「あー、なんか久しぶりにめっちゃおいしいご飯食べた気するわ」
「おいしかったですけど、いつもどんなの食べてるんですか」

 二人でお店を出ると、すぐ近くにある広場がまばゆく光っていた。もう少しでクリスマスシーズンだ。いつの間にイルミネーションなんかつけられていたのだろう。たまに通る道なのに気が付かなかった。
 葉が落ちている樹木にLEDライトが巻きつけられている。広場をぐるりと囲うように植えられている樹木のすべてが美しく光っていて、まるで満開の花が咲いているみたいだ。中央に植えられている大きなクスノキにも施されたライトやクリスマス用のオーナメント。何もかもが甘美な冬のイベントを待ちわびている。そんな密やかなうるささが、正直、鬱陶しかった。

「クリスマスって予定あります?」

 おや、と思った。角名がこの質問をしてきた意図が分からない。高校から付き合っている彼氏がいると角名は思っているはず。別れたことはごく一部の人しか知らないし、バレー部だと治にしか話していない。恋人がいると思っている女にクリスマスの予定の有無を尋ねるだろうか。
 何らかの理由で角名がわたしの破局を知っていたとしても、こんな質問をしてくる理由がいまいち分からない。クリスマスは基本的に恋人どもが楽しむイベント。彼女や気になる女の子の予定は気になっても、ただの先輩の予定は気にならないものだろう。まあ、冷やかしという線もないわけではないけれど。

「ないとも言うしあるとも言う感じやな」
「なんですかそれ」

 けらけら笑いつつ、角名がちらりとイルミネーションに目を向けた。すぐにわたしのほうに視線を戻すと「ああいうの興味あるタイプです?」と聞いてきた。失礼なやつ。わたしはイルミネーションで喜ぶ女に見えないってことですか。可愛げなさすぎかよ。

「LEDの電線巻きつけてどっかにある電源から電気流してるだけのもんやしな」
「あー、さんらしいですね」
「せやけど、これを大変な思いして作った人がおるんやと思ったら、きれいやなと思う」

 社会人の何割が人のために≠ネんて尊い精神で職務にあたってるかは分からない。このイルミネーションを設置した誰もそんな精神でやっていないかもしれない。それでも、大変な作業には違いないのだ。人が苦労して作り上げたものを興味がないと吐き捨てるほど落ちぶれてはいない。まだ、きれいだと思うだけの心は残っている。
 冷たい風を切って歩いて行く。イルミネーションを見上げる恋人たちから目を逸らして。ほんの少しだけ肌が痛い。目が乾燥する。冬は嫌いだ。寒いし痛いし乾燥するし。何もいいことがない。そう、何もいいことはない。そう思うようになったのはごく最近だ。
 クリスマスが好きだった。恋人向けに作られたおあつらえ向きのイベントって感じがして。それを好きな人と過ごすことが、とても好きだった。別にクリスマスに限った話ではない。バレンタインデーでもハロウィンでもなんでもいい。好きな人と過ごせさえすれば、なんだってよかった。
 心底、傷ついた。高校生のときから付き合っていたわたしと、出会ったばかりの水商売の女を天秤にかけて、一瞬で新しいほうに向くなんて。別に水商売の女なんかに、なんて思わない。職業差別をするつもりはない。そういう人たちのおかげで救われている人も大勢いるだろう。何せ、わたしにはできないことだから。素直にすごいと思う。そうじゃない。そういうことじゃない。職業がどうとか騙されているとかそういうことじゃない。ただ、ただ、ぽっと出の人間に、好きな人の気持ちを盗られたことが、好きな人の気持ちがすぐにそっぽを向いてしまったことが、とても、とても。
 嫌なことからは目を背けたくなるものだ。たまり続ける仕事は見たくないし、機嫌の悪い上司には関わりたくないし、変な商売をはじめた友人とは連絡を取りたくない。苦い薬は飲みたくないし、嫌いな食べ物は食べたくない。人間は誰しもそういうものだ。逃げる方法は人それぞれ。わたしの場合は、怒りに変換した。怒ることでつらさを忘れた。
 言い返されて最後に吐き捨てるのが、セックスのことって。お前は猿か。二人でやることを一方的にわたしの責任にして満足だったか。下手くそはどっちだよ。百歩譲ってどっちもだよ。馬鹿か。くだらない。そんなくだらない理由を並べられて不要だと言われたことが、ひどくつらく、ひどく腹立たしかった。

さん」

 角名が立ち止まった。思わずわたしも立ち止まる。角名は背が高いからいつも見上げるような恰好になってしまう。首が痛いのは嫌だけれど今はちょうどいい。こぼれ落ちるものを堪えることができるから。

「泣くほど、嫌なことでもありましたか」

 高校三年生の夏、うだるような暑さにくらくらしたことを覚えている。ゆっくり目を開けたその先に、どこか穏やかな顔をしている後輩がいたことを、どうにも忘れられずにいた。
 ぼんやりする頭ではいまいちはっきり把握できなかったけど、あれは間違いなく、角名だったとわたしは記憶している。熱中症になりかけてダウンしたわたしのそばにいてくれたのだ。角名はどこか冷めていていまいち掴みどころのない後輩だとばかり思っていた。でも、あのときの顔を見て、一瞬で優しいやつなんだろうと認識を改めた。
 泣いてない。そうわたしが顔を背けると「なら俺の見間違いですね」と言って何も聞いてこなかった。歩きはじめたわたしの隣を角名も歩きはじめる。ぽつぽつとどうでもいい話をしながら。
 ぐずっと鼻をすすってから「誰から聞いたん。治やろ」と言うわたしに角名は「何のことですか」と小さく笑った。もうその態度で大体を察する。治のやつ、ぺらぺら話しやがって。まあ、こんな面白い話を誰にも言わずに黙っているなんて無理だろうけれど。しつこく問いただせば角名が「治から聞きました」と自供した。

「ほんまにあんたらは……人の不幸を笑いもんにしよって」
「笑いものにはしてないですし、不幸だとも思ってないですよ」
「どこがやねん」
「今から最低なことを言う自覚があるんですけど、絶対に引かないでもらっていいですか」
「はあ?」

 唐突なその言葉に眉間にしわが寄る。最低だと分かっているならわざわざ言わないほうがいいんじゃないだろうか。角名は空気が読めるタイプだし人の芯を抉るようなことは言わない人だと思っている。何か嫌なことを言おうとしているわけじゃないのだろうか。よく分からないまま「聞いてから判断するわ」と適当に返すと、角名が「えー」と言いつつもわたしの顔をじっと見た。

「笑いものにするとか不幸だと思うより」
「はい」
「俺にとってはラッキーなんですよね」
「……なんで?」
「鈍っ」
「なあ、今めっちゃ馬鹿にせんかった?」
「正直ちょっとしてます」

 笑ってみる。でも、角名はいまいち笑ってくれなかった。くそ、話を逸らせなかった。そんなふうにこっそりため息をこぼした瞬間、誰かが「流れ星!」と嬉しそうに言った声が聞こえた。クラッカーみたいに嬉しそうな声。なんて、羨ましい。


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