さん、ほんっとすみません! ありがとうございます!」
「いいの、気にしないで。楽しんできてね」
「お土産買ってきます!」

 大学生のアルバイトの子と休みを変わった。明日は休みだと思っていたから、夜は秋紀とゆっくりしたかったのだけど。どうしても休みたいと相談されて断り切れなかった。何でも彼氏とテーマパークに行くのだとか。今日の夜に出発するそうだ。彼氏からサプライズで誘われた、と嬉しそうに教えてくれた。内心、アルバイトをしている彼女にサプライズで泊まりのお誘いってちょっとどうなんだろう、と思ってしまう。こうなることは少し想像すれば分かることだ。誰かに迷惑をかける結果になるというのに。社会人にはない発想だな、と嫌味なことを考えてしまった。
 学生のうちは楽しいことをたくさんしたほうがいい。いつも仕事を頑張ってくれているし、お客様への対応もとてもいい子だ。接客業は大抵が万年人手不足。例に漏れずにうちの店もだ。やめられたら困るからできるだけ希望は聞いてあげたい。シフト表に休みの交代を書き込みながらそう思って、ぴたりと手が止まってしまった。
 また、秋紀をないがしろにしたな、わたし。一人で呆れて笑う。もう癖みたいになっている。目の前のことをとりあえず解決することしかできない。結果、この瞬間だけそばにいない秋紀のことが後回しになる。本当に、だめな彼女。
 社会人になってから何度か、秋紀が旅行を計画してくれたことがある。はじめて計画してくれたのは二泊三日の北海道旅行だった。ルートも宿も全部いいところを見つけて、旅行雑誌も買ってくれていた。それなのに、わたしが休みを取れなくて。計画は結局おじゃん。それから数回旅行の誘いをしてくれたけど、ただの一度も行けたことがない。そうして、秋紀はもう旅行の誘いをしてこなくなった。わたしが休めないと分かっていて、断るときに申し訳なさそうにするからだろう。優しいのだ、わたしにはもったいないくらい。
 シフト表を書き換えてからスタッフルームを出る。店内にいるお客様に挨拶をしながら店内を歩き、元々商品の入れ替えをしていたところに戻った。来たる春に向けて入荷した桜色の小物たち。きっと今年もプレゼントや自分へのご褒美に買っていく人がたくさんいることだろう。この仕事は好きだ。かわいい商品を見て楽しそうにしている人を見るのが好きだから。誰かのプレゼントを一生懸命選ぶ人を見るのが好きだから。ほしかった物を買って嬉しそうにしている人を見るのが好きだから。だから、辞めたいなんて思ったことはない。たまに嫌になるときもあるけれど。
 秋紀は、どうなんだろう。たまにひどく疲れた顔をしているときがある。休日も取引先に呼ばれて仕事をする日もあるという。出かけている途中で慌ただしく電話に出るところも何度か見たことがある。嫌になってしまわないのだろうか。嫌な気持ちがあるのだとしたら、その中で、わたしと会う時間も作らなくちゃいけないなんて状況になっているのかもしれない。
 桜の形に切ってあるポップを棚に貼り付ける。一気に華やかになった。桜、見に行きたいな。そう言ったらきっと秋紀は一緒に行ってくれるだろう。秋紀も見たいと言っていたし。でも、それじゃもうだめな気がして。このまま秋紀と一緒に桜を見て、春を迎えることが、いけない気がして仕方がない。何一つ秋紀のためにならないんじゃないかって不安になった。

さん〜! シール剥がしなくなっちゃいました!」
「あれ、この前本社からもらったはずだけど……ごめん、すぐそこで買ってきてもらえる?」
「了解です!」

 明るく笑った学生アルバイトの子がエプロンを脱いでから走って行く。元気だ。ああいう子が近くにいると明るい気持ちになれる。きっと彼氏もそういうところに惹かれたのだろう。女の子は笑顔がかわいいのが一番だ。羨ましいな。なんて。
 お店の清掃をしていたパートさんが退勤時間を迎えた。わたしの近くまで来ると「お先です」と声をかけてくれた。細かいところによく気が付いて、わたしが指示をしなくてもすぐに行動に移せる人だ。店長から正社員として働かないかと声をかけているけれど、今の仕事形態が気に入っているから、と断られているそうだ。残念だ。あの人が正社員としてシフトに入ってくれたらとても助かるのだけれど。人にはそれぞれ働きたいペースもあるし、生活環境もある。無理にはお誘いできない状況で店長は「惜しい人材なのに」と悔しそうにしていたっけ。
 わたしがもう少ししっかりしていれば、そんなふうに店長も悩まなくていいのだろう。わたしは仕事が好きだけれど、仕事ができるわけじゃない。可もなく不可もない、ありきたりな店員だ。どこに行ってもそういうポジションから抜け出せずにいる。
 秋紀との別れを意識したけれど、結局昨日は言えなかった。当たり前だ。だって、わたしは秋紀のことが好きなままだから、別れようなんて言えるわけがない。秋紀のことを考えたら言うべきなのだろう。それでも言えない。結局わたしは自分がかわいいだけなんだな。本当に、だめだなあ。



▽ ▲ ▽ ▲ ▽




 閉店時間から三十分後。もう誰もいないお店の鍵をしっかり閉めて、防犯システムを作動させてからお店を後にした。鍵はわたしと店長しか持っていない。次の日の早番に正社員がいないとき以外は正社員しか持ち帰れない決まりになっている。本当なら明日が休みだったわたしの鍵は、明日の早番であるパートさんに渡すはずだった。でも、明日は早番の時間からフルタイムで入ることになったからわたしが持ったまま、というわけだ。
 お店の駐車場を出た道に秋紀がいた。今日は迎えに行く、と連絡が入っていた。でも、春が近いとはいえまだ寒い。せっかくの休みにこんなところまで来てくれるなんて、なんだか申し訳ない。そんなことを考えているわたしを見つけると、笑って「お疲れ」と声をかけてくれた。

「ごめんね、こんなところまで」
「俺が迎えに行きたいって言ったんだから気にしなくていいの」

 軽く頭をぽんぽんと触られた。優しい手付き。こうされると心がふにゃふにゃに柔らかくなって甘えてしまいそうになる。いつもそれをぐっと堪えている。こんなに優しくされているのにその上甘えるなんて、まさかできるわけがない。
 二人で駅のほうへ歩いて行く途中、秋紀に明日が休みじゃなくなったと伝えた。「え、なんで?」と首を傾げる秋紀に「バイトの子が彼氏と旅行なんだって」と苦笑いで言う。秋紀はそれに「そりゃ行きたいだろうけど」と、少し困ったように苦笑いをこぼした。

は大変なときもシフトに入ってるのに、ちょっとずるくないか?」

 秋紀は「アルバイトとはいえ給料もらってるわけだしさ」と微妙な顔をしている。その秋紀の顔を見て、しまった、と思った。だって、わたしは、秋紀との旅行のために休みを取らなかった。他の人と休みを変わることだってできた。わたしはできないのではない。やらないだけなのだ。アルバイトの女の子は彼氏と旅行に行きたいから変わって、と言えるのに。わたしは、言わなかった。秋紀に休みが取れなかったと言うことしかしなかったのだ。
 ものすごい勢いで車が車道を走り去っていく。秋紀がはっとしたように車道側に位置を変えてから「手、繋いでいい?」と笑った。嫌だと言うわけがない。言うわけは、ないけれど。ひどく、情けない気持ちになった。
 秋紀と付き合う子はきっと幸せだ。だって、わたしがそうだから。わたしじゃない誰かならもっと幸せになれるだろう。わたしじゃない誰かだけじゃなくて、秋紀も。秋紀のことを一番に考えて、優先して、大事にしてくれる人がきっといる。そう思うと、なんだか、胸が苦しくなってしまった。


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