茂庭さんたち三年生は春高まで残らない。それはもともと決まっていたことで、その気持ちは変わっていないと鎌先さんが言っていた。試合開始のホイッスルが迫る。インターハイ予選がはじまる。みんなが目指したものへの道が開くその瞬間。たった一度しか開かないその道を、みんなはまっすぐに、ときおり足をもつれさせながら歩いていくんだ。
 コートの中に入るのは舞ちゃんに任せた。舞ちゃんはとても遠慮をしたけれど、ほとんど無理やり中を任せた。どうしようもなく、大声で、応援したい気分だったから。コートの中でアップをはじめるみんなを見ていると、今まで駆け抜けてきた日々が嫌でも思い出される。試合に出ないのに武者震いがする。
 二口くんに言えなかったことがある。わたしも、一番好きなんだ。この空間、この空気、この光景が。短いたった三年でしか味わえないこの時間が、一番好きなんだ。
 時計が動き出す。体が一気にぶわっと熱くなる。ぎゅうっと拳を握って、すうっと息を吸い込む。他の人に負けないくらい大きい声で、精一杯、この時間を守るんだ。
 三年もあるじゃないか。そう言う人もいるだろう。でもわたしにとって、二口くんにとって、三年という時間は短い。短い上に一年一年、一つの大会がそれぞれたった一度だけなんだ。同じメンバーで歩める時間は短いんだ。先輩のことを小ばかにするような発言ばかりの二口くんだけど、その短い時間をものすごく大事にしてるの、知ってる。ものすごく大事で仕方ないんだって見てて分かる。分かるからこそ、同じだからこそ、わたし、マネージャーをやめなかったんだから。
 握った拳から力が抜ける。ああ、はじまる。たった一度だけの、試合が一つ。



▽ ▲ ▽ ▲ ▽




「次は烏野か…」
「また止めてやればいいだけじゃないですか〜。鎌先さん、ビビってるんですか〜?」
「ビビってねーよ!」

 くすりと笑うとそれを見ていた舞ちゃんも一緒に笑った。一時半から午後がはじまるとのことだったので一時まで自由時間になっている。各々自由に好きな場所へふらふら言ったり、ここに残っていたり。わたしは外の空気が吸いたかったから舞ちゃんを誘って外でお昼を食べるつもり、だったのだけど。「舞ちゃん、お昼、」と声をかけた瞬間にぽん、と後ろから肩を叩かれた。

、飯外で食うだろ。行くぞ」
「え、あ、う、うん」

 勝手にわたしの鞄を漁ってコンビニで買った昼食を取り出す。それを片手にふらふらと外へ向かって歩き出した背中をぽかんと見つめてしまう。舞ちゃんが「ちゃん、ちゃん!」とわたしの腕をぶんぶん振り回す。「早く行かなきゃ!」とばしばし背中を叩くもんだから、「痛いよ舞ちゃん」と苦笑いしてしまった。
 二口くんが出入り口の前で振り返る。「なにしてんだよ」と呆れた顔をして口が動いたのが見えた。急いで立ち上がって舞ちゃんに「ごめん、行くね」と言って手を振る。舞ちゃんは「行ってらっしゃい!」とぶんぶん手を振ってくれた。

「おせーよ」
「ごめん……というか、わたし舞ちゃんと食べようとしてたんだけど!」
「滑津はそのつもり微塵にもなかったみたいだけど〜?」
「うるさいなあもう!」

 二口くんの背中を軽く叩く。「いてーよ」と言いながら笑うと、二口くんはわたしの昼食を指でくるくる振り回す。「ちょっとやめて!」とそれをつかむ。二口くんは「ごめんって」とわたしの頭をぽんぽん叩いた。
 変わったことがある。二口くんとわたしは部員とマネージャーになった。もう恋人じゃない。変わらないことがある。お互い、何一つ変わっていない。変わったことの方がわたしたちには少なかった。遠回りしてぐちゃぐちゃにかき回して複雑にしてしまっただけだったのだ。まあ、ぜんぶ悪いのは二口くんだけど。

「なんだよその目」
「二口くんはひどいなあと思って」
「……言ってることと表情がかみ合ってないんですけど〜」

 外の心地よい風が頬をかすめる。前髪を少し払ってから二口くんの顔を見ると苦い顔をしている。

「……ごめんってば」
「え、なんで謝るの。笑ってるのに」
「いや、なんとなく」

 ちょうど空いているベンチを見つける。二口くんはそこに小走りしていち早く座ると、隣を手で軽く払った。ちょっと固まってしまうと二口くんは不思議そうな顔をして「なんだよ」と首を傾げた。

「一生許さない」
「な、なんだよ、突然……本当、ごめんって……」
「一生許さないから、一生謝り続けてね」
「……それあんまときめかないんだけど」

 息をもらすように、とても軽く笑う。変わらない。何も変わっていない。変わっていなかったんだ。まっすぐ歩くための寄り道だと思って、心の中では許してあげよう。
 ひどい。本当にひどい人。そう思えば思うほど口元が緩んで仕方ない。ひどいことをされたはずなのに、どうしてこんなにも気持ちが前を向いているのだろう。不思議でたまらない。でも、いまは。ただ前だけを見てまっすぐ歩くこの背中を、少し後ろから見ているだけでいいと思えるのだ。いつか訪れるであろう切ない終わりのその日まで。


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