「昨日おったやろ、体育館」

 朝、登校して教室に入ってふつうに自分の席に座った。 北くんの席はわたしの席のちょうど斜め前。 振り向いた北くんは「おはよう」と言ってから、突然そんなふうに声をかけてきた。

「え、えー、どうだったかなあ」
「いやはぐらかすん下手やな。 めっちゃ目合うたやろ」
「う……はい……」

 北くんは教科書を机に出してからまたこちらを振り返り、「どうやった」といつもの真顔のまま聞いてくる。 ど、どうと言われても。 わたしは北くんを見に行っただけで、バレーに興味があったわけじゃない。 あの人気らしい二年生の子を見に行ったわけでも、他の選手を見たかったわけでもない。 北くんを、見に行ったんだ。 でも北くんは結局最後まで試合に出なかった。 ずっとベンチにいた。 選手たちに声をかけて、監督みたいな人と話をして。 ちょっと、残念、だったかも。
 いやでもそれ本人に言えるわけないから! 慌てて「ボールびゅんびゅん飛んでてびっくりした!」と笑って答える。 北くんは「びゅんびゅん……?」と不思議そうな顔をしたけれど、「すごかったやろ」となんとなく誇らしげに言った。

、なんやぼーっとしとるみたいやったから」
「へっ」
「ルール分かってへんとちゃうんかって気になってしもうた」

 あ、ふつうに笑った。 そんなふうに笑うこともあるんだなあ。 北くんは「まあ大会も気向いたら応援したってな」と言って、前を向いてしまった。 もうちょっと話したかったな…………ってなんだそれ、ちがうちがう! それよりも昨日連れて行ってくれた子たちに、お礼、言わなきゃ……ってあ! そうだった!

「あ、あの、北くん」
「ん」
「前に日直、あの、いっしょにしてくれたとき、ありがとう……」
「……俺、なんもしとらんけど?」
「えっ、あ、いや、だから、あの……ご、ごみ捨ててくれたし、黒板も……」

 なかなかきっかけがなくて言いそびれていたお礼を忘れていた。 自分から人に話しかけるのは苦手。 苦手だからって避けていたらだめだっていつもなら気にしないのに。 なんでか、北くん相手だと、緊張してしまって。 しどろもどろ話すわたしの言葉を北くんは茶化さず、急かさず、ただ黙って聞いてくれた。 そうして「だ、だから、ありがとう……」と無理やり締めくくると同時に「どういたしまして」と穏やかにほほえんだ。 けれどもすぐに表情がいつもどおりに戻り、「せやけどあれはは日直別のやつと代わったったんやし気にせんでええやろ、体調悪そうやったしな」と言う。 いや、だから、あの、勘違いなんだけど。 言おうか迷っていると北くんは「良うなってよかったわ」と言ってから「チャイム鳴るで」と時計を見る。 慌てて「あ、うん」とだけ返してわたしも教科書を出した。
 一限目、二限目が終わり、三限目は体育の授業だ。 着替えに向かう途中、昨日お世話になった子たちにお礼を伝える。 「あんなんなんもしとらんようなもんやで!」と言ってくれるからうれしくて、でもやっぱり何か返さないとなあと考えてしまう。 着替え終えてから体育館に向かっていくと、途中で男子と鉢合わせた。 そこで「今日好きなもんやってええって」という話を聞くと、運動部女子組は歓喜の声をあげた。 体育の先生、自由な人だからなあ。 男子も同様に、体育館でも運動場でもどっちでも好きなほうを選んでいいと言われているらしい。 仲良し女子グループはきっとみんな同じものを、と、思ったのだけど。 どうやら各々やりたいものに散らばっていくみたいだった。 全員グラウンドのサッカーに混ざったり男子の野球を見たりするほうに行くらしい。 なんだ、バレー部二人はバレーをやる流れにならないのかあ。 外よりは中にいたいし、適当に卓球をやる子に混ざろうかなあ。 大人しい女子三人組はきっと中にいるだろう。 そこに混ぜてもらえたら一番いいなあ。
 体育館に入ると思った通り女子三人組を見つけた。 卓球台の近くにいるから卓球をしようとしているのも分かった。 そこへ行こうとした途中「」と呼び止められる。 思わず立ち止まると、バレーボールを持った北くんが「何やるんか決めとるか」と真顔で聞いてくる。 不思議に思っていると「決まってへんかったらバレーせえへん?」と言う。 なんでも最初は他の男子といっしょにサッカーに混ざろうかとしていたそうなのだけど、行こうとしたところにわたしが入って来たらしい。

「で、でもわたし、バレーやったことない……」
「できひんくてもええよ」
「……教えてくれる?」
「俺でええなら」

 女子三人組の卓球に混ざろうとしていた足を、北くんのほうへ向ける。 北くんは近くにいた、恐らくいっしょにサッカーをしに行こうとしていた男子数人に「体育館残るわ」と声をかけてからこちらを向き直す。 体育館には卓球をしようとしている男女数人、その近くでバトミントンをしている男女数人、そうしてわたしたちだけ。 どうやらグラウンドで野球をしたりサッカーをしたり、あとテニスコートまで使用OKだそうでそっちが人気みたいだ。 バレー部の人たちもそっちに行ったみたいだ。 北くん、バレーやりたかったけど誰も残らなさそうだったから諦めたのかな。 そんなふうに思ってつい「残念だね、バレー誰も残らなくて」と苦笑いで答えてしまう。 すると北くんは不思議そうな顔をして、「いや」と首を傾げる。

が体育館来たでバレーやりたいんとちゃうかと思うたで呼び止めただけや」

 「ちゃった?」となんだか申し訳なさそうな顔をされた。 あ、そんなふうに思われていたのか。 ということは逆に気を遣われてるのか、わたし!
 北くんの教え方は簡単に表すならばひたすら丁寧だった。 初心者かつルールも何も知らないわたしは、どこでボールを受ければいいのかさえ分からない。 そんなわたしに一から丁寧に北くんはお手本を見せてくれながらしっかり教えてくれた。
 あわあわしつつもボールを返す。 はじめはうまく返せなかったけれど北くんがコツを教えてくれたおかげでちょっとずつ北くんに向かってボールがちゃんと返るようになった。

「上達早いで教え甲斐あるわ」

 教室にいるときとちょっとだけちがう。 きらきらしてる。 北くん、バレー好きなんだなあ。 こんな下手っぴなわたし相手にもちゃんと教えてくれる。 丁寧に、ひとつひとつ。 それって絶対に面倒なことだと思うし、できる人からしたら苛立ちさえすると思う。 それでも北くんはそんなふうに思わせない、真面目な態度でちゃんと一から教えてくれる。 別にバレー部員でもないわたし相手に。
 北くんこわい。 なんでだろう。 きらきらして見える。 優しくされるとくすぐったくて、笑われるとなぜだかとてつもなくうれしくて。 北くんこわい。 この時間がずっと続けばいいのに。 なんて、バレーが好きなわけじゃないのに思ったりして。 こわい、北くんこわいよ。 日を追うごとに北くんが気になって、気になって、仕方なくなっていく。 北くんこわい。 何の能力なんだろう。 人を惹き付ける能力? 北くんこわい。 こわいけど、もっとお話ししたいなあ。

top / 6