深夜一時。 そろそろパソコンの画面を見すぎて目がちかちかしてきた。 少し目をこすってひとつあくびをこぼす。 ぐっと伸びをすると、椅子がぎしっとかすかに音を立てた。
 おかしいなあ。 蛍光灯の明かりが眩しくて目を細める。 見慣れた会社の天井。 周りからはキーボードの音がかたかたと聞こえてくるだけ。 少し視線をそちらにずらして見てみれば、誰もが疲れた顔をしてパソコンの画面を見つめている。 きっと、あちらから見たらわたしだって同じなのだろう。 おかしいなあ。 こんなはずじゃ、なかったんだけどなあ。
 大学を卒業して入社したこの会社。 給料に不満はない。 残業は多いけれどちゃんと残業代はもらえるし、有休だって決められた期限までに申請すればちゃんと取れる。 別に不満はない。 何が不満かと言えば、まあ、自分が思い描いていた人生と何かがちがう、ってことくらい。 大した人生を思い描いていたわけではない。 ふつうに大学を卒業して、ふつうに就職して、ふつうに暮らして。 ……別にちがわないじゃん、わたし。 頭の中でぽつりと呟く。 思い描いた人生がここにあるのに何が足りないんだろう。 そうため息をついてしまう。
 だめだ、集中が切れた。 急ぎの仕事でもないし今日はもう帰ろう。 パソコンの電源を落として帰り支度をして立ち上がる。 周りの人に「お先です」と声を掛けたらみんなかすれた声で「おつかれ〜」と返してくれた。 部屋から出てエレベーターを待っていると、後ろから声をかけられた。 隣の部署の先輩だ。 どうやら缶コーヒーを買いに来たようだ。 「お疲れ」と声をかけられたので「お疲れ様です」と返す。 それで会話が終わるかと思ったが、先輩は「あのさ」と照れくさそうに視線を少しだけ外した。 何かと思って首を傾げると先輩が「今度の日曜日、時間ある?」とほんの少し赤い顔をして聞いてきた。 どうしてそんなことを聞くのだろうか。 土日は基本的に家から出ないようにしている。 疲れていてどこにも行く気にならないし、人と会う気にも滅多にならない。 朝からぼうっと一人で好きなことをして過ごすのが好きだからだ。 今度の土日は溜まっているドラマを観る予定だし、できることなら予定は入れたくない。 そう思って一応申し訳なさそうな顔を作った。 「すみません、用事があるので」と言えば先輩は「あ、そっか、そうだよね」と笑って「じゃあ」と去って行った。









「あんたそれ、絶対デートのお誘いだったでしょ!」

 同期の優子にその話をしたらそうすごい剣幕で詰め寄られた。 「そうかな?」と苦笑いをしてみるとより怖い顔をして「あの先輩イケメンじゃん! もったいない!」とふくれ面をしてしまった。 優子は入社当時から一番仲の良い同僚であり友達だ。 休日誰かと会う約束を入れるとしたら彼女だけ。 うちに来たり彼女の家に行ったり、旅行に行ったりもする。 ただ最近少し変わってしまったことがある。 それは、彼女に彼氏ができたことだ。

「なんでって彼氏作らないの?」
「な、なんでと言われても……」

 わたしが所属している部署は男性が多い。 けれどそのほとんどが一回り以上年上の人たちだ。 別部署には若い男性もいるけれど、関わりが少ない分わたしとしてはそういう対象には見られない。 この前エレベーター前で声をかけてくれた人もそうだ。 別に嫌いではない。 けれど、時間を作ってまで会おうとかそういうふうには思えない。

「彼氏というか好きな人がいるとさ、毎日楽しいよ?」
「そういうものなのかなあ」
「そういうもんだって! で、物は試しってやつなんだけど」

 そう言って優子は手をわたしに出す。 「スマホ、ちょっと貸して?」と言うので渡す。 ロックがかかっているのでパスコードを教えると優子は何やら操作し始めた。 何をしているのだろうか。 わたしの元にスマホが戻ってくると、ホーム画面にアプリが一つ追加されていた。

「……イマコイ? 何これ?」
「マッチングアプリ!」
「何それ?」
「え、知らないの?!」

 優子は驚いた顔で「いま流行ってるやつだよ」と言った。 なんでも恋愛をしたい、出会いを求める男女を結ぶサービスらしい。 年齢や居住地、職業、趣味などの条件を登録し、相手の条件を見て好みだったらインスタみたいにいいねをする、というものだとか。 こちらがいいねをした相手もいいねをくれたらメッセージのやりとりができるようになるそうだ。 つまりは家にいながらにして全国の男性と出会える可能性がある、というもの。

「……それってほとんど出会い系じゃん」
「似たようなもんなんだけどさ。 、慎重派だし変な男には引っかからないでしょ!」

 優子は今の彼氏とはマッチングアプリがきっかけで付き合うことになったのだという。 優子の彼氏と会ったことがあるけれど、チャラそうな感じはなかったし誠実そうな印象だった。 優子の友達も数人このアプリで彼氏ができたんだとか。 もちろん中には体目的で出会おうとしてくる輩もいるようだけど、慎重に見極めればいい人もたくさんいると優子は力説した。 「一週間だけでいいから!」と言われて、断りにくくなってしまった。
 プロフィールを設定する画面には写真を登録しろとの表示が出ている。 顔写真じゃないとだめってことなのだろうか。 優子に聞いてみると「顔写真じゃなくてもいいけど、顔写真じゃないといいね増えないよ」と言った。 別に増えなくてもいいし、物は試しというわけなのだし。 最近鞄につけているキーホルダーの写真を登録しておいた。 ニックネームをどうしようか悩んでいると、優子は笑って「あたしが無理やりやらせてるんだし、あたしの名前使いなよ」と言ってわたしからスマホを取り上げると「ユウコ」と入力した。 年齢や簡単な職業、居住地などを登録し終えるとプロフィールの紹介文で詰まる。 こういうの、やったことないからなんて書けばいいのか分からない。 悩んでいるとまたしても優子がスマホを取り上げていき、「こういうのは女子力出しときゃいいんだって」と得意げに言って何かを打ち始めた。 優子が打った文章は「会社に年の近い男性がいなくて出会いがありません。 恋がしたいです。 一人暮らしが長いので料理が得意です! さみしがり屋なのでまめに連絡くれたりしてくれる人が好きです。 気軽にいいねしてください」という感じで、絵文字がふんだんに使われたかわいらしいものだった。

「……詐欺にならない?」
「ならないでしょ! あたしも紹介文に家庭的アピールして今の彼氏ゲットしたけど、嘘ってバレても怒んなかったし。 今じゃ練習して一応後追いで料理はできるようになったしね」

 笑い事なのだろうか。 笑う優子に苦笑いを返しつつ「まあお試しだしね」と絵文字がかわいい紹介文を眺めた。

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