大学二年生から付き合い始めた秋紀と、四回目の冬を見送った。冷たかった風が少しずつ柔らかな温もりを隠し持ちはじめている。今年も春が来る。秋紀は段々暖かくなっていく空を見て「今年も桜見に行こうな」と笑っていた。
 大学を卒業して秋紀は製薬会社、わたしは学生時代からアルバイトをしていた雑貨店にそのまま正社員として入社した。お互い小さな問題を抱えたり、壁にぶつかったりしながらも、今日まで無事にやってきた。そう。今日まで。
 土日祝が休みの秋紀と、不定休のわたし。接客業は土日がメインになりがちなこともあって、わたしはここ一年土日休みを取っていない。だから、まあ、必然的に秋紀とはなかなか会えないわけで。土日休みを取れないわけじゃない。ただ、気が引けて取れないだけ。アルバイトの子たちや先輩の社員。みんな土日休みがほしくて取り合いになることが多い。その中に入っていくことができなくていつも土日にフルタイムで入っている状態だ。
 それなのに。秋紀は必ずわたしのシフトが決まる頃に連絡をくれる。「いつが休み?」と何でもないふうに聞いてくるのだ。そして、秋紀のほうが仕事内容としては忙しいだろうし、いつも遅くまで残業やバレーをして、忙しいのに、有休を取って休みを合わせてくれる。連休というわけでもない。有休が一日終わったら土曜日も仕事、なんてよくあるのに。それでも、どこに行こうか楽しそうに相談してくれて、いつもいつも、わたしが行きたいところを優先する。
 わたしは、これっぽっちも、秋紀に合わせられない。ちゃんと言えば土日に休みを取ることだってできる。それなのに、黙っているから当たり前のように土日に出勤することになっている。他の人たちも「さんは土日オッケーだもんね」というスタンスになっている。今更言い出せなくて、また、自分から秋紀と会う時間を作れずに秋紀の優しさに甘えるだけ。
 ぷつっと糸が切れたように、思い至った。わたしって、秋紀の彼女でいていいのかな、って。だって秋紀はこんなにも、わたしに合わせてくれるのに。わたしは人にどう思われるのかばかり気にして秋紀をないがしろにしているのだ。秋紀だって、有休を取りづらいときもあるだろうに。有休だけじゃない、普段仕事終わりにわたしが勤めている店の近くまで来てくれることも多い。わたしは一度も、そんなことをしたことがない。
 それは今日も、当たり前のように。

「お疲れ」
「……お、お疲れ」
「どっきり大成功〜」

 高校生の頃から変わらない子どもっぽい笑み。「タイミング良くてよかった」ととても嬉しそうに言ってくれる。こうしてよく迎えに来てくれる。いつもは連絡をくれるけど、今日はわざと連絡をしてこなかったみたいだ。もしわたしが早退していたり残業していたらどうするつもりだったんだろう。それに連絡してくれたらもう少し早く準備したのに。なんだか申し訳なくなった。
 社会人になってから少し短くなった髪。学生の頃の、ちょっと瞳を隠すくらいの前髪も好きだったけど、短いのも似合う。そんなことを考えながら、秋紀の話を聞いている。駅に向かって歩いて行くと、明日は祝日ということもあってか、街が騒がしい。恋人らしき男女が楽しそうに歩いているところをよく見かける。明日は祝日だからどこかに行こうか、と話しているのだろう。恋人だけじゃなく、同性同士のグループも楽しげだ。

、明後日休みだったよな?」
「あ、うん。そうだけど……」
「夜迎えに行ってもいい?」
「いいけど……逆にいいの? たまにはゆっくり休んだほうがいいんじゃない?」
と一緒にいるほうが休まるんだって」

 秋紀が少し照れくさそうに「言わすなよ」とわたしのおでこをつついた。「それならいいけど」と笑って返したら「うん」とまた笑った。
 わたしは、秋紀を、消費しているだけの存在になっている、気がする。優しさにつけ込んで甘えてばかりで。それがとても情けなくて、罪悪感でしかなくて。うまく秋紀の顔を見られなくなった。
 スーツにビジネスバック。仕事終わりの普通のサラリーマンにしか見えない。でも、秋紀は、普通なんかじゃないのだ。わたしなんかのために自分の時間を犠牲にして、こんなふうに優しさをくれる。とてもとても、わたしにはもったいない、優しい人だ。
 今日はじめて、秋紀との別れを意識した。ずっと罪悪感はあったし、わたしなんかじゃ釣り合わないとも思っていた。それでも、別れたほうがいいんじゃないかと思ったのは、今日がはじめて。わたしがわたしじゃなかったらこんなことも思わなかっただろう。もっと秋紀との時間を大事にできて、もっと優しくいられたならば。
 時間は無限ではなくて、人の気持ちも無限ではなくて、秋紀の優しさも無限なんかじゃない。きっといつかわたしの存在が重荷になる日が来る。わたしがこのままではそんな未来しかないのだ。そう分かっているのに、勇気が出ない。たった一言が、一歩が、一瞬が、わたしにはとても遠くて。

「あ、そういえば何食べる? というか外食する元気ある?」
「あるよ。大丈夫」
「よかった」

 なんで、こんなに嬉しそうに笑ってくれるんだろう。わたしは話すこともそんなに上手じゃないし、大して何もしてあげられないのに。
 駅についた。駅の近くには飲食店が建ち並んでいる。いつも仕事終わりに二人で食事をするなら大抵なこの辺りのどこかに入る。もうほとんどの店を行き尽くしたし、何件か閉店を見送ったっけ。今年も一軒お店が閉店したばかりだ。春に新しい飲食店がオープンするらしい。何のお店だろうね、と二人で話したことを覚えている。

「何食べたい?」
「秋紀は?」
「ん〜」
「うん?」
が食べたいもの」

 いつもそれじゃん。笑って秋紀の肩を叩く。本当に、いつもそればかりなのだ。いつもいつも、わたしに合わせてくれる。行きたいところも、食べたいものも、会う日も全部。全部全部、わたしは、何もできないまま。


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