大会の前日。部員全員でミーティングをしたあと、いつもなら好きに自主練習をして解散となるのだが、今日はもう時間が遅くその場で解散となる。何人かが監督に自主練習をさせてほしいと申し出ていたが監督から許可は下りなかったらしい。まあもう外はどっぷり暗くなっているし、あまり大会前日に体を疲れさせるのも良くない。みんなそれがよく分かっているので割と素直に自主練習を諦めて着替えに向かった。
 舞ちゃんと二人で更衣室から出ると、陸上部の人とすれ違う。同じクラスの子だったので少し立ち話をしてから手を振って別れ、前を向き直す。かなり暗いところにぽうっと淡い光が一つ見えた。舞ちゃんがわたしの制服の裾をくいくい引っ張る。そうして耳元で「わたし、先に帰るね」と呟いてそそくさと暗闇の中へ消えて行ってしまった。
 淡く光っているそれをじっと見つめる。スマートフォン画面の明かりを見ているのは、どう見たって二口くんだった。少し前の日常、わたしが着替え終わるのを待ってくれていたその場所に、まるで日常が戻ってきたように立っている。そんな馬鹿なことを考えてしまったのが情けなくてぶるぶると首を振る。別の誰かを待っているのだ。今の二口くんにわたしは必要ないのだ。だからこそ、お別れしたのだから。
 気付かれないようにそっと通り過ぎようと声はかけずにすると、その顔が急にばっと前を向いた。

「……いや、無視すんなよ」
「えっ? あ、ご、ごめん、誰か待ってるのかと、思って」
のこと待ってたんだけど」
「……え?」
「話したいことが、あって」

 スマホの光が消える。ポケットにそれをしまうと、二口くんは壁にもたれ掛かっていた体を起こして歩き始めた。いつかの日常。よく知っている速度で歩くその足がひどく懐かしく思えた。
 隣を歩いていいのか分からない。二口くんの二歩後ろくらいを歩いてその背中を盗み見る。ああ、二口くんの背中、おおきいなあ。

「なあ」
「あ、はい!」
「怒ってるか」

 ぼそりと叱られた子どものような声。足音に紛れてしまいそうなほど小さいその声に、息が止まった。ぎゅうっと喉の奥が締め付けられて言葉が出せない。なんて、返せばいいんだろう。なんて返してほしくて二口くんはそんなことを言ったんだろう。

「いや、ごめん、そりゃ怒ってるよな、ごめん」
「……別に、怒っては……ない、けど」
「もっと怒らせること言うけど、いいか」

 二口くんの足が止まる。ゆっくりくるりと振り返ったその背後に、いつもより明るい月が見えた。風に揺れる二口くんの髪に、ほんの少しだけ光る瞳。ネクタイがふわふわとわたしの方へ手招きするように泳いでいる。

「俺、この部でやるバレーが、たった三年間しかない今が、今は一番好きだ」

 まっすぐな目。まっすぐなのにどこかふわふわと寄り道でもしそうな色を帯びている。独りでにきらきら、ゆらゆらと。ああなんて美しい光なんだろう。その光を見ていると、不思議と心が軽くなる。感情が凪いで落ち着いていく。ずっと浮いていた体がしっかりと地面についたような。そんな心地よい感覚。

「けど、もし、その一番がなくなったら」

 風がやむ。静かな夜が一気に広がり、いつの間にか流れてきた雲に月が出たり隠れたりを繰り返す。忙しなく色を変える空と色を迷っている瞳。それが交わるのを待ちながら、ただひたすらに拳をぎゅっと握った。
 一生懸命な二口くんが好きだ。軽口を叩くことが多いけど、好きなことには一生懸命で一直線で。なんだかんだ文句を言いながらもその温かい手を伸ばしてくれる。自分にも他人にも厳しいけど、何よりも優しい人なんだ。そう。自分に厳しいんだ。知ってるよ。
 知ってるから、泣かないで。言葉に出したいそれは涙でしか出すことはできなかった。

「自分勝手なのは分かってる、でも、それでも、また」

 ざあっと吹いた強い風が体にぶつかる。雲が一気に流れて月がすっかり姿を取り戻す。視界が開けたように明るくなった周囲で二口くんだけが、わたしには光って見え続けている。

「そのときは、また」

 言葉がなかなか続かない。分かってる。何を考えているのか、ちゃんと分かってる。分かってるから、もう言葉を待たなかった。

「うん。 待ってるよ、堅治くん」


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