さんって彼氏いましたよね? 結婚しないんですか?」

 飲み会の中盤、わたしの隣に座っていたパートさんからそう声をかけられた。近くに座っている大学三年生のアルバイトの子が「えっそうなんですか?!」と驚いたようにわたしの顔を見た。

「まだ全然、そんな話はない、ですけど……」
「え、え、彼氏ってどんな人ですか? さんの彼氏ってめちゃくちゃ気になるんですけど」
「優しい人だよ。わたしにはもったいないくらい」

 苦笑い。こういう話題は少しだけ苦手だ。人の話を聞く分には全然いいのだけど、自分の話をするとなると気恥ずかしくて。控えめに返しておく。けれど、女の子の恋バナ好きを舐めていた。「きゃーさんが惚気た!」と余計にテンションを上げられてしまった。他の人たちも「何何、さんの彼氏の話?」と会話に混ざってきてしまう。困った。完全に中心に放り込まれてしまった。
 どうやって出会ったのかとか、どこを好きになったのかとか、いろいろなことを聞かれた。うまいかわし方が分からなくて順番に軽く答えていくと、店長がその途中で「でも、さんって希望の休みとか出さないよね。いいの?」と聞いてくれた。あ、その質問、とても助かる。自然な流れで休みを取りやすくなるかもしれない。そう思っていると、大学生のアルバイトの子が「いつ会ってるんですか?」と聞いてきた。いつもは彼氏が休みを合わせてくれている、と説明したらパートさんが苦笑いをこぼした。

さん、完全に彼氏に合わせてもらってるんですね。そのうち嫌になられちゃうかもですよ」
「こらこらこらこら、そんな言い方しないの」

 店長が「休み希望出していいんだよ?」と苦笑いをこぼす。それに、曖昧に笑って「はい」とだけ答えた。
 嫌になられちゃうかも。本当にその通りだ。休みのことだけじゃない。わたしだって行こうと思えば秋紀の職場まで仕事終わりに行けるのに、行ったことがない。秋紀が「遅い時間に一人は心配だからやめて」と言われたからだ。秋紀はわたしの仕事終わりの遅い時間でも迎えに来てくれるのに。家にわたしが好きそうなものを置いてくれるのもそう。わたしの家にも秋紀が好きそうなものを置こうとしたら「がどんなのが好きか知りたいからいい」と言われてしまった。そんなふうに、わたしはいつも秋紀に甘やかされてばかりだ。
 秋紀はあまり仕事の愚痴を話さない。わたしの愚痴は聞きたがるのに。それはひとえに、わたしが聞こうとしないからなのだろう。聞くよ、と言っても秋紀は「大丈夫」という。そこでわたしが引いてしまうのだ。話したくないのなら無理に聞かないほうがいいかな、と。秋紀はそこで「教えて」ともう一度聞いてくれるのに。
 パートさんが慌てた様子で「ごめんなさい、そんなつもりで言ったわけじゃなくて」と謝ってくれる。余程顔に出てしまっていたのだろう。わたしも慌てて「いえ、すみません」と返しておく。パートさんは正しいことを言っただけで何も悪くない。わたしが、情けないのがいけないのだ。
 別の子が話の中心に放り込まれた。助かった。ほっとしつつも、心臓が少しざわついたままだ。秋紀はこれまで、どれくらいわたしのことが嫌になりかけただろうか。優しいから言えないままたくさん飲み込んでいることがあるんじゃないだろうか。わたしは何度、その瞬間を見過ごしてしまったのだろうか。
 わたしなんかよりいい子がいるよ。そう言ったら、秋紀は、なんて答えるのだろう。



▽ ▲ ▽ ▲ ▽




 飲み会終わり。会計を本社の上司に任せつつ先に店を出た。店先で店長と話していると、スマホがポケットの中で震える。店長と話しながら画面を見てみたら、秋紀からのメッセージだった。「飲み会そろそろ終わった?」というもの。店長が「あ、彼氏だ?」と茶化してきたので苦笑いでかわしつつ「今終わったよ」とメッセージを返しておいた。

「帰りが遅いから心配してくれてるんじゃない? 優しい彼氏だね〜」
「はい。だからなんだか申し訳なくて」
「申し訳ない?」
「優しくするのも負担であることに変わりはないですから。もっとしっかりしないとだめですね」

 そう言ったわたしに、店長が少し言葉を失う。何かまずいことを言っただろうか。スマホの画面から顔を上げて店長を見ると、「いや、さんさ」となんだが困り顔をされていた。店長のその表情の意味が分からなくて首を傾げそうになっていると、スマホがまた震える。見てみると秋紀からの着信。店長にも画面が見えたようで「出てあげなよ」と言ってくれた。さっきの言葉の続きはなんだったのだろう。後で教えてもらおう。そう思いながら電話に出た。

「もしもし? どうしたの?」
『お疲れ。左のほう見て』
「左? ……あっ」
『迎えに来ちゃったので、解散したら来てくれると嬉しいな〜とか』

 横断歩道の向こう側、ファミリーレストランの前に秋紀がいた。元々大体の時間とお店の場所は伝えてあったけど、迎えに来てくれるなんて思わなかった。明日が日曜日とはいえ時間はもう少しで日付が回ってしまう時間帯だから。
 店長がわたしの視線を辿って「彼氏だ?」とにやにやしてきた。秋紀と喋ればいいのか店長と喋ればいいのか分からなくてあわあわしてしまう。店長は「えー暗くてよく見えないけどいい男っぽいじゃん。背高そうだし」と笑う。からかわれている。恥ずかしく思いながら「はい」と答えた。その声に反応した秋紀が「あ、なんかまずかった?」と楽しげに言った。
 店長が気を利かせて「あとはいいから。行っちゃいな」と背中を押してくれた。他の人に見つかると茶化されるからこっそりね、と付け足して。でも、まだ本社の人に挨拶もしてないし。そう迷っていると「いいからいいから。そんなんで怒る人じゃないし。私が言っとく」とまた背中を押してくれる。迷いに迷って、店長に頭を下げて「ありがとうございます」と言った。「また明日ね」とこっそり送り出してくれた店長にもう一度頭を下げて、こっそり輪から離れる。
 横断歩道を渡って秋紀の近くに行くと「あれ、大丈夫だったのか?」と首を傾げた。横断歩道の向こう側にはまだ店のみんながいる。「店長が行っておいでって」と言ってくれた、と説明したら「いい人だな」とはにかむ。それから店長がこっちを見ていることを確認すると、秋紀が小さくお辞儀をした。わたしも一緒にお辞儀をすると、店長が笑ったのが離れていても分かる。わたしたちも笑ってから、そっと背中を向けた。
 せっかくの休みなのに、こんな時間に出てきていいのかな。ちょっと不安でそう聞いたら「どっか行こうかと思ったけど、一人だと気が乗らなくて掃除してた」と笑う。友達たくさんいるんだから誘えばいいのに。そう言ったら「いいの」と茶化すように頭をくしゃくしゃ撫でられた。じゃれつくような手付き。それに思わず笑ったら「はい、手」とその手をそのまま差し出された。手を繋ぐときはいつもこうやって言ってくれる。突然繋がれたことはほとんどない。別に言わなくてもいいよ、と言ったのだけど「何かしらの理由があっても拒否られたらへこむから」と言っていたっけ。拒否するわけなんかないのに。変なの。そう思ったことを覚えている。
 手をきゅっと握ったら満足げな顔をされた。その顔、好きだよ。ちょっと子どもっぽくてかわいいから。本人に言ったことはないけれど。
 秋紀はわたしの手を握り返して、最近あったことの話をしてくれる。明日は日曜日。秋紀は休みだけど、わたしは休みじゃない。このままわたしの家まで送ってくれるつもりなのだろう。いつもそうだから。それが、ひどく、つらく思えてしまった。


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