来週の練習試合に出る選手が発表される。 正セッターは水野さん、控えセッターは塚本さんだった。 それに何の悔しさも感じない。 ただただ当然そうだと思うだけだった。
 帰宅途中の電車の中、ポケットに入れていたスマホが振動した。 取り出してみてみると赤葦くんからだった。 練習後にあとで連絡すると言っていたからそれだろうか。 メッセージを開いてみると「お疲れ」の一文だけだったので、同じように「お疲れさま」と返す。
 赤葦くんは意外とまめなところがある。 こんなふうな挨拶のようなメッセージをよくくれるのだ。 おはようとかおやすみとか。 そんなイメージがあまりなかったのではじめは驚いたけど、それが結構うれしくて。 今ではわたしからもそういうメッセージを送るようにしている。 試合前は「がんばってね」と送ってみたり、試合後は今日みたいに「お疲れさま」と送ってみたり。 それを先越されると少し悔しかったりする。
 返信して数分後、赤葦くんから返信があった。 見てみると「明日、本当に用事?」という文。 少し驚いたけど内心笑いつつ「そうだよ」と返しておく。 赤葦くんは優しい人だなあ。 わたしなんかにはもったいないくらいだ。 そう思いつつ窓の外を眺める。 赤い夕日が空を染め上げている。 きれいだなあ、と眺めているとすぐに赤葦くんから返信があった。 「映画に誘おうかと思ったんだけど、無理?」と。
 ちょっとだけ思考が停止した。 動き出した頭がぐるぐると考え始める。 この日曜日、というか明日は合同練習がある日だ。 赤葦くんは出席確認の紙、たしか参加に丸をしたといっていた。 合同練習があるときは赤葦くんは必ず参加しているし、木兎先輩から来るようにいつも言われると言っていた。 それなのに、映画に誘おうなんてどういうこと? よく分からないまま「練習のあとに?」と返す。 合同練習は通常練習よりいくらか早く終わることが多い。 合同練習と銘打っているけど、実情は日曜日は試合などで体育館を使用する部活が多いから男女一緒に使わざるを得ないというだけの話だ。 部員の多いバレー部は男女共同では場所が足りないため、合同練習ということにして選手たちがやりたいように練習をさせておく、ということ。 つまりほとんど自主練習に近いようなものなのだ。 元々日曜日は練習日ではないし、監督たちも用事があったりして不定期なため、しっかりした練習メニューはない。 好きなだけ練習して好きなときに帰る。 そんな感じだから、赤葦くんは早く上がってくるのかと思ったのだけど。
 返信にあった文は「いや、不参加にした」だった。



▽ ▲ ▽ ▲ ▽




「やっぱり用事ないじゃん」
「……だ、だって」
「はは」

 駅で待ち合わせた赤葦くんはポケットからスマホを取り出して「なに観る?」と上映スケジュールを見せてくる。 え、なに観るか決めてないの? 思わずそう聞いてしまうと赤葦くんは当然のような顔をして「決めてないけど?」と笑った。 観たいものがあるから誘われたかと思っていただけに驚いてしまう。 赤葦くんは上映スケジュールを下のほうまでスクロールしつつ「あんまり映画とか観ないからよく分からない」と呟く。 え、映画あんまり観ないの? じゃあなんで映画に誘ってくれたの? いろいろびっくりしつつ一緒に上映スケジュールを眺める。 いくつか気になっている映画はあるのだけど、赤葦くんが好きか分からないので口には出さない。 赤葦くんが観たいものがあればそれがいいな。 そう思いつつ黙っていると赤葦くんがわたしの顔を覗き込んだ。

「な、なに……?」
「俺が観たいものでいいやって思ってるだろ」
「えっ」
「当たった」

 ちょっとうれしそうに笑う。 完全に見透かされてしまったことが恥ずかしくて目を逸らす。 赤葦くんは余計に笑って「どれがいいか教えてよ」と言った。
 結局赤葦くんに上から一つずつ「これ?」とずっと聞かれてしまい、わたしが観たいものを観ることになってしまった。 映画館についてすぐにチケットを買ってポップコーンと飲み物を買って、今は開場を待っている。 わたしが選んだ映画、つまらなかったらどうしよう。 そんなことを考えながら赤葦くんの話を聞く。 赤葦くんはわたしよりも身長が二十センチ以上大きい。 ちょっと首が痛いのだけど、たぶんそれは赤葦くんも同じだと思う。 それでもちゃんとわたしの顔を見てくれるから、ちょっとうれしい。 さっきから近くを通る人が何人か「すごい身長差〜」とこそこそ話しているのが聞こえてきたりして、ちょっと気恥ずかしくなってしまう。

「ポップコーン食べていい?」
「赤葦くん、絶対映画始まる前に食べ終わっちゃうよ」
「そんなに食いしん坊なイメージある?」

 あるよ、すごく。 力強く答えたら赤葦くんはちょっと照れくさそうに笑って「じゃあやめとく」と言って食べることを諦めた。 ちょうど開場待ちの人のための椅子が空いたので二人で腰を下ろす。 赤葦くんが会話をはじめようとしたのと同時に、スマホが振動する音がわたしにまで聞こえた。 赤葦くんが「ちょっと待って」と言いつつスマホを取り出すと分かりやすく眉間にしわを寄せる。 「げ」と言った声がはっきり聞こえてしまった。 赤葦くんは眉間にしわを寄せたままスマホの画面をわたしに見せる。 木兎さん、と表示された画面は着信を知らせるものだった。

「出たほうがいい?」
「え、出ないつもりなの?」
「絶対今からでも来いって言われる気がする」
「でも出ないと映画中もずっとかかってくると思うよ」
「あー……なるほど」

 想像に難くなかったらしい。 「ごめん」と一言呟いてからその場で電話を取る。 「赤葦です」と言ってすぐにわたしにまで聞こえるほどの大きな声で木兎先輩が話し出した。 なんで赤葦いないんだよー、という言葉から察するに合同練習に参加しないことは木兎先輩には言っていなかったようだ。 木兎先輩が「なんで」を繰り返す中、赤葦くんがどう返すのかに注目してしまう。 なんて言って木兎先輩をなだめるのだろう。 じっと赤葦くんの横顔を見ていると、ちらりと横目でこっちを見た。 ちょっとどきっとしていると、赤葦くんの口が開く。

「いまデート中なんでもう切っていいですか」
「え?! ちょ、あ、赤葦くん!」
「はい、はいはい、分かりましたよ。 いや、来週は練習試合なんで合練ないですね」
「あの」
「はいはい、分かりましたから。 もう切りますよ。 はい、お疲れ様です」
「赤葦くん?」

 耳からスマホが離れる。 スマホをポケットにしまってから、赤葦くんの顔がこちらを向く。 「なにか?」と言いたげな顔にわたしだけが慌てている。

「だ、だめだよデートとか、そういうの言わないほうが……!」
「なんで?」
「なんでって……」
「監督にやっぱり不参加でお願いしますって言いに行ったとき、軽く理由聞かれたんだけどさ」
「……ま、まさか……?」
「デートの予定が入りそうですって言ったら大笑いして楽しんで来いって言ってくれたよ」
「う、うわー! 何してるの!」
が相手だって言ってないし、自由参加の練習だし。 問題ある?」
「ありまくりだよ!」

 なぜかわたしが恥ずかしくなる。 たぶん監督が大笑いしてそう言ってくれたのは、偏に赤葦くんが今まで真面目に練習をしてきたからだろう。 合同練習にはほとんどすべて参加していたし、練習ももちろん真面目にしているし、自主練習だって怠らない。 そんな赤葦くんだからこそ、そんな理由でも呆れられることはなかったに違いない。 赤葦くんの言う通り、自由参加のため参加しない部員もそれなりにいる中、赤葦くんが参加しないことは問題ではない。 彼女がいることをそんなに堂々と言われることがわたしにとっては問題なだけだ。
 何より問題があるのはわたしのほうだ。 自由参加とはいえ、控えにも入れていないのに一度も合同練習に参加したことがない。 そればかりか今日に至ってはこんなふうに遊んでしまっている。 隠さなきゃいけないのはわたしだけかあ。 そんなふうに少し落ち込んでしまった。



▽ ▲ ▽ ▲ ▽




――そのころの梟谷学園体育館

「赤葦なんだって?」
「珍しいよな、不参加。 というかはじめて?」
「赤葦いま……」
「いまなに?」
「いま……デート中……なんだって…………」
「……」
「……」
「……」
「マジ?! デート?! 誰と?!」
「デート?! あの赤葦がデート中?!」
「えーなに? 誰がデートしてんの?」
「赤葦!!」
「え、赤葦くん彼女いるの?!」
「うっそ、ちょっとショックなんだけど!」
「許すまじ赤葦明日問いただしてやるからな……」
「モテない男の嫉妬は醜いよ〜木葉〜」
「うるせー! 伊藤だってモテてないだろうが!」
「あ?」
「すみませんでした!」



▽ ▲ ▽ ▲ ▽




 開場開始のアナウンスがあって、二人で立ち上がってチケットと飲み物類を片手に入口へ向かう。 赤葦くんはチケットと腕時計を交互に見てから「終わったら何食べる?」と当たり前のように聞いてきた。 今からポップコーンを食べるのにもうこのあとの食事の話するんだ。 そう笑うと赤葦くんは「え、ポップコーンじゃお腹膨れないだろ」と驚いた顔をした。 よく食べることは悪いことじゃない。 そうずっと笑っていると赤葦くんはちょっと恥ずかしそうにした。
 チケットをお姉さんに渡してちぎってもらう。 第三スクリーンへ歩きつつ飾ってあるポスターをぼんやり眺める。 赤葦くんが人気女優と人気俳優が主演を務める映画のポスターの立ち止まった。 それをよく見ると少女漫画の実写映画のものだったからちょっと意外だった。 「こういうの好き?」と聞くと「いや、姉貴が好きだったやつだと思う」と呟く。 子どものころお姉さんに無理やり読まされた、と少しげんなりした顔をする。 ストーリーはほぼほぼ覚えていないそうなのだが、じいっとポスターを眺めると「懐かしい気がする」と満足そうな声で言った。 また歩き始めてすぐ、「あ」と思い出したように言ってからわたしの顔を見る。

「漫画に出てくるキャラクターでに似てたのがいた気がする」
「わたしに?」
「なんとなくしか覚えていないけど」

 どんなんだったかな、と赤葦くんが考えているうちに第三スクリーンに到着した。 赤葦くんの希望で通路を挟む一番後ろの席にしたので階段をどんどんあがっていく。 半券を見つつ座席番号を見つけた。 赤葦くんがポップコーンが入っているトレイをドリンクホルダーに入れてから席に座る。 わたしも自分の飲み物を受け取って自分の席についているドリンクホルダーに入れてから座った。 少し座り直しながら「映画館なんて久しぶりに来た」と言うので、どうして突然映画だったのかを聞いてみる。 赤葦くんはようやくありつけたポップコーンを頬張りながら「デートの定番だから」と笑う。

「気の利いた案が浮かばなかったから定説に乗ってみた」
「映画もうれしいけど、赤葦くんが行きたいところに誘ってくれたらもっとうれしいけどなあ」
「じゃあ体育館来てって言ったら来る?」
「……それは話がちがうでしょ?」
「はは」

 はは、じゃないよ。 内心そう思いつつ飲み物を一口飲む。 赤葦くんはどうしてそんなに合同練習に来させたがるのだろう。 一年生のときからずっとこんな感じでわたしを誘い続けてくれているけど、その理由はよく分からないままだ。 赤葦くんは続々とポップコーンを口に運びながらわたしの顔を見続けている。

「なに?」
「俺、とバレーの話がしたいんだけど、だめ?」
「え、だめなんて言ってないけど……?」
「でもバレーの話すると、目を合わせてくれなくなるから」
「……そう、かな?」
「うん」

 ちょっとだけさみしそうに微笑まれた。 ぜんぜん気が付かなかった。 ふだん赤葦くんにバレーのことで相談はしなくなったけど、それなりに部活の話はしていたし試合中継があった次の日はその話をしたりしていた。 そう、言われてみれば。 バレーの話をしているときの赤葦くんの表情を、うまく思い出せない気がする。 どんな顔をしていたっけ?
 バレーをしている赤葦くんのことが好きだった。 なぜだか言い方が過去形になってしまったけど、もちろん今も好きだ。 少し気だるげに見える瞳がぎらりと光って、しっかりした意志を持ってその指先がボールに触れて、美しい放物線を描く。 素早い判断力があることが見ているだけで分かって、エースの木兎先輩の背中をめいっぱい押すようなトスが痺れるほど力強くて。 わたしが憧れる水野さんとは違ったすごさがひしひしと伝わってくる。 見ていて眩しい。 そう。 みんな、見ていて目が痛いほどに眩しいのだ。

「なんかごめん、ね?」
「いや、全然。 俺もそういうときもあるし」
「そうなの?」
「そうだよ」

 上映時間になり、場内が暗くなる。 予告映像が流れ始めてから赤葦くんがぼそりと「まあ、何かあったら言ってほしいとは、思うけど」と言ったのが聞こえた。 心配してくれている。 でも、うまく自分の気持ちを話せる気がしない。 なんて答えればいいのか分からなくて、聞こえなかったふりをしてしまった。


top / 数多の宝を持っても