「でも、これも結果≠フうちかなあ」

 北の静かな声のあとに、アランのやかましい声が夕焼けの下で響く。それを少し後ろで見ていたのだけど、ぐるりとこちらを振り返ったアランが「せやんな?!」とわたしに同意を求めてきた。巻き込むな。そう思いつつ「せやなあ」と笑って返しておく。
 三年生になって、わたしははじめて北が泣いているところを見た。監督にユニフォームを渡す役割を任されたわたしは、監督の隣で準備を進めていた。監督が選手に話をしている間に、カッターで封を切って段ボールを開けた。一番上には背番号一番のユニフォーム。ちょうど監督の話が終わったタイミングだった。一番のユニフォームを手に取って、監督に渡す。そのすぐあとに「一番、北」と監督の声が静かな体育館に響く。主将に指名された北がユニフォームをもらうことは当然なのかもしれない。運動部の中には補欠の主将がいるのももちろん知っているけど、それでもやはり主将はユニフォームを着てコートにいるイメージがある。北がそうしている光景はすぐに思い描けたし、わたしを含めて同輩はみんな、それが当然のもののように思っていた。
 中学のとき、ユニフォームすらもらったことがないと北から聞いたとき、わたしはただただ驚いたことを覚えている。生真面目と言っていいほど真面目で、確かに目立つ選手ではないけれどどこまでも堅実。そんな北が、一度もレギュラーに入ったことも控えに入ったこともないとは思ってもみなかった。贔屓目で見ているのかもしれないけれど、わたしにとって北は十二分にすごい選手だった。言葉のどれもこれもしっかりした説得力があって、コートにいて何一つ不安がない。北が日頃の練習に真面目に取り組み、妥協することなくまっすぐ前を向いている姿を知っていたからだ。でも、それは、すべてが実力と結果に繋がるわけじゃない。現に、北は一年生のときはもちろん二年生のときも、一度も試合に出たことがない。
 ユニフォームを受け取って静かに泣いた北を、監督の隣でぼけっと見るしかできなかった。泣いている。あの北が。そう呆気に取られて、口が半分開いたままひたすら監督にユニフォームを渡し続けた。
 その涙が、これまでの何もかもが滲んできらきら光って見えた。ああ、この人は、本当にすごい人だ。心からそう思った。本当に努力して、本当に全力を尽くして、本当に真剣に歩んできたからこその、美しい涙だったと思う。男が泣くなんて、とかクソったれなことをいう馬鹿もいるかもしれない。そんなことを言うやつがもしいたらわたしが必ずぶっ飛ばす。だから、どうか、この人のひたむきさが、これからも美しく報われてほしい。そう心から願った。



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「模試爆発したらええねん」
「模試が爆発ってどういう状態やねん」

 三年から同じクラスになったアランが参考書を睨み付けながらぼやく。二日後に迫った模試に向けて勉強をしているらしいが、一向に進まないようだ。アランは今のところバレー一本で進んでいくと聞いている。模試なんてそこそこで流してしまってもいいだろうに、変なところで真面目。頑張ろうとしている人をからかう趣味はないので「そこ、公式間違うとる」と指を差して教えると「ほんまや」と消しゴムで途中式を消し始める。
 アランはふと顔をあげて「そういやは進学するんやっけ?」と思い出したように聞いてくる。三年生になってから、卒業後の進路の話をすることが増えた。もちろんわたしにもその話題を振ってくるのだけど、これまでなんとなく明言を避けていたところがある。正直やりたいことが分からないままだし、進学してもいいとも就職してもいいとも思っている。曖昧なまま受験生になってしまったことがなんだか恥ずかしくて、深く話さないようにしているのだ。

「大耳と赤木は進学する言うとったっけ」
「勘違いやったら笑うてほしいんやけど」
「なに?」
って、進路の話したないん?」
「…………アハハ」
「めっちゃ目泳ぐやん」

 苦笑いされる。ついにバレた。まあ、そりゃバレるよな。内心そう諦めつつため息をつくと、アランが小声で「信介、気にしとったで」と言った。
 北にも進路の話はしていない。北はあんなに成績が良くてどの大学でも行けるだろうに、進学するつもりはあまりないようだった。前に話していたやりたいこと≠ヘ大学に行かなくてもできることらしい。まだ何かは教えてもらっていないけれど。
 卒業した後、わたしと北はどうなるのだろう。答えは簡単。分からない、だ。だってわたしがずっと迷っているから、分からなくて当たり前なのだ。

「わたしさあ」
「おう、何でも言うてみい。アランさんが的確なアドバイスしたるで」
「出来損ないなんやって」
「…………」
「おいコラ、適切なアドバイスせえや」

 笑ってアランの頭を叩く。びっくりしたような顔をしたアランは「え、なんて?」と分かりやすく首を傾げた。なんても何も。そのままなんだけど。
 出来損ない。ついに溢れた母親の言葉だ。姉は東京の大学で首席の成績をキープしている。その上いいとこのお坊ちゃんが彼氏になったとかなんとか、母親から聞きたくない姉の近況を聞いた。昨日の母親は少し、気が立っていたらしい。進路のことを聞かれたので「まだ決めてへん」と嘘偽りなく答えたら、「お姉ちゃんはもうしっかり進路決めとった時期やで」と少し声を荒げられた。それに、カチン、と来て。母親と言い争いになった。お姉ちゃんと比べやんといて、わたしはお姉ちゃんみたいになりたいなんて言うたことあらへん。ずっと抑え込んでいた言葉が部屋中に散らばっていった。それを蹴散らすように母親は「お姉ちゃんと違ってあんたは出来損ないや!」と叫んだ。その瞬間、プツ、と何かが切れた。

「……俺は知っとるぞ」
「何がやねん」
はめっちゃ要領ええし何でもすぐ気付くし、知らん間に仕事全部終わらせる敏腕マネージャーや」
「そらどうも」
「勉強もいっつも予習復習は怠らへんし、自分が理解するまでやらんと気が済まん努力家や」
「はいはい」
「誰に言われたんか知らへんけど、俺らはちゃんと知っとるで」

 アランのくせに。内心でそう呟いたけど、声にはしなかった。今何か言葉にしたら泣いてしまいそうだったから。

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