※R-15くらい。しっかりめにキスします。直接的なものはないので年齢制限はなしにしています。




 赤葦が玄関の施錠をしている。それを待たずわたしはずんずんと自宅のように中へ入っていき、今朝座っていたソファにどすんと腰を下ろした。鞄を床に置いてクッションを抱え込みつつソファに寝転ぶと、リビングに入ってきた赤葦が「めちゃくちゃ寛いでる」と笑った。

「だめですか。彼女が彼氏の家で寛いじゃだめなんて法律があるんですか」
「だめなんて言ってないよ。なんで拗ねてるの」

 うるさい。クッションに顔を埋めてぽつりと呟いた声は、赤葦にぎりぎり届いただろうか。分からなかったけれど、赤葦がおかしそうに笑っていたからたぶん聞こえたのだろう。どっちでもいいけど。
 ソファの反対側にいた赤葦が、こっちに歩いてくるのが足音で分かる。ぐるりとソファの前まで来て立ち止まると、その場に恐らくしゃがんだであろう音が聞こえた。それからつんつんとクッションをつつかれる。

「これ、邪魔なんですけど。ホームズ先生」

 そのノリ、いつまで続けてくれるの。赤葦はきっと、またこう言うだろう。一生だよ、と。まるで決まり事かのように当たり前にそう言うに決まっているのだ。わたしがあなたに望みたいのはね、ワトスン、たったそれだけなんだよ。本当の話。そんな台詞じみたことを喉の奥で呟いてみた。
 クッションは退けないまま、右手だけ伸ばしてみる。前が見えないから赤葦の肩辺りにごつんとぶつかったらしい。「痛いよ」と赤葦が楽しげに笑った声が聞こえた。わたしの右手を掴んで、そっと指を広げて、赤葦の指が絡んできた。きれいな指。見なくても分かる。長くて、骨っぽくて、きちんと爪が手入れされている。きれいな男の人の手。いつも見ているから分かるのだ。
 きゅっと手を握った赤葦が、より距離を詰めてきた。どうやらクッションに顔をくっつけたらしい。第三者が見たらとんでもなく奇妙な光景だろう。笑われてしまうような謎の状況に違いない。

、もう一回言ってってお願いしたら怒る?」

 クッションに顔を埋めたままのくぐもった声が、ふわふわの綿菓子のように甘く耳に聞こえた。赤葦の手を握り返す。それから言葉を出そうとしたら、赤葦が「待って待って、クッション。顔が見たいんですけど」と笑われた。それが嫌だからクッションを使っています。それくらい分からないかね、ワトスンくん。そう言っても「だめ」としか言ってくれなかった。
 結局、赤葦がクッションを強制的に剥ぎ取っていった。嫌なことはしないっていう信条だったのでは。そう呟いてちょっと睨むと「それとこれは別」と乱れた髪を直してくれた。
 眼鏡が少しずれている。手を伸ばして、眼鏡のブリッジを人差し指でぐいっと押し上げてやる。赤葦は「ありがとう」とにこにこして言うと、待ちの体勢に入った。

「……赤葦」
「うん」
「好き」
「うん」
「好き。大好き。ずっと、一緒にいて」
「俺も好きだよ。ずっと好きだから、ずっと一緒だね」

 本当かよ。鼻を摘まんでやる。「本当です」と笑ってわたしの鼻を摘まみ返してくる。「一生かけて証明しようか」と言って鼻から手を離した。するりとわたしの頬を撫でる手の優しさに目が閉じかける。赤葦の鼻から手を離して、赤葦の頬を触ると赤葦も少し目を細めた。

「赤葦」
「うん」
「キスして、抱きしめて」
「いっぱい≠ニずっと≠ェ抜けたけど?」
「細かい。うるさい」
「あはは」

 なんでそんなに嬉しそうなの。わたしはこんなにもどきどきして、照れくさくて仕方ないのに。余裕じゃん。むかつく。そうこぼすわたしに赤葦が「片思いの年季が違うから」と言って、そっとわたしの顔から手を離した。
 繋いでいた手も一旦離れた。赤葦が右手をソファの背もたれについて、わたしを踏まないように慎重に右膝をソファにかけた。う、わ、なんか、これ。そんなふうに思わず目を逸らしてしまう。左膝もソファにかけると、赤葦の両手がわたしの顔の横についた。
 赤葦が様子を窺うようにしばらく動かずに見下ろしてくる。それから「大丈夫?」と声をかけてくれた。顔を見られない。横を向いたまま「大丈夫」と答えるけれど、赤葦が「大丈夫ならこっち見て」と言うものだから、弱った。
 そっと視線を向けてみると、赤葦がじっとこっちを見つめている。その視線の熱が妙にくすぐったくて仕方がない。嫌じゃない。むしろ、なんでだろう、こんなに嬉しく思えるのは。赤葦はやっぱり不思議だ。わたしのとって唯一の存在。きっとそうなのだろう。
 ゆっくり顔を上に向けると、赤葦の手が頬を撫でた。するするとわたしの緊張をほどくような柔らかな動きは、涙が出そうなほど優しくて、赤葦になら何をされてもいいと思った。そんなふうに思ったのははじめてでどう表現すればいいのかは分からなかったから言葉にはしない。恥ずかしいし。
 わたしの頭の下に手が入る。頬を撫でていた手も背中に回ると、ぎゅっと抱き寄せられた。赤葦は背が高い。そんなに大きいわけではないわたしの体はすっぽりと腕の中に納まってしまう。とんでもない幸福感がある体温に目が眩みそうになりながら、そっと赤葦の背中に腕を回した。
 ほんの少しだけ体を離すと、赤葦が顔を上げた。わたしの顔を至近距離で見つめてから、囁くような声で「かわいい」と言う。その言葉にわたしの指先がぴくりと反応すると、赤葦が小さく笑ったのが分かった。笑わないで。そうちょっと睨んでも効果はない。むかついたから赤葦の服をぎゅっと握ったら、その瞬間に唇が重なった。
 赤葦は決してわたしの体には触らなかった。もちろん頭や腰は抱きしめてくれているから触っているけどそういう触り方≠ヘ一切しなかった。それがとても安心できて、胸の奥がきゅっと音を立てる。好きな子の体は見たい、と言っていたのを思い出す。わたしの体を見たいと思ってくれているかもしれない。それでも、わたしが嫌がるかもしれないからと、無理にはしないし言葉にもしない。待ってくれるつもりかもしれないし、そもそも本当にそういうことはなくていいと思っているのかもしれない。それは、とんでもなく深い、愛情だとわたしは思う。
 唇を舐められた。角度を変えてもっと深いキスをしようとする赤葦に応えたくて、自分から少し口を開ける。後頭部に回っている赤葦の手が、ぴくりと震えたのが分かった。少し動揺している。いいのかな、と考えたのがそれだけで分かった。いいよ、と言葉にできない代わりにわたしから赤葦の舌を舐めたら、もうそこからは遠慮がなくなった。
 かち、と赤葦の眼鏡がぶつかる。ちょっと痛い。赤葦の肩をとんとん叩いたら少し名残惜しそうにしつつも唇が離れる。唇が触れそうなくらいの距離で「どうしたの」と言ったその声があまりにも色っぽくて、止めなきゃよかったと少しだけ後悔した。

「めがね、取らないの」
「うん。見えないから」
「……目、開けてるの?」
「開けてるよ。キスしてるときの顔ちゃんと見たいし」
「やだ、見ないで」
「やだ、見る」

 真似するな。そう抗議する前にまた唇が重なる。呼吸を奪うようで、呼吸をし合うようなそれが心地良い。ずっとしてほしいくらい。でも、やっぱり眼鏡が邪魔。かちゃかちゃと音がして気になるし、ないほうがもっと深く口付けしてもらえるのに。キスされたまま外してやろうとするけど、顔が近いからうまく外せない。ちょっと拗ねそうになっていると赤葦がまた唇を離した。

「そんなに嫌?」
「……だって」
「うん?」
「これあると、邪魔なんだもん。ちゃんとしてほしいし……」

 少しの沈黙。わたしを見下ろしたまま固まっていた赤葦が、その三秒後には片手で眼鏡を取り、そのままノールックで適当にぶん投げた。がちゃん、と壁にぶつかって床に落ちたらしい音が静かな部屋に響く。あまりにも乱暴な行動にびっくりして「壊れるよ!」とぶん投げられた眼鏡の行方を目で追おうとしたけど、それは叶わなかった。
 知らない。わたし、キスがこんなに気持ちいいなんて、知らなかった。キスされるのは嫌いじゃないし、どちらかと言うと好きだったと思う。でも、赤葦のキスはそういうレベルじゃないというか。すごく満たされる。もっとしてと言葉にするより先にわたしからも求めるようにしてしまう。そんな情熱的な感覚だ。赤葦の息遣いを耳で聞くたび、肌で感じるたび、好きだと言葉が出そうになる。唇が塞がれているから一つも声にはならない。でも、なぜだか赤葦にはちゃんと伝わっているような気がした。
 唇が離れて、呼吸が少し乱れている赤葦が、ぼすんっと顔をソファに埋める。わたしの顔に赤葦のくせっ毛がちくちく当たって少しくすぐったい。「どうしたの」と荒い呼吸のまま聞いてみると、赤葦が腕の力を入れ直した。ぎゅっと抱きしめられる。幸せ。思わずちょっと変な笑い声が漏れた。

「かわいすぎる。死にそう。殺される」
「死なないで、泣いちゃうから」
「何それもう、かわいい。やめて。これ以上俺のこと変にしないで」

 なぜだかぐずぐずと、泣いている声だった。かわいすぎて泣いちゃった、赤葦。そうからかってやると「誰のせいだと」と恨み言を言われた。
 そのあとも、赤葦はずっと抱きしめてキスしてくれた。でも、やっぱり体には触らなかった。時折耐えるようにつらそうな呼吸をしていたのは気付いていたけど、それがあまりにも嬉しくて、ときめいて、かっこよくてたまらなかったから知らんふりしてしまった。ごめんね。心の中でそう謝っておいた。


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