やけに軋むベッドに寝転んだまま、ぼんやりと白い天井を見上げている。一見きれいに見えるがずいぶん古いホテルだ。その証拠に天井の壁紙にはクラックがいくつかできている。視線の先にある一本線のようなそれをじっと見つめていると、時計の秒針の音が大袈裟に響いているように感じた。
 角名との通話を切ってどれくらい経っただろうか。そう思ってスマホの時計を見ると、もう四時間ほどが経っていた。日付が変わる少し前。まだ残っている角名の声に耳を澄まして、静かに呼吸を繰り返している。秒針の音が三回聞こえたら息を吐き、また三回聞こえたら息を吸う。そのバランスが少しでも崩れそうになると心臓が痛くなる。なぜだか焦りはじめる。誰かに狙われているような、責められているような。勝手に脅迫されている気がして、息が詰まる。その繰り返し。
 人を好きになるって、つまりどういうことなのだろう。どうして人は人を好きになるのだろう。好きという感情は何を原動力にして生まれて、何を餌として育つのだろう。人生にどうしても必要なものではない。それなのにどうして人は愛だの恋だのに迷うのだろう。やってらんないな、人生。そうため息をこぼす。
 わたしはアイツのことがどうして好きだったのかを思い出せないのに、アイツとの思い出が楽しかったという忌々しい記憶だけは頭に残っている。記憶の中の自分が笑っているのが余計に忌々しい。なんであんなに、わたし、楽しかったんだろ。ばかみたい。そんなふうに思ったら涙が出そうだった。信じたくないけれど事実として残っているからだ。打ち砕かれただけで夢やまぼろしにはなってくれない。とても、とても、腹立たしいけれど。
 何も喉を通る気がしなくて夕飯も食べていない。お腹は空いているのに食べようと思わない。気怠い体をただただベッドに潜ませている。明日仕事、行けるかな。そんな情けないことをぽつりと呟いてから苦笑いをこぼす。行かなきゃだめに決まっている。仕事を舐めるな、社会人。そう自分を励ました。
 そのときだった。スマホが鳴った。静まり返っていた部屋に突然響いたその音に一人でびくっとしてしまう。もしかして、角名だろうか。こんな時間に連絡をしてくる友達はいないし、家族は最近わたしの様子が変だと思っているのかよく連絡してくるようになったけど、こんな時間にはしてこないと思う。
 恐る恐るスマホを手に取る。表示されていたのは、やっぱり角名の名前だった。

「もしもし?」
『あ、よかったです。起きててくれて』
「どうしたん? こんな遅くまで起きとったらあかんやろ。自己管理しっかりしなよ」
『北さんみたいなこと言わないでください。それより今どこにいます? 家ですか?』
「いや……いろいろわけあってホテルにおるけど……」
『どこのですか?』

 角名はいつもより少し早口だった。よく分からないまま一応ホテルの名前と最寄り駅を伝える。角名は「分かりました」とだけ言ってから、勝手に通話を切ってしまった。
 嘘だ。まさか、そんなわけがない。ばくばくうるさい心臓を思わず右手で隠す素振りをしてしまう。いやいや、そんなわけない。だって今、日付が回る直前だよ? そんなわけがないに決まっている。そんなの、あまりにも。
 うるさい心臓が黙ってくれない。あんなに静かだった部屋が騒がしくてたまらない。わたしは馬鹿か。何を、期待、しているの。ゆっくり、自分に言い聞かせるように、喉の奥で呟く。期待したって、裏切られて傷つくだけ。勝手に傷ついて、勝手に怒るだけ。そんなのもう懲り懲りだ。
 万が一にも、そうだったとしたならば。恐らく降り立った駅からここまでは電車で一駅。まだ終電までいくつか本数がある時間帯だ。万が一、そうならばきっと次にスマホが鳴るのは、二十分後。完全に日付が回ったころだと思う。
 ちらりとスマホを見る。もちろん今はうんともすんとも言わない。でも、見てしまう。どうか、そうであってほしい。そう期待する自分はやっぱり殺せなかった。


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