駅に着いたのは待ち合わせの時間より三十分前だった。 我ながら浮かれすぎだ。 ちょっと恥ずかしい気持ちになりつつ、待っていたらすぐだろうと思って柱の近くにもたれて待つことにした。 駅に着いたらお互いに服装や持ち物の特徴を伝えようということになっている。 けれど、今伝えたら早すぎるからやめておいたほうが良さそうだ。 Kさんからの連絡を待とう。
 そう思ってニュースアプリを見ようとしたときだった。 あのアプリから通知があった。 Kさんからだ。 なんだろうと思って開くと、「早く着きすぎました」と書かれていた。 わたしと同じだ。 そう思っていると追加でメッセージが来る。 「背が高くて、癖毛で、黒いシャツを着ています」とあった。 そうっと辺りを見渡す。 道路沿いに並んでいるお店。 待ち合わせをしているらしい人の姿がずらりと並んでいる。 女の子が多い中、ぽつぽつと男の人も立っている。 背が高くて、癖毛で、黒いシャツ。 黒いシャツの人は数人いたけど、その誰もが隣にいる女の子とちょっとしか身長が変わらない。 癖毛というほどでもない。 どの人だろう。 そう思って移動しようとしたときだった。 駅前に設置されている地図の真横に立ってスマホを見ている人。 背が高くて、癖毛で、黒いシャツ。 まさにそうだった。 あの人かな。 そう思ったけど、あれ、とちょっと引っかかる。 Kさんはわたしより三つ年上の三十代の男性だ。 けれど、地図の真横に立っている男性はまさか三十代だとは思えないほど若く見えた。 むしろわたしより年下なんじゃないだろうか。 そうだとすると、別人? 背が高い人も癖毛の人も、どこにでもいる。 黒いシャツを着た男性だってたくさんいる。 ちがう、かな?
 Kさんからのメッセージに「わたしも今着きました。 白い花柄のワンピースに緑色のカーディガンです」と返信する。 向こうから気付いてくれればいいのだけど。 そう思っていると地図の真横に立っていた男性が、突然顔をあげた。 そして、すぐにこちらを見る。 地図にもたれ掛かっていた体を起こして歩いてきた。

「あの」

 低いけど穏やかな優しそうな声だった。 持っていたスマホをポケットにしまいつつ「Kです。 ユウコさんですか?」と言った。 ちょっと驚いているとKさんは不安そうに「人違いでしたらすみません」と言うので慌てて「そうです、ユウコです」と声を出す。 Kさんはほっとしたような顔をして「はじめまして」と少し頭を下げた。

「急に誘ってしまってすみません」
「あ、い、いえ! はじめまして、ユウコです。 誘ってもらって、その、うれしかったです」

 Kさんは少しだけ間を開けて「本当ですか」と笑った。 その顔がなんだかすごくかわいくて、もうそれだけで、会ってみて良かったと思えた。
 地図の近くに立っていたときから思っていたけど、すごく背が高い人だ。 プロフィールには身長の欄もあるので何センチあるのかは知っていたけど、実際に会ってみるとちょっと驚く。 あと何よりやっぱり年齢が気になる。 本当に三十代なのだろうか。 かなり若そうに見える。 年下か同い年か、それくらいに見えるのだけど。 童顔、なのだろうか。
 初対面でまさかそんな年齢のことを突っ込むわけにもいかず、そこはぐっと飲み込んでおく。 Kさんは「じゃあ行きましょうか」と言ってカフェに向かって歩き始める。 どぎまぎしつつ隣を歩いていると、Kさんがメッセージのときと同じように会話を振ってくれた。 人見知りがあるのでうまく話せない。 あと、もう気持ちを自覚してしまっているから余計に話せなくなっている。 変な汗をかきながらKさんの質問に答えていく。 途中でふと、なんと呼べばいいのか聞くべきなのだろうか、と思い至る。 けれどよくよく考えれば表記は「Kさん」でも聞こえる音としては「ケイさん」なので問題はなさそうだ。 わたしのニックネームも本名ではないけれど優子の名前を借りているわけだし、人に聞かれても不思議がられるものではない。
 カフェにはすぐに到着した。 ウッドデッキがあるオープンカフェで、それなりにもう人が入っている。 並ばずには入れそうだけど、ウッドデッキはいっぱいなので店内テーブルになるだろう。 Kさんがドアを開けてくれたのでそそくさと中へ入る。 外光を取り入れた明るすぎない照明。 お店の中にも植物がたくさん置かれていて、静かな音楽がさりげなく流れている。 テーブルが広々と置かれているので空間を大切にしていることはよく分かる。 素敵なお店だ。 店員さんに案内されてお店の奥のほうの席につく。 ソファ側をKさんが譲ってくれたのでお礼を言って座らせてもらった。 店員さんからお水とおしぼりをもらう。 「お決まりになりましたらお呼びください」と言って店員さんが去ってから、ようやく息をつけた。 改めてKさんの顔をそうっと見ると、Kさんと視線がばちっと合う。 照れくさそうに笑ったKさんが「改めてになりますが」と言った。

「今日は突然だったのに会ってくださってありがとうございます。 メッセージもやり取りを続けてくださってありがとうございます。 不快に思うところとか何かあればすぐに言ってください」

 そう言うと、Kさんは恐らく、ちゃんとした自己紹介をはじめた。 ここからほど近い会社に勤務していて、自宅も近いそうだ。 そして、何の躊躇いもなく「赤葦京治といいます」と名前を言った。 K、というニックネームは下の名前から取ったようだった。 基本的な自己紹介を終えると最後に「ユウコさんは言わなくてもいいですよ」と付け足した。 Kさん、改め赤葦さんのその気遣いには驚いたけど、わたしも、自己紹介をされた以上は返したい。 そう思って「いえ」と笑って自己紹介をした。

「あの、ユウコというのは……このアプリを勧めてくれた友人の名前なんです。 本名はといいます」

 「すみません」と苦笑いをしたら赤葦さんは焦ったように「いえ、謝るようなことではないですよ」と言ってくれた。 プロフィールの文章も友人が考えたものだとも言ったけど、赤葦さんは怒らなかった。 少し笑って「でもメッセージの返信をくれていたのはユウコさん……さんですよね?」と言ってくれた。 それに頷いたら「よかったです」とほっとした顔をした。
 会ってからここまで、なんだか年上の男性とは思えない雰囲気だ。 ちょっとかわいらしいというか。 なんだか、かわいい、年下の男性、みたいな。 さっきは聞かなかったけどどうしても気になってしまって、赤葦さんに「わたしより年上なんですよね」と話を振ってみた。 すると、赤葦さんは「え」と少し固まった。 それに首を傾げるとなんとなく慌てた様子で「はい、そうですよ」と返ってくる。 今の違和感はなんだろう。 赤葦さんは「よく若く見られるんです」と付け足す。 童顔、ということなのだろう。 なんとなく言動にかわいらしさはあるけれど、全体的には落ち着いているし、年上でもおかしくはない。 納得して「なんだかかわいらしく見えたので、すみません」と口走ってしまう。 年上の男性のかわいらしいは失礼なのでは? 少し不安だったけど赤葦さんは照れたように「かわいくなんかないですよ」と柔らかく言うだけだった。
 そろそろ注文しなきゃ。 そう思ってメニューを広げる。 パンケーキと軽食が並んでいる。 せっかくだしパンケーキにしようかな。 そう思っていると赤葦さんはどうやらサンドイッチにするようだった。 飲み物も選び終わったようで「さんはどうしますか?」と聞いてくれた。 ここでパンケーキとか選んだら、変だろうか。 なんだか自分の一挙一動が変じゃないか気になって仕方ない。 「えっと」と少し考えていると赤葦さんが、とん、とパンケーキのところを指さした。

「これ、お店の看板メニューだそうです。 今の季節はイチゴみたいですね。 甘い物お好きですか?」
「あ、好き、です」
「お昼ご飯にするなら軽食はパスタが女性には人気みたいですよ。 ペペロンチーノとジェノベーゼがおいしいそうです」

 メニューのことをすらすらと教えてくれる。 親切な人。 そう思いつつ、このカフェにはよく来るのだろうかと不思議に思った。 たしかメッセージ内ではあまりカフェには行かないと言っていた。 ここにも先輩に連れてこられたんだとか。 それから想像するにこのカフェにはそう多くは来ていないだろうに。 とても記憶力の良い人なんだなあ。 そう感心していると、赤葦さんがわたしの顔を見て「どうしました?」と言う。 それに「いえ!」とだけ返して、「せっかくなのでパンケーキ、にします」と恐る恐る言ったら赤葦さんは笑って「はい」と言った。
 赤葦さんが店員さんを呼んでくれた上にわたしの注文までいっしょにしてくれた。 あまりにもスマートなその言動にちょっと驚く。 こんなふうな人なら、ふつうに彼女くらいできるだろうに。 どうしてあのアプリを使っていたのだろうか。 会社に女性があまりいないとか? それにしても学生時代に出会いはいくらでもあっただろう。 それに、どうして顔写真のないわたしにいいねをくれたのだろう。 聞いてみようかと思ったけど、試すようなことを言う気がして気が引けた。
 そんなことを思っていると、突然赤葦さんの背後に誰かがやってきた。 赤葦さんの肩をぽん、と叩くと「よ、久しぶりだな」と声をかけている。 その人は赤葦さんよりは背が低いけど、十分に背の高い男性だった。 目が細くて、少しだけチャラそうに見えた。 赤葦さんはその人を見上げるとすぐに嫌そうな顔をして「どうもです……」と言った。

「え、ごめん、嫌そうな顔しないで……」
「いやしますよ……」
「デートの邪魔して悪かったな……ってか赤葦って彼女いたんだ?!」
「まだ彼女じゃないですし、とりあえず邪魔しないでください」
「ごめんってば! あ、そうだ、今度木兎と飲みに行くから仕事終わり開けとけよー」
「分かりました。 早くどっか行ってください」
「ひどくね?!」

 しょんぼりしてその人は去って行った。 オープンテラスのほうに行くのを赤葦さんは見届けてから小さくため息を吐く。 そうしてはっとしてわたしを見ると「すみません、高校時代の先輩で」と慌てた様子で言った。 それに相槌を打つとなんだか恥ずかしそうに「実は」と言って教えてくれた。 このカフェを教えてくれたのは先ほどの先輩なのだという。 赤葦さんはわたしを誘うきっかけがないか探していて、あの先輩に女性が好きそうなカフェを教えてもらったんだとか。 つまり、このカフェの名前を出した、あの返信は。

「その……行きたいと言ってくれたら自然に誘えるかと……」

 赤葦さんは「すみません」と言って少し赤い顔をした。 続けて「結局誘うとき、何回も送信ミスをしてしまったんですが……」と情けなく笑った。 この人、やっぱり、なんだかかわいい気がする。 三十代には見えない。 あと先ほどの先輩も、三十代には見えない人だった。 童顔には童顔の人が集まるのだろうか。 そんな変なことを考えると同時に、内心、かなりどきどきしていた。
 まだ彼女じゃない。 その言葉だけで心臓が飛び跳ねるかと思うほどだった。 まだ、ってことは、可能性があると思っていいのだろうか。 会ってみて幻滅したとかそういうことはなかった、と思っていいだろうか。
 そう思ったとき、赤葦さんと実際に会ってみても自分の気持ちが変わらなかったことを思い知る。 わたし、この人に、恋をしている。 ちゃんと恋をしているんだ。 そう自覚をしてしまって少し顔が熱くなった。

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