朝九時。北といつも帰り道で別れる曲がり角で待ち合わせて、二人で駅に向かった。北の私服、ちゃんと見たのははじめてだ。ただ今日は動きやすい服と指定があったので、北も普段より動きやすい服を着ているのだろう。今度映画にでも誘ってみようかな。内心そう思いつつ窓の外の景色を眺める。
 北の行きたい場所、というのは森林公園だった。ハイキングコースが人気のところで、わたしは小学生のときに自然学習で行ったことがある公園だ。北も同じく小学生のときに行ったことがあるらしいけど、二時間ほどのハイキングコースには行ったことがないそうで、それに少し興味があったと教えてくれた。舗装された散歩道と少しの山道、階段を上って展望台に行くというコースだ。公園内には様々な植物があって季節の花を楽しめる。家族連れからカップルまで幅広く人気のあるところだ。
 これは一応デート、というものでいいのだろうか。こっそり北の横顔を盗み見しつつ考える。デートっていうとカフェでお茶したり映画に行ったりというようなイメージがある。公園で散歩というのも立派なデートと思っていい、よね。それならこれが初デートというやつになるのだけど。
 そんなふうに一人でそわそわしていると北が「お茶かなんか持っとる?」とわたしの顔を覗き込んだ。昨日の夜に所謂ハイキングに必要なものはしっかり調べてある。水筒を持ってきた、と言うと北が少し黙った。え、変なこと言ったかな。不安に思っていると、北が笑って「のそういうとこ、好きやわ」と言った。そういうとこ、とは。突然の発言に照れてしまう。そういうの急に言うんだよね、北。未だに慣れない。
 目的の駅で降りて、歩いて五分ほど。森林公園の入り口が見えてきた。夏本番前の今の季節は新緑がとてもきれいで、山も青々と茂っている。森林浴にはもってこいの天気だ。公園内にはたくさんの家族連れが楽しそうにはしゃいでいる声が広がり、カップルが自然を見ながら散歩をしている姿もちらほら見かける。

「一番楽なコースで行くつもりやで、池の周りをぐるっと回って遊歩道に入ろか」

 どこからともなく取り出した公園のマップを見ながら北が言う。そのマップ、いつの間に手に入れたんだろうか。引率の先生みたい。ちょっと笑ってから「せやな」と返すと、マップをしまいつつ北が歩き始めた。
 大きな池に沿って歩いて行く。ランニングしている人とすれ違ったり、楽しそうにかけっこをしている子どもたちとすれ違ったり。穏やかな時間だ。いまいちどこかに遊びに行くというイメージがない北にぴったりな場所だな、なんてちょっと失礼なことを考えてしまう。そんなことを考えているなんて知るよしもない北の顔がくるりとこちらを向いた。

「今時の若者のなんとかスポットとか、あんまよう分からへんくて」

 今時の若者ど真ん中のはずの十代の発言には思えない。それがなんとなくツボに入ってしまって、大笑いしてしまう。北は「しゃーないやろ、ほんまに分からへんかったんや」と言ってまた池のほうに顔を向けてしまった。まあ確かに、北が今時の若者が好きなところにいるイメージがない。こういう自然に囲まれた穏やかな場所にいるほうがよっぽど北らしい。ひとしきり笑ってやってから「楽しいで大丈夫やで」と言ってみる。照れ隠しで池ばかり見ていた顔が、またこちらを向く。北は少しほっとしたような顔をして「それならよかったわ」とはにかんだ。
 歩いている途中に花が咲いているのを北が見つける。わたしも視線を何気なくそちらに向けて「ツユクサやな」と言うと北が「分かるんや?」と意外そうに言う。特に花が好きというわけではない。中学のときに園芸部の先輩から教えてもらった花をいくつか覚えているだけだ。それを北に説明すると見かけた花や植物をいくつか聞かれる。知っているものがほとんどだったから答えていく。そんなに興味があるわけでも楽しんでいたわけでもなかった園芸部。こんなところで役に立つ日が来るとは。そんなふうに思っているわたしに北が「好きやったんやな、園芸部」と笑った。
 好き、だったのだろうか。自覚はない。けれど、言われてみるとそうだったのかもしれない。こうして自然に触れることは好きだ。癒やされるし、のんびりできるし。園芸部で花の植え替えをするのも嫌いじゃなかった。水やりをしているうちにいつ芽が出るか楽しみに思う瞬間もあった。よくよく考えると確かに好きかも。どうして当時はそう思えなかったのか分からないけれど。
 遊歩道に入るとさらに木々が生い茂り、まるで森の中にいるような感覚になる。しっかり舗装されている道なので歩くことは全然苦じゃない。普通の散歩道みたいだ。ときおり鳥が飛び立つ羽音が聞こえ、それに伴って木の枝が揺れるような音が聞こえてくる。木漏れ日の中を歩いていると自然に肩の力が抜けた。
 二人で話しながら歩いて行けばすぐに遊歩道を歩き切ってしまう。「展望台」と書かれた案内板の矢印が上を向いている。少し細くなっている入り口。ここから山道に入る。家族連れでも登れるような超初心者コースとはいえ、結構な獣道に見える。山登り初体験なのだけど大丈夫だろうか。若干そう思いつつ山道に入った。北もあまり経験はないそうだけれど、しっかり下調べをしてきてあるようだ。しっかりした足取りで山道を進んでいく。落ち葉を踏みしめながら歩いていく。結構楽しい、かも。大きな岩の上を進んだり、斜面を登ったり。途中で登山上級者らしき人たちに「こんにちは〜」と笑顔で声をかけられた。二人で挨拶を返すと、その人たちは上級者コースに入っていく。展望台じゃなくて本当の頂上を目指すのだろう。ああいうのも楽しそうかも。

「結構しっかり山道やな。大丈夫か?」
「全然平気。結構好きやわ、こういうん」

 ずる、と少し足が滑ってしまう。すぐに北が腕を引っ張ってくれたので転ばずに済んだ。ぐいっと引っ張ってもらいながら斜面を登り切ると、平坦なコースに入った。北にお礼を言いつつ服についた土を払う。北はわたしの腕を離してから、同じように服についた土を払っていた。わたしたちが歩いてきたコースを家族連れも歩いている。きゃっきゃと楽しそうにしている子どもの声。元気でかわいいな。そんなふうに思いながら先へ進む。
 平坦な道が終わると、展望台まで続く階段が果てしなく続いていた。これはなかなかきついぞ。そう思っていると北が「ゆっくり行くで、しんどかったら言うてな」と声をかけてくれた。さすが運動部。このくらいは平気なのだろう。まあ、バレー部の中で見ると北は小柄なほうに入ってしまうけど、一般的に言うと背も高いし筋肉質なほうなんだよな、実は。今日公園に入ったときも、他の男の人と比べてちょっと思ったけど。
 子どもでも上りやすいようにしてあるのか、一段一段が小さめの階段は結構しんどい。上りはじめて三分くらいですでに息が上がってきた。北が立ち止まって休憩をしてくれるので、リュックから水筒を出して一口お茶を飲む。汗をタオルで拭いていると北が「リュック持とか?」と手を差し出してきた。いやさすがにそれは。お礼を言ってから「大丈夫」と笑うと、北は「しんどかったらいつでも持つで」と言ってくれた。優しい。きゅんとしつつ、また階段を上がりはじめる。
 これ、明日筋肉痛だな。そう確信しながら階段をひたすら上がる。生い茂る木々が揺れる音や動物の鳴き声。自分と北の足音。呼吸音。それしか聞こえない時間は、苦しいけれどとても心地よくて。いつもよりよっぽど息がしやすい。そんなふうに思った。

「あと十段くらいや」

 ぜえぜえ言っているわたしを見て北が笑う。汗はかいているけどけろっとした顔をしていて、なんだか悔しい。体力、絶対つけよう。そう目標を立てつつ、手を伸ばしてくれた北の手を取る。ちょっと引っ張ってもらいながら残りの十段を上がると、一気に視界が開けた。
 街が一望できる展望台。涼やかな風が髪を揺らしてくれると、上がっていた呼吸が少し落ち着いた。きれい。馬鹿の一つ覚えみたいにそんな感想しか出てこない。北の手を握ったままぼけっと突っ立っていると、北がその手を引っ張って歩いて行く。展望台のベンチまで来ると先に座る。わたしも座りつつ、まだぼけっと景色を眺めていた。
 なんか、本当にちっぽけなんだな。わたしが苦しんでいることなんか。そんなふうに思う。どうしてなのかは分からないけれど。
 北はわたしの手をしっかり握ったまま、同じように黙って景色を眺めていた。何を考えているかはもちろん分からない。分からないけれど、北とわたしの体温が同じくらい熱いことは分かる。今はそれだけで十分だった。
 二人で無言のまま景色を眺めてしばらくしてから北が口を開いた。「と来られてよかったわ」と言った横顔が、とても好きで。わたし、北のことが好きだなあ。そんなふうに、気持ちが鮮やかに色付いた。ぼんやり思っていたそれがしっかり輪郭を持ったように、しっかりつかみ取れるように。それを乗せるように「わたしも」と返したら、ぴくりと北の指が動いた。そのあとすぐにきゅっと手を握り直してくれる。「それならよかったわ」と笑う顔が、もっと好きだった。



▽ ▲ ▽ ▲ ▽




 また公園に戻って、軽くお昼ご飯を食べてから電車に乗った。二人ともかなり汗をかいたし、明日も学校だ。今日はこれで解散しようかと北が気を遣ってくれたのだ。確かに、この汗だくのまま北といるのはちょっと女子としては。まだ一緒にいたい気持ちはあったけれど、また次がある。今回は北の気遣いに乗ることにした。
 最寄り駅で降りて歩いて行く。今日の思い出話をしながら二人で笑っていると、「あ」と聞き覚えのある声が聞こえた気がする。何気なく声が聞こえてきた方向を見ると、思わず足が止まった。

「……」
「……」
「……き、奇遇やな〜?」
「今日、ええ天気やな〜?」

 明らかに動揺しているアランと赤木、大耳。三人は駅前のショッピングセンターから出てきたところだったらしく、とんでもないタイミングで鉢合わせてしまった。そういえば昨日、夜にアランから「明日赤木たちと映画行くけども行かへん?」とラインが届いていたっけ。先に北と約束していたし、用事があるからと断ったけれど。北も誘われていたけど断ったのだと思う。アランたちは映画を観終わったところなのだろう。わたしと北が固まっていると、三人がこそこそと「え、これどないしたらええん?」と会議をはじめる。いや、聞こえてるから。
 こっちもこっちで小声で「どないする?」と北に聞いてみる。部内恋愛、というのがなんとなく知られることが恥ずかしかったり気まずかったりして内緒にしていただけに、この展開はちょっと避けたかった。北は少し考えてから「まあ、ええやろ。この三人なら」と苦笑いをこぼす。まあ、確かに。気恥ずかしいことには気恥ずかしいけれど。
 腹をくくったらしい。三人を代表してアランが「あー、えーっと」と言いづらそうに口を開く。

「その〜、二人はなんちゅうか……付き合うとんの、かな〜とか……」
「そうやけど」
「即答かい! 聞きづらくて歯切れ悪なった俺がはずいやろうが!!」
「信介とが……嘘やん……」
「いや、お似合いやと俺は思うけどな」

 北とわたしよりアランと赤木のほうが照れている。二人は恐る恐る「え、いつからなん……?」からはじまりいろんなことを聞いてきた。大耳だけは「まあ別に驚くほどでもない」と笑っていた。一応三人にはこれまであえて言っていなかった理由を話した。三人とも「分かる」と同意を示してくれたので、北とわたしが自分たちから言わない限りは黙っていてくれると笑ってくれる。北の言うとおり、この三人なら大丈夫そうだ。
 気恥ずかしさが薄らいだらしい赤木が「ちょっと詳しく話聞かせてもらわなあかんな〜?」とカフェに入る気満々だったけれど、北もわたしも軽く山を登ったあとだ。今すぐに家に帰ってシャワーを浴びたい。北がそれをそのまま説明すると「デートが山登りて!」と赤木が笑う。「めっちゃ北信介やんけ!」とアランが言うと大耳も吹き出した。それは完全に同意。

「めっちゃ北信介やったしめっちゃ楽しかったで」
「ア、ちょお待って、同級生の惚気はまだ、まだちょっとはずいわ、直視できへん」
「なんやねんそれ」

 笑いつつ三人とはそこで別れる。「お幸せに〜」と見送られつつ、二人で背中を向ける。思わず息をついていると北も同じように息をついた。多少は気恥ずかしかったのだろう。思った通り北は「意外とはずいねんな、こういうん」とまた息をつく。あまり見ない表情が物珍しくて笑ってしまう。
 いつも通りの帰り道。これまで別れる場所だった曲がり角。北は当たり前のようにわたしの家の方向へ曲がった。明日の部活がどうとか授業がどうとか。何でもない話をしているだけのこの時間がやっぱり、永遠に続いてほしいと思う。永遠なんてどこにもないと分かっていつつも。

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