連日アイツが訪ねてくるようになった。帰宅時間を予想して待ち伏せしてくるときもある。全部どうにか躱して鉢合わせないようにしているし、マンションの管理人にも何を言われても中へ入れないようにお願いした。できる限りの防御はしているつもりだけれど、これが万全かどうかは分からない。そもそもアイツがどれだけの暴挙に出てくるのかも分からないからどう手を打てば良いかが分からないのだけれど。
それともう一つ。連日角名から連絡が来るようになった。メッセージのときもあれば電話のときもある。内容は大したことがないものばかりだ。今日は何を食べたかとか何をしているだとか、そんなことばかり。バレーの練習はどうした。そう呆れつつ聞くといつも決まってこう言う。バレーの練習で疲れているから連絡しています、と。
変な後輩だ。疲れているならわたしに連絡なんかしていないで休めばいいのに。スポーツ選手なんだから体調にはちゃんと気遣いなさい。そう何度言っても聞く耳を持たない。
チャイムが鳴った。耳を塞ぐ。もう夜はずっと電気を付けずに過ごしている。窓がない脱衣所を閉め切った状態で明かりを付けて、ご飯を食べたりスマホを触ったりしてただただ朝が来るのを待つ日々。耐えられなくなったらホテルに連泊するしかない。両親に頼るのは情けないし、何より気を遣わせてしまうからだ。
二度目のチャイムが鳴ったとき、スマホも同時に鳴った。画面を見れば角名からの着信。ああ、ちょうどいい。嫌なことに意識を割かなくていい時間が来た。電話を取ると角名はいつも通り「お疲れ様です」と穏やかに会話をはじめてくれた。
『いま何してます?』
「別に何も。角名は?
また練習終わり?」
『今日は休みだったんで、その辺をぶらぶらしているところですね』
「何してんねん。はよ帰りなよ」
チャイムがまた鳴った。気にならない。何も思い出さないし何も考えない。角名との会話にすべての意識を集中するだけ。それだけなのに。
そんなことを考えている時点で、わたしは負けているのだ。何をしたってアイツのチャイムの音が一番に気になるし、一番に苦しい。それを塗りかえる術は何もない。嫌なことというのは何をしたって消えてはくれないのだから。
『さん、クリスマス空いてるんですよね?』
「……まあ。一応空いてますけども」
『ちょうどそっちに行く予定があるんですけど、会ってくれますか』
チャイムが止んだ。諦めて帰ったらしい。まあ、ずっとオートロックを開けてもらえない状態でチャイムを鳴らし続ければ不審者と見なされる場合が多い。まだ常識を履き違えてはいないらしい。少しだけ安心した。
ほっとしたら勝手に口が動いた。「ええよ」と飛び出た言葉に内心で、あ、と思った。けれど、もう口から出ていった言葉は取り戻せない。当たり前に角名が「じゃあまた時間とか連絡しますね」と話を進める。まあ、ここで断ったら思わせ振りなだけになるし。そう思って黙っておいた。
「ちゅうか角名も予定なかったんやな。意外やわ」
『そりゃないですよ』
「そりゃ、っちゅうことはないやろ。高校のときからモテモテやったやん」
『いやいや。さんが思ってるほどモテてないです』
高校時代の思い出話をしているときが最近は一番気持ちが落ち着く。未来のことを考えなくていい。今のことも考えなくていい。楽しかった思い出のことだけ話せる。角名はいつもそういう時間をくれるから、つい話に乗ってしまう。
ああ、わたしは、今を生きたくないな。今の自分がとても嫌いだから。今の自分を見たくない。誰にも見られたくない。
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