休み明け、夜。店の鍵を閉めながら一つ息を吐いた。
 店長に、例の新店の件をまだ話せずにいる。秋紀は背中を押してくれた。やってみたい、と思う気持ちも出てきた。けれど、本当に大丈夫なのかな、という不安が一欠片だけ残っていて。明日は話そう。そう思いながら防犯システムも作動させて店に背を向ける。
 今日は秋紀が迎えに来てくれる、と言っていたけれど、姿が見えない。仕事かな。前にも何度かあったからあまり慌てずスマホを取り出す。画面を見てみると、秋紀からメッセージが入っていた。「ごめん急に呼び出されて行けなくなった。本当にごめんな」とよく使っているスタンプとともに送られてきている。なんで謝るの。仕事なんだから仕方ないのに。そう思いながら「今終わったよ。大丈夫、仕事頑張ってね」と返しておく。
 明日は土曜日。閉店後にお店のスタッフみんなと本社の人を交えた飲み会をする予定になっている。もちろん未成年のスタッフは呼べないけれど、成人しているアルバイトとパートの人もほとんどが参加予定だ。仲が良い職場なので未成年の子たちはいつも「いいな〜」と言ってくるほどで、いい職場だなといつも思う。
 最寄り駅についた。鞄からICカードを出しつつスマホを横目で見る。ちょうどあと五分で電車が来る。これに乗ればあとの乗り換えもスムーズにいける。少し急ぎ足で改札をくぐってから、スマホが鳴った。早歩きしながら画面を確認したら秋紀からの着信。仕事は大丈夫なのだろうか。慌てて電話に出ると「お疲れ。今どこ?」と聞かれた。

「お疲れ様。電車に乗るところだけど、仕事は大丈夫なの?」
『大丈夫大丈夫。ごめんな、迎えに行けなくなって』
「ううん、本当に大丈夫。仕事が最優先だよ」

 そう言ってからまた、失言だったかもしれない、と反省する。仕事最優先なのはいつもわたしで、秋紀はそうじゃないでしょう。何言ってんの。そんなふうに。秋紀は「そりゃそうなんだけど……でもごめん」と言うばかり。今度また埋め合わせをする、とまで言い出したものだから困ってしまった。
 担当していたお客様と、秋紀から引き継ぎを受けた後輩が揉め事を起こしてしまったのだという。詳しい内容はもちろん伏せて教えてくれた。最終的にまた担当が秋紀に戻ったらしくて「解決したんだかどうだか微妙」と秋紀はため息を吐いた。
 階段を小走りで上がっていく。あと二分。余裕だ。ほっとしつつ秋紀に「お疲れ様」と言う。「うん」と優しい声色が返ってきてからすぐに「もう電車来るだろ?」とまるで時刻表を見ているかのように言い当てられた。

「すごい、どうして分かったの?」
『そりゃあ彼女の職場の最寄り駅ですし? よく行く時間帯くらいは覚えてますよ〜』

 けらけらと笑って「気を付けて。何かあったら連絡して」と言ってくれた。お互い「おやすみなさい」と言ってから、電話を切った。
 電車がホームに滑り込んできた。強い風に髪がばさばさと揺れて、落ち着いた頃にはくしゃくしゃになってしまう。そんな髪を直す気力もなくて、一人ため息を吐いてしまった。
 日に日に、どんどん、自分が情けなくなる。秋紀はわたしのことをどう思っているかな。少しくらいは面倒だとか、鬱陶しいとか、そういうふうに思っているんじゃないだろうか。優しくするのだって気力がいる。いつまでも秋紀に負担をかけていては、いけないのだけれど。
 電車のドアが開いて、続々と人が降りていく。その波が引いてから電車に乗り込んだ。静かな車内。空いていた席に腰を下ろす。隣にはOLらしき女性二人組。楽しそうにスマホを見せ合いながら迷惑にならないくらいのボリュームでお喋りをしている。
 電車のドアが閉まり、駅を出発。流れる景色が視界の隅に映っている。ぼんやりどことはなく視線を向けてぼけっとしていると、隣のOLさんが「えー寂しいね」と苦笑いをこぼしたのが聞こえた。

「仕事忙しすぎるみたいでさあ」
「営業って有休もなかなか取れないし、取っても普通に電話かかってくるもんね〜」
「そうなの! 本当に! しかも記念日だったんだよ!」
「うわ〜……彼氏も頑張って有休取っただろうに……」

 話を何気なく聞いてしまう。どうやら彼氏と記念日に旅行に行っていたのに、急な呼び出しで彼氏が途中離脱を余儀なくされた、という話らしい。彼氏は営業マンのようで、彼女はそうではない職種なのだろう。わたしと同じだ。そんなふうに思った。
 彼女のほうが「私も頑張って取った有休だったのに」と誰にも向けられない苛立ちを吐き出すように呟く。それから「この日有休でって言ったら上司に一回拒否されてさあ!」と怒ったような声で言った。

「自分の仕事の締めは守ってるし、それまでに終わらせるって言ってるのにだめだって言うんだよ! 会議がある日でもないのに!」
「うわ〜パワハラだ〜」
「ムカついたからその日残業でほとんど仕事終わらせて文句言えないようにしたったわ」
「かっこいい〜!」

 その話を聞いて、すごいなあ、と内心思ってしまった。わたしは希望の休みを言えないのに、この人は拒否をされても諦めないのだ。わたしもそれくらい頑張れたらなあ。秋紀と一緒に過ごす時間がほしいのは嘘じゃないのに、どうして言えないんだろう。情けないな。

「でも、好きだから頑張れる。また次も絶対有休勝ち取るよ」
「戦う乙女だねえ〜」

 電車が次の駅で停まった。OL二人組はここで乗り換えらしく、けらけら笑いながら楽しげに立ち上がって、ドアのほうへ歩いて行った。
 好きだから頑張れる、か。わたしも、秋紀のこと、好きなはずなのだけれど。頑張れないわたしは秋紀のことが好きじゃないのかな。でも、そう考えてみると、わたしは秋紀の優しさに甘えてばかりで、本当に秋紀に何もできていない。優しいから秋紀のことが好きなのかな。そうだとしたら、最低だな、なんて。一人で薄ら笑って、俯いてしまった。


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