久しぶりに誰かと眠ったからなのか、それとも角名とだったからなのか分からないけど、久しぶりに高校時代の夢を見た。あの野郎のじゃなく、部活の夢。なんてことはない練習の風景だったり、なんとなく記憶に残っている試合の光景だったり。角名がやけに出てくる、なんてこともなく記憶を巡るように、高校生のころの自分が見ていた景色を思い出していくだけの夢。とても心地良い感覚だった。
 まだ薄暗い。手探りでスマホを掴んで見るとまだ朝五時前だった。いつもなら寝ている時間なのに、もうすっかり目が冴えている。今は眠くなくても仕事中に眠くなるやつだな。そう苦笑いをこぼしてしまう。けれど冴えてしまっているものは仕方がない。角名もいるし、久しぶりにちゃんとした朝ご飯を作ってみようか。そんなふうに体を起こすと同時に「あ、起きました?」という声が聞こえてびっくりした。自然と顔を隣に向けると、当たり前のように目を開けて、寝転んだままスマホをいじっている角名がいた。

「おはようございます」
「お、おはよう……早起きやな」
「まあ、そりゃあ」

 体を起こした角名が「八時の新幹線に乗ります」とスマホを見つつ言う。新幹線の予約をしていたらしい。時間的には角名が先にここを出る。でも、さすがにここで、それではさようなら、なんていうのは忍びない。駅まで送っていくと言えば角名はちょっと嬉しそうに「はい」とだけ言った。なんだその顔。照れつつベッドから降りて洗面所へ向かう。一緒にベッドを降りた角名もそれについてきた。
 ものすごく視線を感じる。顔を洗っている間も、歯を磨いている間も、ずっと見てくる。まるで飼い主に構ってほしくてたまらないゴールデンレトリバーのごとく。いや、角名はゴールデンレトリバーって感じじゃないか。どちらかというと猫か? それもいまいちピンとこない。まあ、ともかく、主人に構ってほしいなんらかの生物のように思えてしまった。しばらく無視するように努めていたけれど限界だ。ちらりと視線だけ角名に向けて「何?」と聞いてしまった。

「何がですか」
「いや……めっちゃ見てくるな、と思って」
「そりゃ見ますよ。かわいいんで」
「……角名ってそういう感じやったっけ?」

 若干呆れてしまう。もちろん照れてはいるけれど。別にそんなにずっと見なくても。それに、かわいいなんて言われるような女じゃないです。普通のどこにでもいるOLです。ぼそぼそとそう言うわたしに角名は「俺には関係ないですけどね」と微笑んだ。
 これまで彼女ができたことだってあるだろうに。そうぼやいた角名が一つ間を開けてから「まあ」と短く言った。いたんかい。内心思わずツッコんでしまう。なんだ、ずっとってわけじゃないのね。そんなふうにちょっと拗ねそうになる自分に慌てて首を振る。いやいや、別に、当たり前でしょ。角名に彼女がいたなんて当たり前だ。どうせモテてたんだろうし。別に気にすることじゃない。

「いたことにはいましたけど」
「はいはい。さぞかわいい子やったんでしょうねえ」
「拗ねてます? かわいいんで抱きしめていいですか?」
「うるさい。で? おったことにはおったけど、の続きはなんやねん」

 髪をブラシでときながら視線だけ動かして角名を見上げる。角名はやっぱりこっちを見たまま、機嫌の良さそうな顔をしていた。
 角名の元カノ、どんな子だったんだろうか。いつ知り合ったんだろう。どれくらい付き合ったんだろう。どっちから告白して付き合うことになったんだろう。なんか、もやもやしてきたな。そう思ってしまう自分にもう一度ツッコミを入れておく。わたしには関係ない。角名の人生にいちゃもんをつける権利なんてどこにもないのだ。

「長続きしなかったですね。誰とも」
「……めっちゃ意外なんやけど」
「全部俺が振られました」
「嘘やん。角名優しいのに。もったいないことしたな、元カノちゃんたち」

 なんだか可哀想に思えてちょっと笑ってしまう。それにしてもあの角名が歴代の彼女に振られてきたとは。少し意外だ。からかうネタを見つけた気分。もやもやはしたけど聞いてよかったかも。のんきにそんなことを思う。
 角名が突然顔を覗き込んできた。びっくりして固まっている間に、当たり前のように触れるだけのキスをされる。上唇からゆっくりくっついて、そのあとしっかり下唇が触れるような優しい感触。こんなの当たり前にされたら困る。目を瞑ろうか悩んでいるうちにそっと唇が離れていく。角名は背中を伸ばしてから小さく笑うとわたしの髪をするりと撫でた。

さんって本当に鈍いですよね」

 なんか急に馬鹿にされた。ムッとしつつも何か言い返すととんでもない目に遭いそうだったから黙っておく。角名はわたしの髪を触りながらずっと楽しそうにしていて、余計にむかついてしまった。
 洗面所を出ても角名はぴったりくっついてきた。コーヒーを淹れているときも横にぴったりくっついてわたしの手元を見ていたし、朝ご飯を作るときもずっと隣にいた。そんなに見て何が面白いんだか。呆れつつも楽しそうにされると文句が言えなくて、特に何も言わずに放っておいた。
 簡単な朝ご飯を準備し終わって、二人で手を合わせてから食べはじめる。お茶を一口飲んでいるときに角名が「で、いつになったら教えてくれるんです?」とほんの少しだけ目を細めて言う。なんのことだかいまいちピンとこなくて「え?」とだけ返してしまった。角名は卵焼きを口に運び、しっかり噛んで飲み込んでから「え、じゃないですよ」とため息交じりに言った。

「あの野郎のことですよ」
「ああ、あの野郎な」

 苦笑いをこぼしてしまう。そういえば何があったか教えろと言っていたっけか。もうすっかり吹っ切れて、過去のこととして焼灼処分してしまっていた。
 一応角名のおかげで吹っ切れたわけだし、求められているのだから何も伏せずにすべての事実を話した。これまでは思い出すだけで全身が燃えるように腹が立ったのに、半笑いでくだらない愚痴のように話せている自分に少しだけ驚く。なんだ、こんなに簡単に笑い話にできるものなのか。今まで囚われたかのようにそのことばかりに怒っていた自分が嘘みたいだ。
 角名は口を挟まずにわたしの話をひたすらに聞いていた。相槌は打ってくれたけれど、質問をすることはなくただただ聞いていた。わたしが最後に「ま、そんな感じで今はストーカーになったっちゅう感じ」と笑って話を終わらせると、角名が箸を置いた。

さん」
「ん?」
「抱きしめていいですか」
「……昨日からそればっかやな」

 こりゃだめだ、と声に出しそうになった。もう手遅れだと観念するしかない。朝ご飯を食べ終わったらお好きにどうぞ。諦めつつそう言うと、角名は置いた箸を掴んで黙々と食べはじめた。ああ、なんか、やっぱりかわいく見えるようになっている。困った。


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