時間が経つのはこんなにも待ち遠しいことだったんだな、とぼんやり思った。ずいぶん長い時間スマホだけを見つめていた気がする。うるさかった心臓は少し落ち着いてきた。今はただ、はよ来いアホ、とこぼれ落ちそうになる言葉を飲み込み続けている。
 瞬きをした瞬間、スマホの画面がついて着信音が鳴った。角名倫太郎。ああ、やっぱり。そういうことだった。期待していたくせに呆れてしまう。苦笑いをこぼしながらスマホを手に取り、画面をタップ。耳に当てるとわたしが口を開くより先に角名が「出てこられます?」と言った。

「アホちゃうん、ほんまに」
『それでもいいです』
「何してんねん、もう、呆れてなんも言えへんわ」

 角名が笑った。「先輩には迷惑をかけるものだって教わったので」と言うので余計に呆れた。誰もそんなことは教えていません。そう返しつつ、荷物を持って部屋を出ている自分がいた。
 角名との通話を一方的に切ってからホテルの廊下を歩く。心臓の音と足音だけが聞こえる。悔しい。なんとなく、負けた気分だった。
 フロントに降りてからカウンターにいた人にチェックアウトを申し出ると、部屋番号を確認してから「よろしいんですか?」と少し心配された。どうやらわたしが一悶着あって泊まることになったことは従業員全体に伝わっているらしい。なんてサービスの行き届いたホテルだろうか。お礼を言って迷惑をかけたことへ謝罪してから「迎えに来てくれた人がいるので、大丈夫です」と笑顔を見せた。
 お辞儀をしてから体の向きを変える。ガラス張りの出入り口。すぐに姿を見つけた。不審者みたい。ホテルの中で待っていればいいのに。苦笑いをこぼしつつ、ホテルから出た。

「急に電話切らないでくださいよ。びっくりしたじゃないですか」
「急に来たやつが何言うねん」
「急に来たわけじゃないですけど、さん」

 ね、と笑われた。そう言われると、返す言葉がない。でもあれはもしもの話だった。別に、会いたいと言ったわけじゃない。苦し紛れにそう言うわたしに角名は「はいはい。じゃあそれでいいです」と満足げに言った。
 クリスマスを控えた街は、今はまだ静かだ。イルミネーションの準備が続々とはじまっているし、お店の飾りもそれらしいものが増えてきている。それでも、まだ、その日になるまではひっそりしている。そんな静かな街の中でわたしだけが耳を塞ぎそうになっている。心臓の音がうるさい。ようやく落ち着いたと思っていたのに。

さん」
「……なに」
「抱きしめてもいいですか」

 そのために来たんですけど、と優しい声が転がる。こんな静かな街中でそんなセリフを堂々と言うな。思わず目を逸らしてしまう。角名は追いかけるようにわたしの顔を覗き込んできた。「聞いてます?」と楽しそうに言われたら、ちょっとむかついた。

「あかん」
「えー。断られるのは予想してなかったんですけど」
「こんな道のど真ん中では、嫌や」

 角名の右手をがしっと掴む。駅まで歩いてすぐ。時間確認。まだ終電がある。間に合う。早歩きで駅に向かいはじめるわたしに角名は文句一つ言わなかった。ただ、わたしが掴んだ手をほどいてから、わたしの指に自分の指を絡めただけだった。
 そこからはわたしも角名も一言も話さなかった。二人で改札をくぐって、駅のホームで電車を待って、ひっそりとやってきた電車に乗って、ひたすら手を繋いでいただけ。横目で角名の顔を見たら目が合った。小さく笑った角名からすぐ目を逸らすと、手を繋いだまま指を動かして肌をなぞる。心臓がうるさい。あと、手汗が本当に気持ち悪い。角名もそう思っていたらどうしよう。そんなことを思いながら、静かに電車が停まるのを待った。


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