結局、角名はわたしが着替えるまではずっと後ろから抱きついた状態で離れなかった。化粧をしている間は離れてと何度も言ったけど離れなかった。ちょっと邪魔。でも、まあ、嫌ではなかったから仕方なくそのままにしておいたけど。
 新幹線の時間に間に合うように二人で家を出た。玄関の鍵をかけていると角名が「あの野郎、どれくらいの頻度で来るんですか」と聞いてきた。ストーカーになったという話をしたし、昨日ホテルにいたのも待ち伏せされたからとは話した。それで気にしてくれているのだろう。それなりの頻度で来るけどたぶん次は来てもガン無視できる。そう笑って言ったら、角名が「ふうん」と相槌を打ったっきりその話題には触れてこなくなった。

さん」
「何?」
「手」
「……はい、どうぞ」

 たぶん断っても聞かないから、言われるがままにしたほうが早いことは分かっている。わたし、手を繋いで歩くかわいげがあるタイプの女に思われないことが多いんですけど。そんなふうに思っているなんて知らない角名は、わたしの手を少し撫でるように触ってからきゅっと指を絡めた。調子が狂う。わたし、こういうタイプじゃない、はずなのに。いつまでもどこかに根付いているそれは、呪いのようだと自分で呆れてしまった。
 電車に乗っている間もずっと手は繋がれたまま。周りにはかなり早い時間だというのにサラリーマンやOLさんの姿がちらほらある。わたしだって見た目は出勤途中のOLにしか見えないだろうに、朝から何をしているのだろうか。一人現実に引き戻されそうになると、必ず角名が「さん」と呼び戻した。まあ、こんなのも、たまには悪くないか。にこにこしている角名の顔を見ると不思議とそう思えた。
 駅についてから、角名が乗り場に向かうまで二人でコーヒーショップに入った。大した話は何もしていない。でも、心地良い時間だった。角名は騒がしいタイプじゃないし、元々会話のテンポが合わせやすい相手だ。違和感なく二人きりでいられる。無理をしなくていいというか。

さん、クリスマス楽しみにしててくださいね」
「元から約束しとったとはいえ、年末なんやで忙しいやろ。大丈夫なん?」
「何も気にしなくていいんで、かわいい服でも用意しながら待っててください」
「……一応聞いとくけど、なんかリクエストある?」
「暖かい恰好にしてください」
「あー、うん。そういう意味やないけども……」

 もっとこう、ワンピースがいいとかなんとか言われるかと思った。微妙な笑いをこぼすと角名が「寒いのを我慢されるのが嫌なんで」と得意げに笑った。本当に調子が狂う。思わず目を逸らしてしまった。
 その後、新幹線乗り場へ行く角名を見送った。周りの人より頭一つ飛び出た高身長。目立っている。角名って、あんなに大きかったんだな。高校時代は当たり前に周りの部員が大きかったからあまり意識したことがなかった。こうして角名だけを見ることはなかなかないから新鮮だった。今更だけれど。



▽ ▲ ▽ ▲ ▽




 角名を見送ったその日の夕方、あの野郎は懲りずに職場の近くでの待ち伏せていた。顔を見た瞬間に自分の表情筋が死んだのがよく分かった。それくらい表情が消えていたと思う。あの野郎はわたしを見て一瞬たじろぎつつも勇敢に声をかけてきた。ごめんだの許してほしいだのが運命の相手だの。あー、やかましい。左から右へ聞き流しつつため息が漏れた。イライラするというより、興味がなさすぎてどうでもいいものとして処理してしまう。そのまま電車にまでついてきたものだから鬱陶しくてたまらなかったけど、やっぱりイライラはしなかった。呆れる。これいつまで続くのかな。そうげんなりするばかりだった。
 電車内にいる乗客にこそこそされるのは精神的にしんどかったけど、これまでみたいに感情に飲まれることなく淡々と対応をした。もうあなたに気持ちはこれっぽっちも残っていません。例の女性を探し出して一緒になればいいのではないでしょうか。あなたが望んだ女性はあの方なのですから。そんなふうに淡々と。あの野郎は一歩も引かずにわたしの肩を掴んで、お涙頂戴な演説をしていた。それがあんまりにもひどくなってきたとき、近くにいたサラリーマンが声をかけてくれた。苦笑いをこぼしつつ「ストーカーなんですけどやかましいだけなんで大丈夫です」と説明すると、他の近くにいた人たちも反応して助けてくれた。そんな感じで人様の良心にご厄介になってしまいつつ、特に何事もなく無事に振り切って帰宅できた。
 あとで知った話、あの野郎はわたしの実家にも突撃したらしい。これが一番弱った。事情をすべて話してあるのでもちろん両親は門前払いをしたというが、ご近所さんにどう見られているかが不安だとこぼしていた。それほどの大事だったのかと聞いてみると、なんでも実家の門前で土下座をして大声で「さんに会わせてください」と言ってきたのだとか。あまりにひどい有様だったから嫌がらせかと思った、と母親が苦笑いでいうほどの迷惑行為だったらしい。申し訳ない。次来たら迷わず警察を呼んで、と言っておいた。
 あの野郎の妹さんとは連絡を取り続けていて、一応ストーカー行為は逐一報告している。妹さんも注意はしてくれているそうなのだけど、いつ会っても心ここにあらずといった様子で話にならないのだとか。気の毒になってきた。まあ、すべてあの野郎の身から出た錆だから仕方がないのだけど。わたしの中ではもう終わったことだ。どうでもいい。そう鼻で笑ってしまった。


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