ピピピ、とスマホのアラーム音が鳴り響く。うんざりしつつ手を伸ばしてスマホを握り、もう見なくても分かる停止ボタンをタップ。手を伸ばした状態で固まってしばらく目を瞑ったままでいる。
 なんか、すごくいろんなことがあった気がする。角名とご飯に行っただけなのに。疲れたんじゃなくて、目まぐるしかった。いろんなことを思い出したり考えたりしたせいかもしれない。
 角名はわたしが乗る電車が来るまで一緒のホームにいてくれた。なんか、そういう扱いをされると気恥ずかしいんだけど。そう言うわたしに角名は「よかったです」とだけ言って、わたしの隣から動かなかった。よかったって何が? よく分からないふりをしつつ、話し相手になってくれるのならそれでもいいかとそっぽを向いた。
 わたしは、これまでの人生であまり男性のほうからアプローチをされた経験がない。ジムで知り合った男性のことは正直わたしも気にしていたし、お互いが引き寄せられた感じがあった。アイツに関しても同じ。わたしも気があって、向こうにも気がある。母数が少ないとはいえ、そういうはじまり方でしか経験がない。
 高校生のとき、正直、角名の気持ちをなんとなく察していた自分がいる。勘違いかもとずっと思っていたそれは、高校三年生の夏に確信に近いものになった。砂埃を払ってくれた角名が、寂しそうに笑ってわたしを見た顔。あれで、確信したのだ。
 自惚れだと笑ってほしかった、という気持ちがある。角名とは良き先輩後輩でいたいし、正直角名は黙って立っているだけでも好きだと言う女の子が寄ってくるような人だ。およそわたしではレベルが合わない。それにスポーツ選手なんて荷が重すぎる。大事な自慢の後輩だし、正しく選択をしてほしいと思う。
 こんな言い方をすると、まるでわたしがアイツとジムの元カレを角名より下としているようで申し訳ない。あ、いや、アイツに関しては申し訳ないなんて思わないけど。人道的によろしくなかったことは認める。心の中で謝罪をしておいた。ただし、これだけは断言したい。角名は自慢の後輩だ。それだけは何を言われようと変わることはない。
 むくりと顔を上げてからスマホを見る。午前十一時半。寝過ぎた。せっかくの日曜日だから午前から出かけようと思っていたのに。がっくりしつつ通知欄を見ると、角名からメッセージが届いていた。楽しかった、という類いの文章。それから、次はいつにするか、という文章。次があるのか。わたしは、やっぱり角名のことが読めない。
 角名がいろんなところに鏤めたものを、わたしは全部見えないふりをした。ないものとしたのに角名は何度でもそれを見せつけようとする。忘れさすまいとするように。少しでも意識に残してしまおうというのがわたしに伝わるほど、角名のそれはささやかでありながら鋭いものだった。
 直接的な言葉をくれたならば、わたしはばっさり切り捨てることができるのに。角名は決してそれをしない。触れることはないけれどずっと近くにいる。そんな感じ。ただの不審者じゃないですか、という角名のツッコミが聞こえた気がした。まあ、大体そんな感じ。一人で笑ってしまった。
 そのときだった。スマホが鳴った。見ていた画面に表示された名前を見て、余計に日曜日が無駄になる。アイツだった。どこぞの誰かも知らない女とわたしを天秤にかけて、騙されているとも知らずに向こうの女に尻尾を振ったアイツ。もう、一欠片も気持ちは残っていない。何があってもよりを戻すことはない。電話に出てやる理由はない。当然無視した。画面を見つめたままアイツから三度の着信を見送っていると、今度はメッセージが届いた。そこには「俺が悪かった。ごめん。やり直したい」とあった。アホかっちゅうねん誰がお前なんぞの謝罪に心が傾くかっちゅうねんいっぺん死んでまえこのドアホ。もちろん返信などしない。ノンブレスでスマホに怒鳴りつけるだけだ。そのあとまた追加のメッセージが届いた。相手の女の子にお金を渡したら逃亡されたこと、まだわたしとの結婚がなくなったと家族に話していなかったこと、昨日わたしと別れたことを話したら母親に詰られたこと、お金を取られて逃げられたと正直に打ち明けたら父親に殴られたこと。つらつらと愚かな己の近況の報告だ。もちろん返信はしない。こういうのは無視が一番。今度はこっちから着信拒否とブロックをかましてやった。
 そら見たことか。やっぱり騙されていただけだった。顔と体と年齢で女を選んだツケが回ってきたんだバーーーカ。一生後悔して生きていけ。わたしの前に二度と姿を現すな。二度と。もう、二度と。もう絶対にわたしを怒らせるな。泣きたくなるから。情けなくなるから。
 もう日曜日は死んだ。この世のどこにも幸せな日曜日なんてものはない。明日からの労働を待つだけの日になった。もう体が重たくて一歩も動けない。最悪だ。角名のことで頭を悩ませているときは幸せだったのにな。
 幸せだった? 自分の言葉に一人で首を傾げてしまう。いやいや、悩んでいるのに幸せとはこれ如何に。何を言っているんだわたしは。訂正。角名のことで頭を悩ませているときのほうがマシだった。そうそうこれこれ。何を言っているのわたしは。しっかりして。スマホをベッドに叩きつけてまた目を瞑ってやる。
 またスマホが鳴った。着拒したのでアイツではないはず。うんざりしつつスマホをまた手に取り画面を見る。わたしの頭を悩ませるもう一人からだ。三秒ほど見つめていても着信は切れない。まあ、とりあえず。そんな気持ちで通話ボタンをタップした。

「はい、寝起きの先輩です」
『え、寝過ぎじゃないですか? 寝起きの先輩、おはようございます』
「おはよう。日曜日はよく眠るようにしておりますので」

 角名は笑いつつ「後輩の角名が邪魔してすみません」と茶化すように言った。邪魔ではないけど。まあ、黙っておく。
 何の用か聞いてみると、メッセージに既読がついたのに返信がなかったから、と言われた。それだけで電話って。練習はどうした。そう呆れると「いま休憩中なんで」と言った。よくよく耳を澄ましてみると角名の声の後ろでいろんな物音がしている。どうやら本当のことらしい。休憩中にしても集中しなさい。ため息交じりに一応注意しておいた。

「え、ということは? 古森選手とかおんの?!」
『いますけど』
「え〜! わたし結構ファンなんよ。古森選手いま何しとる?」
『そういうご質問はお受けしておりません』
「えらい急にガード固なったな」

 ベッドから出つつ角名と会話を続ける。角名は話し上手だ。あんなに暗い気持ちだったのに会話に入り込める。普通の日曜日くらいには回復した気がする。まあ、これも電話が切れたら効果は終了なんだろうけれど。
 そのときだった。チャイムが鳴った。ピンポーン、といういつも通りのよくある音だ。でも、ぞわっとした。なんとなく予感がしたのだ。アイツなんじゃないか、という、嫌な予感が。合鍵は渡していたけど回収できなかったため鍵を新しいものに変えている。それに、オートロックを突破しても部屋に入れないと悟っているに違いない。たとえ何があっても接触することはない。角名と会話しつつ自分を落ち着かせて、恐る恐る来訪者を確認した。

さん?』
「何?」
『何かありました?』
「……なんで?」
『なんとなく。声のトーンが変わったので』

 アイツだった。スーツを着て、花束を持っている気持ち悪い男。ああ、今日はやっぱり最悪な日曜日だ。なんでこんな胸くそが悪いものを見なきゃいけないのか。わたしが何をしたって言うんだ、神様。
 角名には適当なことを言って誤魔化した。しつこく聞き出そうとしてきたけど、もう練習に戻れと言って電話を切ってやった。角名からメッセージがすぐ届いた。開いてみれば「大丈夫ですか? 何かあったら連絡してださい」とあって、しゃがみ込んでしまう。あんたはわたしの彼氏か。優しい優しい彼氏様か。なんだこれ。もうなんか、泣けてきた。


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