仕事終わりって、どうしてこんなに体がだるいのだろう。労働の後だからですね。当たり前ですね。一人でそんなふうにツッコミを入れつつ電車に揺られている。
 赤葦とグランピングをした三日後。仕事で大ポカをやらかしたわたしは、魂が抜けたまま会社を後にした。上司にこっぴどく叱られ、先輩からもネチネチ苦言を呈され、同輩からは嫌味を言われた。仕方がない。やらかしたわたしが悪い。何も言える立場ではない。甘んじてすべて受け入れるしかなかった。
 でも、一人だけ必死でわたしを庇おうとしてくれた人がいる。後輩の子だ。新卒の男の子でわたしとはデスクが隣。今回の大ポカ、実は元々この後輩くんがやらかしたことである。ただ、軽く確認を求められて軽く流してしまったのはわたし。後輩くんのミスと上司に言うのは忍びなくて自ら火の中に飛び込んだ形だ。後輩くんは上司に「僕が間違えました」と正直に言ったのだけど、わたしが「確認したのは一応わたしなので」と庇った形。あのときもっとちゃんと見ていれば。そう後悔しているけれどもう取り返しはつかない。残業をしてミスをすべて取り返し、今に至る。
 わたしも新人のとき、こうしてミスを先輩がすべて被ってくれたことがある。先輩もあのときこんな気持ちだったのだろう。そう思うとなんだか今更感謝の念が湧く。わたしも頑張ろう。いつか何かの形で返ってくるに違いない。
 それにしても、しんどい。飲み明かしたい気持ちだけど明日も仕事だ。そう遅くまでは飲めない。それに一人じゃ何もストレス発散にならないし、おとなしく家に帰って好き放題したほうが良さそうだ。ぐらんぐらん揺れる体をつり革でどうにか支えつつ、魂が抜けたまま自宅最寄り駅に到着。ふらふらと電車を降りて、人波に運んでもらうような形で駅ホームを歩いた。
 赤葦、何してるかな。まだきっと仕事だろうけど、少しだけでも話を聞いてくれないだろうか。ぼんやりそう思いながらスマホを取り出す。ICカードをタップして改札をくぐる。家までは歩いて五分ほど。歩きながら一度電話をかけてみよう。出られないなら無理に出るタイプじゃないし。そう軽い気持ちでかけてみることにした。
 赤葦の名前をタップする。耳にスマホを当てた数秒後、予想に反して赤葦が出てくれた。「どうしたの?」といつもの声で言われて、少し面食らってしまう。仕事してるかと思った。そう返したら「え、してるけど」と当たり前のように返答がある。

「仕事してるの? ごめん、大したことじゃないからいいよ」
『残業してるだけだからいいよ。話しながらできる作業だし、周りに誰もいないから』

 どうしたの、とまた聞かれた。まだ残業している赤葦に、もう家路についているわたしが弱音を吐くのはなんだかなあ。そう笑ってしまいつつ「仕事でしんどかったから、声が聞きたかっただけ」と言っておく。話すのはまたにしよう。こうして電話に出てくれただけでかなり気持ちが切り替えられた。
 赤葦が黙りこくった。電話だと表情が見えないから戸惑ってしまう。やっぱりこんなことで電話するのは良くなかったかな。慌てて「それだけなの。ごめんね」とおどけて言うと、赤葦が電話の向こうで小さく息を吐いたのが聞こえた。

『破壊力がすごい……』
「え、何?」
『なんでそんなかわいいこと言うの?』
「は?!」
『もう仕事手につかないって。どうすんのこれ』
「そうは言われましても」

 破壊力がすごいのはそっちなんですけど。内心そう思いつつとりあえず黙っておく。赤葦は「あ〜」と唸りつつどうやら背中を伸ばしたらしい。ぎしっと椅子が軋んだような音がかすかに聞こえた。お疲れの様子だし、そろそろ電話は切ったほうが良さそうだ。「仕事頑張って」と会話を切り上げようとするのだけど、赤葦がうまく躱してくる。「今家なの?」と聞かれたので、駅から歩いているところと答えれば「このまま電話してたほうがいいよ。周りに人いる?」と心配してくれた。大通りで結構人が歩いているから大丈夫。そう言っても電話を切る気配はないままだった。

「あ、そうだ。赤葦、次いつ休み空いてる? お互いおすすめの映画持ち寄って観ようよ」
『いいね。今週末は空いてるけど、は?』
「余裕で空いてます」
『じゃあ今週末で。配信されてる映画なら観られるし、うちでいい?』
「了解。使ってる配信サイト何だっけ?」

 そんなふうに話しているとマンションに到着。通話したままエレベーターに乗り、そのまま下りて部屋の前へ。肩でスマホを挟みつつ両手で鞄を探り鍵を取り出す。赤葦は「何系にするつもり?」とわたしのおすすめ映画に探りを入れてくる。どうしようかな〜、なんて茶化しつつ中へ入って鍵を閉めた。
 通話したまま部屋へ歩いて行き、いつもの場所に鞄を置き、脱げる範囲の服を脱いでおく。晩ご飯は昨日残り物だ。適当に食べてしまおう。またスマホを肩で挟んでから冷蔵庫を開けた。

「じゃあわたしホラー映画にする」
『うわ、取られた。じゃあかわいい系にしようかな』
「かわいい系って何?」
『それは楽しみにしといて』

 気になる。週末の楽しみができてしまったじゃないか。もう今週は仕事をきっちり頑張るしかない。そう言ったら「それならよかった」と赤葦が笑った。
 結局、わたしが晩ご飯を食べている間もスピーカーにして通話は続いた。わたしがお風呂に入るまで通話しっぱなしになってしまったので、残業中の赤葦に謝ったけれど「このほうが頑張れるからいい」としか言われない。優しすぎるんじゃないだろうか。少し困ってしまったけど、有難いことだ。頭が下がる思いでお礼を言って「じゃあまた週末ね」と電話を切った。


戻るnext