定番のクリスマスソングがどこからか聞こえてくる。それを口ずさむ誰かの声。連鎖するように別の誰かも同じ歌を口ずさみはじめた。そんな浮かれたBGMが聞こえてくる街に溢れた恋人たち。それを鬱陶しそうに避けながら歩いて行くサラリーマン、の手にケーキ箱。大事そうに持っている後ろ姿にくすりと笑ってしまう。そりゃあ早く帰りたいですよね。そんなふうに。
 角名との待ち合わせは五時半。現在時刻五時ジャスト。少し早めについてしまった。駅前は人でごった返しているだろうし、コーヒーショップも満員だろうな。待ち合わせ時間に間に合わなかったら元も子もない。おとなしく隅っこでスマホをいじって待ったほうが良さそうだ。そう予想しながら駅へ足を進める。
 到着した駅は思った通りの賑わいで、コーヒーショップは早々に諦めた。まあ、三十分くらいのことだ。その辺に立っていよう。そう人気のない場所を探して当たりを見渡すと、視線の先に頭一つ飛び出た長身を見つけた。

「角名!」

 少し大きめの声で呼びかけると、すぐにこっちを見てくれた。早すぎ。まだ三十分もあるのに。慌てて小走りで近付いていくと、角名が小さく笑って「お疲れ様です」と右手を挙げた。角名の前で立ち止まって「早すぎるやろ」と呆れる。角名は「そうですか?」と小さく首を傾げた。

「いつからおったん? 連絡くれたらもうちょい早よ来たのに」
「本当にさっきついたところですよ。さんだって早いじゃないですか」

 角名がスマホを見ると、まだ時間に余裕があると呟いた。そのことから何かしら予約をしていることを察した。レストランだろうか。クリスマスといえばディナーが定番だし。それなら決まった時間まではどこかで時間を潰す必要がある。何時からなんだろう。この辺りならわたしのほうが詳しいし、どこかいいところを探さないと。
 少し考えていた角名が「ま、いいか」と独り言を呟く。時間を潰せるところくらい探すけど、とわたしが提案しても「大丈夫です。ありがとうございます」と笑うだけだった。まあ、そう言うなら。角名がいろいろやってくれているのだし、ここは任せておくべきだろう。
 にこりと笑って「とりあえず行きましょう」と言って、手を繋いできた。お好きなのね。そうちょっと恥ずかしく思いつつ、拒否はしない。そっと手を握り返したら角名がちらりとこっちを見たのが分かった。でも、何も言わない。わたしも気付かないふりをした。
 人で賑わっている広場を通りつつ、なんでもない話をした。角名は少し前に調子を崩してしまい、練習を休まされているのだという。それを聞いてびっくりした。これまで連絡を取っていたときにはそんな話をしていなかったから。わたしが驚いていることに気付いた角名が「これ言ったらさん、バレーの話しかしなくなると思ったので」とほくそ笑む。その通り。角名の判断は間違いじゃない。なんなら今もわたしと会ってないでゆっくり休め、と口から出そうになっている。体調が悪いとか怪我をしたとかそういうのではない、と説明してくれてちょっとほっとしたけれど。
 わたしは、あの野郎の話をした。ストーカー行為がぱったりなくなり、実家には菓子折を持って謝りに来た。そう話したら角名は「よかった」と笑う。それから、さも当たり前のように「あの人結構聞き分けが良かったんで拍子抜けしましたよ」と言った。その言葉にびっくりした。その口ぶりは、まるで、あの野郎と話したみたいな。
 あの野郎は、わたしに新しく彼氏ができたことを知っていた。一緒にいるところを見られたのかと思ったけど、きっと違ったのだと分かった。でも、いつ? 角名の顔を見上げて考えていると、角名が「気になります?」と悪戯っぽく言った。

「この前さんと会ったじゃないですか。金曜日の夜」
「う、うん」
「実は俺、その前の日もそのまた前の日も、あそこでさんを待ってたんですよ」
「え?! そうなん?!」
「でもさん帰ってこないし代わりに不審者が来るしで結構へこんでました」

 にっこりと笑う。いや、その顔。絶対に確信犯だ。そうわたしが思っていることが分かったらしい。角名は「あの野郎来なくなってよかったじゃないですか」とご機嫌に言った。鼻歌でも歌い出しそうな様子に呆れてしまう。あと、少しだけ申し訳ない気持ちになる。ホテルに逃げずに家に帰ればよかった。というか、角名が連絡をくれたら家に帰ったのに。そんなふうにこっそり思っておく。角名はそんなわたしの様子に気付いて「元々あの野郎に一言言ってやるために行っただけなんで。気にしないでください」と満足げに言った。
 角名はわたしの家の前であの野郎を待ち伏せして、出くわす瞬間を時間ぎりぎりまで待っていたのだという。高校時代に何度か姿を見たきりの相手だ。よくあの野郎だと分かったな、と感心してしまう。それをぽつりとこぼしたわたしに角名が、信じられないものを見る目をした。そうして「好きな子を奪っていったやつの顔、忘れられるわけないじゃないですか」と当然のように言う。少しわたしを責めているような口ぶりに思わず謝ってしまった。

「ちなみになんて言うたん?」
「あんたさんの元カレ? これ以上さんにちょっかいかけるなら、俺あんたに何するか分からないんだけど。最後になんか言いたいことある?」
「怖……人殺しはあかんで……」
「誰も殺してないですけど」

 怖かっただろうな、暗がりで睨んでくる約190cmのスポーツマン。想像するだけでわたしも震えそうになる。角名はちょっと目つきが悪いし、相当不機嫌な顔をしたに違いない。あの野郎のビビり顔が簡単に想像できた。
 歩きつつ角名がわたしの顔を覗き込んできた。なんだ、その顔。楽しそうにするな。なんかちょっとかわいく見えてむかつくから。無表情を貫いて「何か」と聞くと、角名はやはりご機嫌そうに「何がですか」とだけ言った。
 何がそんなに楽しいんだか。ここに来るまででそこそこの出費をしているし、移動時間だってこれまでのすべてを合わせるととてつもない時間になるはずだ。仕事も練習も大変だろうに、どうしてそこまでして。
 そこまで考えて、やめた。なんとなく角名がなんと答えるかが分かったからだ。自惚れていると思われたくないから絶対に言わない。知らないふりを決め込むことにした。
 角名から目を逸らして前を向く。人混みを角名がうまく避けてくれるのについていきつつ、一つ息をついたとき。鼻先にほんのり冷たい感覚があった。驚いて視線だけ動かして空を見ると、白いものがふわふわとかすかに舞っていた。すれ違った女性が「雪や」とはしゃぐ。誰かが「ホワイトクリスマスやん」と嬉しそうに言ったのが聞こえた。
 雪が降るほど寒かったっけ、今日。ふわふわ舞う細雪をぼんやり眺める。寒いのは好きじゃない。それなのに、しっかり着込んでいるとはいえ、雪が降るほど気温が低いというのにあまり寒さを感じない。不思議だ。角名と一緒にいると不思議なことばかり起こる。そんな小っ恥ずかしいことを考えてしまった。
 誰もが空を見上げて雪だホワイトクリスマスだと話している。そんな中で、角名だけは、わたしの顔をずっと見ていた。飽きもせず、よそ見もせず。せっかくの初雪だというのに興味がないという顔で。本当、変な人だ。呆れて何も言えない、ということにしておいた。


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