お客様にお釣りを渡して「ありがとうございました」と見送る。笑顔で出て行った小さなお客様に思わず笑みがこぼれると、パートさんもにこにこ笑って「ずいぶん悩んでましたね〜」と微笑ましそうに言った。ずっとお母さんへの贈り物をどれにしようか迷っていた女の子。声をかけようか迷ったのだけど、選んでいる顔がとても真剣だったから見守っていた。レジに持ってきたかわいいハンカチとリボンの髪飾り。きっと喜んでくれるだろう。そう、温かい気持ちになった。

「あ、あの〜……さん……」
「はい?」
「昨日の飲み会、私酔っ払ってて……変なこと言ってすみませんでした」

 一瞬何を謝られたのかよく分からなかったけど、少し考えて思い至った。彼氏と結婚しないのか、と聞いてきた後に、そのうち嫌になられるかもしれない、とわたしに言ったことだろう。びっくりしたことにはしたけれど、何も間違ったことを言われたとは思っていない。「気にしてないですよ」と言ったらパートさんは「よかった。すみません」と胸をなで下ろした。
 言われたことは、何もかもが事実でしかなかった。本当にその通り。いつもいつもわたしに合わせてばかりでは、きっといつか気持ちに限界が来る。秋紀だって日々忙しくて大変なのに。わたしばかり優しくしてもらっている。図星を突かれて傷ついたように錯覚してしまったのだ。情けないのだけれど。
 パートさんが「彼氏さん、迎えに来てくれてたんですよね?」と笑って聞いてきた。どうやら店長からこっそり聞いたらしい。照れながら「はい」と答えたら「優しいですね、羨ましい」とため息を吐いた。パートさんは既婚者だ。旦那さんとは仲が良くて、休みの日は大抵旦那さんと出かけていると聞いたけれど。何か悩みでもあるのだろうか。軽い気持ちで「何かあったんですか?」と聞いたら、パートさんが「昨日喧嘩しちゃって」と肩を落とした。

「私、カッとなりやすいんですよ。それで思ってもいないのにあなたよりいい人が周りにいたのに≠ニか言っちゃって……昨日の夜から口を利いていないんです……」
「そ、それ、旦那さんはなんて……?」
「俺だってお前よりきれいな人から言い寄られてたのに≠チて……ショックで……」

 売り言葉に買い言葉、というやつなのだろうけれど、好きな人の口から実際飛び出てきた言葉は相当に鋭く感じただろう。かける言葉が見つからなくてパートさんと肩を落とすしかできなかった。
 わたしはそう秋紀に言われたら、なんて返すだろうか。少し考えて、苦笑いをこぼしてしまう。それなら別れようって言ってしまうだろうから。そもそも喧嘩にならない。秋紀は優しいし、カッとなることもない。そういうことを言う日が来るとしたら、秋紀からわたしに別れ話をしてくるときだろうから。
 秋紀はどうしてわたしに優しいのだろう。どうしてわたしと付き合っているのだろう。何も返してこない、合わせてもこない。そんな何もしない情けないやつなのに。考えれば考えるほど分からなくなる。そうして、胸が痛くなった。

「帰ったら別れたくないーって縋り付いちゃうかもしれないです。情けないですけどね」

 パートさんは苦笑いでそう言ったけれど、わたしは情けないだなんて思わなかった。きっとわたしだったら、縋り付くこともできずに別れを受け入れてしまうだろうから。そのほうがよっぽど、情けないと思った。



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「お疲れ」

 今日も、秋紀が店まで迎えに来てくれた。曖昧に笑って「いつもごめん」と言ったら秋紀は「え、なんだよ急に」と笑った。わたしが持っている荷物を自然に奪いながら「明後日の休み、どこ行く?」と顔を覗き込んでくる。明後日はわたしが休み、秋紀が元々午後休になっている日だ。とはいえ、秋紀は次の日は普通に出勤だし、午前も働いている。ゆっくり休むのが一番だと思うのだけど。

「……休まなくて大丈夫なの?」
「ん? 俺? 大丈夫だけど、がしんどいなら家でゆっくりするのでも全然いいよ」

 わたしに合わせるためにどれだけ仕事を頑張っているのか、わたしは知ることができない。秋紀があまり仕事の話をしないし、愚痴もこぼさないからだ。しんどいとか大変だとか、そういうことをもっと言ってくれてもいいのに。そう思うけれど言わないようにしているのに無理やり聞くのは申し訳なくて。
 どうしたいか考えておいて、と言われた。それに「うん」と返したら秋紀が「何かあったのか?」と聞いてきた。何か、とは。そんなことを聞かれるなんて思わなくてちょっと動揺してしまう。秋紀は「なんか元気ないから」とわたしのおでこを触りながら言う。熱がないかを見てくれているのだろう。もちろん熱はない。ただ、少し、胸が痛いだけで。

「この前言ってた新店の件とか? 何か言われたのか?」
「ううん、そうじゃないよ。大丈夫。何でもないよ」
「何でもなくないから聞いてるんだろ〜」

 困り顔をされてしまう。秋紀はわたしのそういうところに敏感だ。少しでも元気がなかったり、体調が悪かったりするとすぐに見抜かれる。でも、今回のこれは説明しようがなくて。「本当に。何でもないよ」と繰り返した。
 秋紀はそんなわたしのことをじっと見て「言いたくないなら今は聞かないけど」と呟く。なぜだか、秋紀が泣きそうな瞳をしている。変な人。わたしのことなんかどうでもいいって言ってしまえばいいのに。わたしは秋紀にここまで優しくしてもらえるほど、仕事ができる人でもないし優しい人でもないし美人でもないよ。何もできない、情けないだけの、普通の人だよ。

「本当に、一人で泣きそうになる前に相談して。約束な」

 いつものように秋紀が手を差し出してくる。「繋ぎたい」と笑った顔は、やっぱり、優しかった。


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