さんほんまありがと! 今度ジュース買うてくるわ!」
「ううん〜気にしないで!」

 ひらひらと手を振る。 彼氏と放課後デートの約束をしているのに今日日直や、と嘆いていたきゃぴきゃぴギャルに話しかけた。 わたし予定もないし代わろうか、と。 その子はぱあっと神様でも見たように明るい顔になり、「ほんま?!」とすがるようにわたしに近寄って来た。 掃除当番を代わるくらいなんでもない。 これをきっかけに喋れる間柄になれればいいのだ。 第一印象は正直、ギャルって苦手なんだよな〜って思っていたけど実際に喋るとしっかりした子が多かったりする。 この子たちもそういうギャルみたいでほっとした。
 日直は男女一人ずつのペアでやるのだけど、相方はどこへ行ったのだろう。 ハテナを飛ばしつつも日直の仕事である放課後の黒板掃除、ごみ捨てをはじめることにする。 そういえば、と教卓を見る。 学級日誌がない。 日直が今日の時間割と授業内容を簡単に書き、欠席がいれば欠席者の名前や要望、最後に今日一日を振り返って何か一言書くのだけど。 教卓に置いてあるはずなのにどこにもない。 そこでピンときた。 日直の相方がもう書いて職員室へ提出しに行ったのだろう。 なるほどなるほど。 相談がなかったとはいえ見事な分担だ! 残った側の仕事量がものすごく多いけどね!
 帰りのホームルームで先生が黒板に連絡事項を書いていたからそれを消すところからはじめよう。 うちのクラスの担任は身長が高い男の先生なのだけど、黒板の上のほうにも文字を書いている。 何か台を持ってこないと消せないかな。 近くを見渡しても良さげな台が見当たらない。 仕方ない、自分の椅子を台にして消すしかないか。 一度教壇から降りて自分の椅子を持つ。 黒板の前に椅子を置いてから中履きのスリッパを脱ぐ。 足を椅子に掛けて乗ろうとした瞬間、教室のドアが開いた音がした。

、何しとんのや」
「……北くん、今日もしかして日直?」
「そうやけど」

 「日誌職員室出してきたとこやけど」と言いつつ北くんは教壇にあがって黒板消しを手に取った。 下のほうの文字を消しつつ思い出したようにまたわたしを見る。 「、今日日直ちゃうやろ」と真顔で言い放たれると、なぜだか怯えてしまう。 だって北くん、こわいんだもん。 内心そう思いつつ「よ、用事あるみたいで代わったの」とにこにこと笑って答える。 北くんはまるでネコがじっと敵か味方か判別するかのように瞬きせずにわたしを見つめた。 数秒してから「そうか」と納得した様子で視線を外してくれた。
 気を取り直して。 黒板消しは二つあるので、下のほうは北くんに任せよう。 椅子に乗って上のほうを、と思い直しているとまた視線を感じた。 じっとこちらを見ている北くんににこにこと笑いかける。 「なに?」と聞くと「いや、何しとんのやろうと思うて」と至極真面目に言われる。 な、なにしてるって! 日直の仕事をこなそうとしてるんだけど?! 予想外の質問だったから固まってしまっていると、北くんは「ああ、そういうことか」と一人で結論付けたらしい。

「はよ降り。 危ないやろ。 上のほうは消しとくで」

 北くんはそう言ってわたしに手を伸ばす。 危ない、って。 ちょっと椅子に乗って黒板を消すくらいできるよ。 子どもじゃないし。 別に手を借りなくったって。 だって、わたしだけ何もやらずにいたら北くん、「さぼってる」って思うでしょう? そう思われちゃいけないからやろうとしているのに。
 伸ばされた手をちょんと触ってしまう。 北くんはいともたやすくわたしの手を握ると「はよ」と言った。 ゆっくり降りると北くんは手を離して「は下消してくれへんか」と黒板の上を見上げて言う。 北くん、意外と身長あるんだなあ。 なんだかそんなイメージがなかった。 なんとなくひょろっとしているというか、大きいとか思ったことがない。 わたしが小さいというのもあるかもしれないけれど。
 あ、いや、今はそれはどうでもいい。 慌てて北くんに笑いかける。 「ごめん」と言えば、北くんは真顔のまままたじっとわたしを見つめる。 その視線、苦手だ。 奥の奥まで見えているのかと思うくらい鋭くて、なんだか圧がある。 それがこわい原因、かな?

「な、なに……?」
「しんどいんやったら休んどってええよ」
「えっ?」
「また顔引きつっとる」

 「無理せんほうがええんとちゃうか」と北くんはいつの間にかわたしの椅子を持ち上げて言った。 そのままわたしの席に戻すと何事もなかったように黒板の掃除に戻る。 し、しんどく、ないし。 別に体調は悪くない。 絶好調だよ。 北くん、わたしの何を見てそう言ってるんだろう。 顔引きつってるのかな。 ちゃんと笑っているつもりなのに。

「しんどいのに日直代わったったらあかんやろ。 人に気遣いすぎやで」

 体調管理は自分でしかできへんしな、と付け足して北くんはわたしが消すはずだったところまで黒板消しを滑らせる。 いや、え、というか、なんでわたしちょっと説教されてるの? 北くんが勝手に体調悪いって勘違いしてるだけだよ。 困っている子と代わっただけだよ。 頭の中ではいくつも反論できるのに、そんなことを言ったら鬱陶しがられそうで言えなかった。
 北くんは文字を消し終わった黒板を、まるで畑を耕すように上から下へ、消しムラが残らないように仕上げをはじめる。 真面目。 日直の子、みんなそんなことまでしてないよ。 北くんがきれいに消した黒板は消しムラ一つない、水拭きでもしたのかと思うくらいきれいに仕上がった。

「部室行く途中にごみ捨て場あるで、ごみは俺捨てとくわ。 はよ帰って風呂入って寝とき」
「え、で、でも」
「ほんまに行く途中にあるでついでや。 気にせんでええよ」
「……北くん、何部なの?」
「バレー部や」

 ごみ箱から袋を外す。 北くんはぎゅうっとごみを潰しながら口をきゅっと縛った。 新しい袋を出そうとしたので「そ、それわたしやる!」と大急ぎでごみ袋を取り出して広げると、北くんはなんだかおかしそうに笑う。 「、気にしいなんやな」と。 気にしい、なのかな。 だってやってもらってばかりじゃ、だらしないさぼりだって思われるかもしれないし。 せめてちょっとくらい何かしないとどう思われるのか怖くて。
 北くんは自分の鞄とごみ袋を持ち上げて「ありがとうな」と言ってから出て行った。 ありがとう、って、北くん言う必要ないんじゃないかな。 むしろわたしが言わなきゃいけない、って、ああ! ちゃんと言ってない!! ほとんどやってもらったのにお礼も言えない女子って思われる!! 大急ぎで廊下に出たけれど、もう北くんの姿は見えなかった。
 北くん、こわい。 わたしなんにもしてないのにお礼言われるし、別に体調悪くないのに心配してくれるし、ついでに説教もしてくるし。 こわい、なんでだろう、北くんこわい。 北くん、バレーしてるとき、どんな顔するんだろう。 真顔なのかな。 大笑いしたりとか、泣いたりとか、怒ったりとかするのかな。 ……な、なんでこんなこと、考えてるんだろう。 こわい、北くんこわい。 気付いたら北くんのことばかり考えている。 なんでだろう、こわい。

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