十月。赤葦に言われた日に有休を取って三連休を作った。何するのかな。そう思っていたら、まさかの沖縄に到着。二泊三日の沖縄旅行にやって来ている。赤葦は「本当は海外に行こうと思ってた」と無念そうに言ったけど、十分です。沖縄好きだよ。そう笑ったら「彼女が今日もかわいい」といつものノリで言われる。もういいってば、それ。笑いつつも満更でもない自分がいる。

「でもなんで突然?」
「グランピング奢ってくれたから。そのお返し」
「……お返しが五倍くらいになってるんだけど?」
「算数できて偉いね。先生が花丸をあげよう」
「馬鹿にしてるね?!」

 いや、けらけら笑っている場合じゃない。旅費がお返しのそれじゃないから。そう冷静にツッコミを入れると「いいじゃん。俺の趣味なんだから好きにさせて」と言われた。赤葦って旅行が趣味だっけ。そんなふうに聞いたことはない気がするけどなあ。首を傾げているわたしに、赤葦が満足げに笑った。「趣味、なんで」と言って。

「何それ。赤葦、彼氏になってから変な人になっちゃったね」
「なんとでも言って。彼氏になったらこっちのものだから」

 とりあえず荷物を置きに行きます、と赤葦が歩き始めた。空港を出てタクシーを拾うらしい。もうすでに観光客待ちのタクシーが数台あるので、一番前に停まっているタクシーを目掛けて歩いて行く。歩きながら、後でお揃いのアロハシャツを買おうとかなんとか、楽しい旅の予定を話す。アロハシャツはハワイな気がするけど、まあいいか。そんなふうに二人で笑って。



▽ ▲ ▽ ▲ ▽




「趣味が過ぎる」
「え、そう?」
「コテージじゃん! ホテルじゃないの?! 高いでしょ?!」
「そうでもなかった。俺の貯金を以てすれば」
「貯金崩してるじゃん!」

 赤葦が大笑いする。「せっかく来たのに喜んでくれないの?」と言われてしまうと何も言えない。嬉しいよ、そりゃあ。わたしのためにいいところを探してくれたんでしょ。嬉しい。嬉しいけど。度が過ぎるって話。
 諸々の言葉を飲み込み、しっかり喉の奥で粉々にしてから「嬉しいです……」と声を出した。それにも大笑いした赤葦の足を軽く踏ん付けておく。
 しかもオーシャンビュー。こんなの、ただの旅行で来るには贅沢すぎる。そう複雑な気持ちになってしまう。彼氏になった赤葦は、本当になんていうか、わたしのことが好きなんだなあと伝わってくる言動しかしない。なんだか溺れてしまいそうな幸福感だけれど、決して苦しくはなかった。
 コテージの掃き出し窓がすべて開けられている。今日は天気が良い。客がやってくる少し前に開けておくのだろう。美しい青空と美しい海。まるでそれが一つの世界で交わっているように見える。計算しつくされた立地だ。やっぱりここ、すごく高いのでは。大きなベッドが二つ並んでいて、ソファが三つもある。キッチンまであるしプールもついている。馬鹿みたいに最高な空間だ。

「歩いて五分で海ってこんなに近いんだね。夕方になったらまたきれいなんだろうね」
「海って入っていいのかな?」
「え、入る? 水着? 水着持ってきたの?」
「馬鹿」

 けらけら笑った赤葦が「男は馬鹿なものなので」と言う。知ってます。返しつつベッドに腰を下ろす。
 ちらりと赤葦のほうを見る。海を眺めて楽しそうにしている横顔。好きだなあ。そうじんわり染み込むように言葉が体中を巡る。手を握ってくれるのも、抱きしめてくれるのも、キスしてくれるのも。全部好き。そう息をするように思いが溢れる。
 赤葦は相変わらず、どんなに激しくキスをしてもわたしの体をそういうふうには触らない。抱きしめてくれるときも胸やお尻には触らないように気を付けているみたいで、前に腕が胸に当たってしまったときはとんでもない勢いで飛び退いて謝ってきた。変なの。好きな子のおっぱいは本能で見たいもんだって言っていたのに。ちっとも赤葦はそれを求めてこなかった。
 もうわたし、気持ち悪いなんて思わないよ。赤葦になら触ってほしいと思っているよ。そう目で訴えかけてもさすがに伝わらない。困ったな。そんなふうに一人で笑っていると、赤葦がこっちを見た。

「ん? どうしたの? 面白いものでもあった?」

 優しい顔。優しい声。それは、高校生のときから変わっていないはずだけど、わたしにはちょっとだけ違って見える。もっと優しくなった。どこか甘い響きを含んで、わたしにだけ向けられているのが分かる。そんなささやかな違い。

「赤葦」
「うん?」
「今夜、わがまま言ってもいい?」
「夜限定なの? 危ないことは却下するけど何?」
「いっぱいキスして」
「……何、もう、かわいい。今からでもしますけど?」
「それから、触って」

 ぴしっと赤葦がフリーズしたのが分かって、笑ってしまった。びっくりしてる。絶対そういう感じになると思ってた。そう口元を押さえて一人で楽しんでいると、赤葦が鈍く口を開く。「え、それは、その」と口ごもっている。

「赤葦に触ってほしいんだけど、だめ?」

 さすがに照れてしまった。笑いながら両手で顔を隠す。はじめてだ。自分から好きな人を誘ったの。こんなに緊張するんだね。そう吐き出すように全部言葉にしてしまった。とてもじゃないけど静寂に耐えられなくて。

「……だめじゃないです」
「やった」
「何、やったって。もう本当に何。なんなの?」
「なんで怒るの」
「かわいすぎて」
「はいはいありがとう」

 赤葦が頭を抱えて一つ息を吐いてから「夜コンビニ寄ります」と宣言した。ちょっと驚く。そういう準備さえも赤葦はしていなかったのだろう。たぶん、何かの拍子にわたしが見つけたりしたら怖がるかもしれないと思っていたに違いない。間違っても衝動的に手を出さないように、と思っていたところもあるだろう。そういうところ、やっぱり好き。日々それを実感するから幸せで困ってしまう。
 窓から見える海は、わたしが子どものころに見た海より少し色が濃い。コバルトブルーといった感じの色だろうか。色味は違うけどきれいなことに変わりはない。息がしやすそうだと思ったあの海。でも、もう、そんなことは思わなくなっている。海底がとても深いことをちゃんと知ったから。陸の息苦しさを紛らわしたくて、きれいなものだけを見たくて、必死に酸素を探し求めていたわたしはもういない。

「赤葦」
「はい、どうされましたか」
「ぎゅってして」
「もう何この子。どうした? 俺をどうしたいの? どんと来い」

 パシンッとお相撲さんみたいに自分の太腿を叩いた赤葦に、笑いながら飛びついた。結構な勢いだったけど文句一つ言わずに抱き留めてくれた赤葦は、両腕でしっかりとわたしを閉じ込めてくれた。わたしもぎゅっと赤葦に抱きつく。

「一つだけ俺もわがまま言っていい?」
「何?」
「犬じゃなくて猫がいいな」
「…………ごめん、何の話?」
「え、将来結婚して二人子どもを産んで、一軒家に住んで、大きな犬を飼うのが夢なんだよね? ごめん、俺は猫がいい」
「気が早い。馬鹿。もう、笑わせないでよ」

 美しい海のさざ波の音が耳を撫でる。きれいだ。こうして赤葦と並んで眺める海が、何よりもきれいだ。そう思えることはとても幸福なことで、そう思える自分がいることが嬉しい。赤葦の体温を感じながら、たまらなく夜が待ち遠しくなった。


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