの花びらを手に取る。たぶん好きな色のものを一種類入れるのが正しいのだろう。そんな花びらたちをどんどん湯船に放り込んでいくと、それなりに全体を覆うくらいになった。よし。いや、いいか分からないけど。
 また湯船に戻ってから「いま飲むからちょうだい」と角名に声をかけた。角名は一瞬間を開けてから「え、開けていいですか?」と意外そうに言う。「ええから」と言えば「じゃあ遠慮なく」と言ったあと、ドアが開いた。

「……さん」
「なに」
「なんで今日予想外のことばっかりするんですか。俺のツボにハマりまくらないでくださいよ」
「笑うな。おいしく飲みたかったんやもん」

 けらけら愉快そうに笑いながら角名が近付いてくる。「これ全部さんが入れたんですか?」と一枚花びらをつまみながら言う。そうです。これなら何も見えないので。顎まで湯船に浸かった状態でそう言うわたしに、角名がまた吹き出した。
 シャンパングラスを渡してくれる。腕だけ湯船から出して受け取ると、角名が持ってきたシャンパンをゆっくり入れてくれた。どうもありがとうございます。小さく頭を下げると角名が「どういたしまして」と言って、当たり前のようにバスルームに置いてある謎のソファに腰を下ろした。

「え?」
「え?」
「いや、なんで座るん?」
「え、一緒に飲みましょうよ」
「いやいや、お風呂中なんですけど」
「だから知ってますってば」

 それがどうした、みたいな顔をするな。当たり前のように自分のグラスにシャンパンを注ぐ。それから「じゃ、乾杯」と軽く言った。連れてきてもらっている身なのであまり文句は言えない。仕方なく「乾杯」と返しておいた。

「……なあ」
「なんですか」
「夜景を見ろ、夜景を」
「何見てもいいじゃないですか」
「良くない。こっち見んといて」
「なんでですか。かわいいんですもん。見たいじゃないですか」

 シャンパンはおいしいけど、正直それどころじゃない。夜景もきれいだけど、それどころでもない。普通に緊張する。というか、緊張して当たり前だ。なんなのこの状況。入っていいって言ったのはわたしだけど、まさかこうなると思わなかった。
 一杯目を飲み終えると、角名がボトルを氷水から出して立ち上がる。「どうぞ」とまた入れてくれるらしい。「どうも」と目を逸らしつつ言ってグラスを向けた。

さん、本当は教えたくないんですけど良いことを教えましょうか」
「あんま聞きたないけど……ちなみに何?」
「そうやって恥ずかしがられると余計にかわいくて見ちゃうんで、気を付けたほうがいいですよ」
「うっさいねん! それはどうも良いアドバイスをありがとうございます!」
「急にキレないでくださいよ」

 いまだバスタブの近くに立ったままの角名に見下ろされている。居心地が悪い。というか早くソファに戻ってほしい。水面いっぱいに花びらが浮いているとはいえ、隙間はあるし動けば見えてしまう。
 角名がボトルを氷水に戻し、自分のグラスを置いた。そのままソファに座るかと思いきや、また戻ってきた。それからその場にしゃがむと、じっとわたしを見つめてくる。

「見るな、変態」
「そういうの、本物の変態には火に油ですよ」
「……何か言いたいことがあるんやったらどうぞ」
「キスしていいですか?」
「あかん」
「即答」

 けらけら笑う角名が、問答無用で手を伸ばしてきた。バスタブの一番奥まで素早く移動して避ける。浮いている花びらがわたしが動いたのに合わせて大きく動いてしまう。慌てて両腕で水面をかいて花びらを自分の周りにだけ集めておく。
 そんなわたしをじっと観察していたらしい角名は、なぜだかにこにこと笑っていた。やけに機嫌が良い。逃げられたのに。むっとしているかと思っていただけに首を傾げてしまう。不思議に思っていると角名が、突然上着を脱いだ。ぎょっとして思わず壁に余計に体を寄せてしまう。

「ちょ、ちょっと、ちょっと待って!」
「だってさん、逃げるから。俺が入るしかないじゃないですか」
「無理無理! それはほんまに無理!」
「じゃあこっち、戻ってきてください」

 小さく手招きしてくる。くそ、全部わたしがなんと言うかが分かっている言動だ。小癪なやつ。じっと角名を睨んで様子を窺っていると、角名がまたにこりと笑う。そうしてさらに服を脱ごうとするから「分かったから!」と口走ってしまった。
 負けっぱなしでむかつく。でも、一緒に入られても本当に困るから、仕方がない。できるだけ水面を揺らさないように角名のほうへ戻る。花びらがゆらゆらとして、かすかに香りを感じる。とても気持ちのいい湯加減なのにのぼせそうだ。せっかくのリラックスタイムが、またしても角名に流されている。
 近付いてきたわたしに右手を伸ばした角名が、するりと頬を撫でた。満足そうな顔をするな。というか、バスタブが埋め込み式で高さが床とほぼ同じになっているから、キスなんかしづらい。角名は背が高いから余計に。わたしがそんなよそ事を考えている間に、角名が左手を床につく。そのままぐいっと背中を丸めると、そっと唇が重なった。しんどそうな体勢だ。可哀想に。
 角名の右手が、湯船の中に入った。さすがにびっくりして顔を動かすと、にこりと笑った角名の左手も湯船に入って腰を抱く。いや、え? 何? 困惑しているわたしを、そのまま湯船から抱き上げるものだから、声にならない悲鳴が出た。そのままぎゅっと抱きしめると、角名が首元に唇を当てる。

「ちょっ、ちょっと、角名!」
「見ないですよ。見たいですけど」
「ほんまにやめろやアホ!」
「だって抱きしめたかったんで」
「アホ! 変態! 離して!」
「離していいんですか?」
「え」
「タオル、ほとんど取れちゃってますけど」

 反射的に角名にがしっと抱きつく。角名がするすると背中を撫でながら耳元で小さく笑った。

「離しましょうか」
「あかん、今はあかん、離さんといて!」
「えー、どうしようかな」
「あんたほんまむかつく!」

 ひとしきり笑ってから、角名が「はいはい、いじめてすみません」と悪びれる素振りなく言う。わたしの背中を探ってタオルの両端を見つけると、しっかり固定してくれた。それからまた軽く口付けを落としてから、ぱっと離してくれた。角名の目を手で隠してから離れる。角名はひたすら笑って「信用なさすぎませんか」とおかしそうに言っていた。そんなびしょ濡れの恰好で笑うな。風邪引くから早く出てって着替えて。わたしもそのうち上がるから。そう早口で言ったら、余計に笑われてしまった。


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