大変恐縮しながらエレベーターに乗っている。憎らしいほど静かに上昇していくエレベーターの中は当たり前のように静かで、恐ろしく心臓の音が目立っている気がする。どうしてこうなった。そう冷や汗をかいている。
 エレベーターを降りて、案内されるがままに廊下を歩く。手と足が同時に出そう。うまく呼吸ができているかも分からないまま奥の部屋の前で止まる。丁寧に開けられたドア。中へ入ると、にこりと微笑んだ二人のホテリエにこれまた丁寧に頭を下げられた。そうして、ぱたんと静かにドアが閉まった。

「……角名倫太郎さん」
「どうしましたか、さん」
「ここ何?」
「ホテルですね。そこそこいいところの」
「そこそこ?! これが?!」

 お前の目は節穴か! 思わず思い切り背中を叩いてしまう。角名はけらけら笑って「あーおかしい。思った通りの反応してくれて嬉しいです」と部屋の中へ進んでいった。
 いや、ちょっと。おかしいだろ。ぷるぷる震えつつ拳を握りしめてしまう。一度は泊まってみたい、と言われるに相応しいほどの有名ホテルだ。ほいほいと軽い気持ちで予約ができる金額ではないことくらいわたしも知っている。たとえこのホテルのことを知らなかったとしても、この内装を見れば余程世間知らずでない限りは怖気付くに違いない。角名のやつ、スイートルームに近いプランを予約してやがる。何してんだ。わたしを連れて来るだけなのに。
 部屋の奥から「さん、何してるんですか」と楽しそうな声が聞こえた。くそ、むかつく。ぷるぷる震える拳を握ったまま恐る恐る部屋の奥へ進む。むかつく。ちょっと、喜んでいる自分が、ものすごくむかつく。勝手にきゅんとするな心臓。わたしに許可を取ってからにしろ。
 恐ろしい。当たり前だけど一室だけでもわたしの家全体より広い。怖い。一体いくらしたんだこの部屋。怖い。本当に怖い。そうっと覗き込んだ部屋は恐らくダイニングルームと呼ばれるところだろう。夜景が一望できる大きな窓に、白を基調とした重厚感のある家具や飾り。怖い。最初に出てくる感想はそれでしかなかった。
 わたしの様子を見ていた角名がくすくす笑いつつ言った。一応メディアに出ているしファンがいる身ということもあるから、と。そう言われてちょっと納得した。角名はSNSのフォロワーがバレー選手の中では多いほうだ。女の子のファンも結構いるそうで、それなりに気を遣っていると言った。なるほど。まあ、ここなら確かに、うっかり角名のことを知っている人に見られることはない。
 いや、それにしても。物事には限度があると思います。そう呟くわたしに角名は「えー?」とやっぱり楽しそうにするばかりだった。

「浮かれてるだけだから一緒に浮かれてよ」
「いや、無理やろ……」

 角名がわたしを手招きする。「夜景きれいですよ」とにこにこして言われると、おとなしく近付くしかない。恐る恐るソファの横を通過して、角名の近くに立つ。確かにきれいな夜景だ。見慣れた地元の景色ではあるけれど、こんなにきれいだと思ったのははじめてだった。
 クリスマスプランというものらしい。確かに部屋にはクリスマスツリーが置かれているし、ちょこちょこクリスマスっぽい飾りが控えめに置かれている。ディナーも部屋に運ばれてくるルームサービス形式とのことで、一歩も部屋から出ずにクリスマスを満喫できるようになっているそうだ。

「あの、角名さ」
「はい?」
「わたし、こんなんしてもらえるような、大層な女とちゃうから……あの、ほんまに勘弁して……」

 嬉しかった。高級なホテルに連れてきてもらえたからじゃない。きれいな夜景が見られたからじゃない。素敵なクリスマスになりそうだからじゃない。ただただ、わたしなんかここまでしようと思ってくれたことが嬉しかった。
 恥ずかしい。顔を見られたら、喜んでいると気付かれてしまう。角名から顔を背けて夜景を見るふりをする。困る、こんなの。別にどこかでご飯を食べて、どこかをぶらついて、わたしの家に帰るだけで、何よりこっちに来てくれるだけで十分、わたしは嬉しいというのに。

さんが分かってくれるまで手加減しません」

 持ったままだった荷物を角名が取っていってしまう。最近ずっと負けっぱなしな気がする。悔しい。夜景を睨むように見つめたまま、一つ息を吐く。
 ようやく気持ちが落ち着いてきた。窓から離れてそそくさとソファへ移動。先に座っていた角名がくつくつ笑って「緊張してます?」とからかってきた。何を今更。というか、この部屋で緊張しない人はいない。角名の隣にそっと腰を下ろして、角名の腕を軽く小突いておいた。

「というかクリスマスによう予約取れたな……」
「確かに大体埋まってましたよ。一番高いプランだけ残ってたんでよかったです」
「わたしはお前が怖い」
「なんでですか。喜んでくれると思ったのに」

 少し背中を丸めた角名が、自分の膝に頬杖をつきつつわたしの顔を覗き込んだ。嬉しそうな顔。残念ながらそれがわたしにもありありと分かるような表情をしている。駅で合流してからずっと楽しそう。本当、変な人。もう何度思ったか分からないそんな感想を頭の中でこぼした。
 ハッとした。角名はクリスマスだからとこんなふうに準備をしてくれたというのに、わたしの手持ちは抱き心地のいい柔らかいクッションのみ。最悪だ。中学生かよ、とツッコまれても返す言葉がない。さすがに二十代後半に入った男へのプレゼントにクッションはない。今の自分ならそうすぐに判断できるのに、なぜ選んでいるときの自分は気付かなかったのだろうか。今更後悔してもどうしようもない。何か、他に埋め合わせができるようなことを探さなくては。
 ひたすらわたしを見つめていた角名が「ところで」と言って、そっとわたしの近くを指差した。わたしのバッグ、と一応プレゼントが入っている紙袋。どうやら勘付かれていたらしい。できれば気付かないでほしかったのに。

「それ、くれないんですか」
「あ、あー……うん、まあ、あげる、けども」
「なんでそんなに歯切れが悪いんですか」

 不思議そうにしつつも手を伸ばしてくる。にこにこと嬉しそうに笑っている顔にとんでもない罪悪感を覚えてしまって目を逸らす。本当にやらかした気がする。
 もうここまできたらギャグとして受け取ってもらえれば御の字だ。勿体ぶるほうが意味深になってしまうし、序盤に渡せるならそれがいいに決まっている。

「……どうぞ」
「なんで目を逸らすんですか。ありがとうございます」

 ああ、わたしのポンコツ具合がバレる。プレゼントとか選ぶの得意じゃないんだよ、そもそも。内心でぶつくさそんな言い訳をしつつ横目で角名を見る。紙袋から中身を取り出して、ちょうどリボンを外したところだった。終わった。センスも色気もない女だと思われる。つらい。
 がさ、と中身を出した音が聞こえた。恐る恐る角名のほうに目を向ける。角名はじっとクッションを見つめて無言だった。そりゃそうですよね。百年の恋も冷めるってやつだ。なんて謝ろうか。好みが分からなかったから、とか? プレゼント交換があるか分からなくてとりあえず用意したから、とか? いやどちらも正直すぎる。それこそ言い訳を説明しているだけになってしまう。
 角名がクッションの顔を埋めた。ぎゅっとクッションを抱きしめるような恰好で、ぷるぷる震えはじめる。そのおかしな光景にわたしが固まっていると、角名の小さな声で「むり」と呟いた。その小さな声は、明らかに笑っている声だった。

「無理すぎる……なにこれかわいいんですけど……」
「……いや、角名、怖……」
「やばい、本当に無理、ツボった、クッションって、っふふ」

 一生懸命笑いを堪えているらしい。笑いを堪えながら「普通、なんか、マフラーとか」とぽつぽつ呟いている。そうか、マフラー。その手があったか。防寒具は冬のプレゼントの定番。角名という特殊な相手に気を取られてまったく思い浮かばなかった。
 いつまで笑ってんだ。思わず背中をばしんと叩いてしまう。角名はソファに横になりながらも、いまだクッションを抱きしめてくつくつ笑い続けている。どうせ、しょうもないものですよ。すみませんね。次回は頑張ります。少し拗ねそうになったけど、角名があんまりに笑うものだからわたしもちょっと笑いそうになってしまった。


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