ぱったり、あの野郎の姿を見なくなった。もちろんそれでいいし死んでも気持ちが残っているわけじゃない。でも、あまりにも突然の幕引きだったので拍子抜けしてしまう。長期戦を覚悟していたし、警察に突き出してやるとさえ思っていたのに。ちょっと気味が悪いとさえ思ってしまう。
 一応実家にも確認したら、一度来たきりだったと安心したように教えてくれた。なんだ。何もしなくても解決してしまったらしい。まだ気にはしておくつもりだけれど、一応一番いい形の幕引きだった。
 角名とは相変わらず、メッセージのやり取りをほぼ毎日している状態だ。飽きもせずになんでもないメッセージを送ってくるからちょっとだけ困惑してしまう。わたしとやり取りして何が面白いのかさっぱり分からない。会社と家を行き来するばかりの毎日だし、特別話のネタがあるわけじゃない。角名と共通の趣味があるわけでもない。共通の話題といえば高校時代の話のみ。毎回そんな話をして楽しいものだろうか。やっぱり角名って変なやつ。そう悪態をつくけれど、嫌だと思ったことはない。
 クリスマス目前。テレビをつけてもクリスマス特集ばかりで浮かれきっている。それしかないんかい、とツッコミを入れたくなるほどだ。でも、別にそれでいいと思う。恋人向けに作られたおあつらえ向きのイベントとしてでも、家族で過ごす楽しいイベントとしてでもなんでも。何かを楽しめる相手がいるというのはいいことだ。思い出を一緒に作りたいと思える相手がいることも、大切なこと。そう思えるようになっていた。
 ベッドに横になってカレンダーをぼんやり見つめる。クリスマス、か。角名に何か用意してやったほうがいいんだろうか。恋人同士のクリスマスにプレゼント交換は割とつきものだ。わたしも経験がある。ちょっとしたものからそこそこいいお値段のものまで。交換したことがあるのはただの一人だけだけれど。あの野郎とも特に決めたわけでもないのに、当たり前のようにクリスマスプレゼント交換をしたっけ。毎年決まり事のように。クリスマスといえば、というものの一つだったから。
 でも、もし用意していって、角名がそんなつもりじゃなかったら地獄だしな。急に彼女面しているみたいになりそうで嫌だな。でも、逆の場合もそれなりに地獄か。それにやっぱり何もなしというのはどうかと思う。今度適当に何か用意しておこう。
 どうしたって浮かれているみたいに思われそうだ。小さくため息。それからほんの少しだけ笑ってしまった。



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 久しぶりに実家に帰ると、母親が「あんた彼氏できたん?」と心配そうに聞いてきた。思わず咽せてしまう。彼氏ができた、とどこで勘付かれたのだろうか。一切角名の話はしていないだけに、動揺してしまった。
 話を聞いて驚いた。あの野郎関連だったのだ。あの野郎が一昨日また実家に来たのだという。やっぱりまだ終わっていなかったか。そう怒りをぶちまけそうになるわたしをなだめた母親が「謝りにきたんよ」と困惑気味に言った。
 謝りにきた? フリーズしてしまう。あんなネジの吹き飛んだストーカーに成り果てた男が? 謝りにきた? そんな常識的なことを今更できる精神状態じゃなかったと思うけど。いまいちピンとこなくて「え、いつ?」と聞くと、少し前の土曜日だという。日付を聞いたら角名が突然来た翌日だった。どのタイミングで改心したのだろうか。不思議に思っていると母親が続けざまに言った。「彼氏さんにも迷惑をかけました」と言われた、と。
 何? どういうこと? なんであの野郎がそのことを知っているの? もしかしてわたしと角名が一緒にいるところ見たのだろうか。金曜日の夜にうちに来ていたならありえない話じゃない。いや、それならば乱入してくるくらいの勢いだった。もう彼氏がいるのか、と絶対に詰め寄ってくるはず。そう確信できるほど、あの野郎の様子は切羽詰まっていたと思ったのに。
 菓子折まで置いていったそうで、立派な和菓子の詰め合わせの箱を見せてくれた。そんなもの危ないから食べずに捨てなさい。そう言うわたしに母親が「食べ物に罪はないやろ」とけろっとした顔で言う。何か入れられてても知らないからね。そう呆れていると、母親が思い出したように言う。なんだかすごく怯えていた感じだった、と。怯えていた感じ。そう言われてもいまいち心当たりがない。あるとすれば電車の中まで付き纏ってきたときに、助けてくれた乗客に「警察を呼ぶ」と言われていたことはあったっけ。わたしが断って警察のご厄介にはならなかったのだけど、あまりやりすぎると警察沙汰にされるかもしれないと今更不安になったのだろうか。
 母親はあの野郎の話を切り上げて、彼氏の話に戻してくる。どんな人なのか、いくつの人なのか、どこで知り合ったのか。まあ、無理もない。娘が結婚すると思っていた相手に捨てられて、紆余曲折あってストーカー被害に遭ったのだから。相当男運のない女だと心配するのが親心だ。
 高校時代の一つ後輩で、今はバレーボール選手。そう簡潔に答えると、母親が少し怪訝な顔をした。スポーツ選手というのが引っかかったのだろう。それを喜ぶ親も世の中には多いだろうけど、うちの場合は絶対に歓迎されないことは分かっていた。わたしの両親はちょっとお堅いほうなのだ。だからあの野郎の誠実そうなところを気に入っていたし、それが裏切られたことへの怒りも強い。
 立派な会社のバレーボールチームだよ、と適当に説明しておく。わたしも正直バレーボール選手の詳細なことは分からない。これ以上聞かないで、と言えば母親は渋々分かってくれた。
 それにしても、あの野郎のことが気になる。なんで急に諦めた上に実家に菓子折なんか。しかも、当の本人であるわたしには一切接触がない。それに怯えていたというのはなぜなのだろうか。謎が多くてまた少し頭が痛くなった。


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