伍ノ型 熱界雷
 スマホが今までにないほどけたたましく鳴った。ちょうど晩御飯を食べ終わったところでリビングにいたため、その音に獪岳が「テメェうるせーんだよ」と思いっきり俺の頭を殴る。じいちゃん「やめんか」と止めつつもあまりの煩さに顔を顰めていた。アラームが間違えて作動したと嘘を吐き、スマホをいじる。画面を見た瞬間に息が止まった。「鬼多数出現、直チニ急行セヨ」。今まで見たことのない伝令だった。
 心配するじいちゃんを押しのけて「ちょっと友達のところに行くだけだから」と言い残して家を飛び出た。スマホの画面にはところどころ鬼が出現していると表すポイントが地図上についている。こんなにも一斉に出現したのは俺が今世で鬼殺隊に入ってからははじめてかもしれない。隊士がすでに向かった場所にもポイントが付くようになっているが、ほとんどの場所にもうそのポイントもついている。一歩出遅れたというわけだった。ここから一番近い場所はポイントが二つついている。炭治郎とカナヲちゃんだった。あの二人なら俺が行かなくたって大丈夫だろう。他に苦戦していそうな場所は、とスマホを見ていると、ぽんっと地図上に新たなポイントがつけられた。隣町だった。が住んでいるところ。俺以外のほとんどが交戦しているので、隊士たちのポイントが動くことはない。行かなきゃ、俺が。なんで俺なんだよ。頭の中でそんなことを吐き捨てながら必死で走った。どうか、どうか。神様、どうか。の元に鬼が現れませんように、どうか、どうか。じゃあ他の人だったらいいわけ? 俺って本当、自分勝手だよな。ぐっと手を握りしめる。現れた日輪刀を握ってただただ唇を噛んだ。
 隣町に近付くにつれて、煙たい空気が流れ込んでくる。それにどくん、と心臓が一瞬で熱を帯びた。知っている臭い。炭治郎みたく鼻が利くわけじゃない俺でも分かるくらい強い臭いだ。近くにいる。この町のどこかにいる。この臭いは、煙溺だ。



▽ ▲ ▽ ▲ ▽




 町におびただしいほどの煙が渦巻いている。生き物のように蠢いているそれは何かを探しているようだった。自分のすべての感覚を否定したくなる。なぜ? なぜ奴がここに? 俺が斬ったはずなのに。 首が落ちたところは見ていない。けれど、奴が血鬼術でに同化し切れていなくて、奴の残った煙だけが逃げ延びていられたら? そう考えると背筋が凍った。あのとき俺が仕留め損ねたか、奴もしぶとく生まれ変わったか。もし後者だとしたら今世でも鬼になるなんて信じられないけれど。
 一瞬で分かった。奴が探しているのは、大正時代に己が仕留め損ねた鬼殺隊の隊士だ。。奴の首と共に死んだ、だ。の生花店に向かって真っすぐ走った。奴は鼻が利くわけじゃない。耳が良いわけでもないからこうして町をうろついてを探すしかないんだ。それに加えてが記憶を持っていないから気配も多少違うのかもしれない。煙も本体の意思に近付かなければ吸い込んでも特に問題はない。恐らく力が落ちている、もしくは目覚めてまだ間もないか血を与えられてあまり時間が経っていないか。俺は血鬼術がどういうものかも分かっている。何を狙っているかも分かっている。今世こそはしくじらない。必ず俺がこの手で斬る。
 足を止めた。の家の前。寝静まっていると思われるの家は真っ暗だ。煙溺は恐らくが記憶を持っていて、鬼殺隊に所属していると思い込んでいる。だから民家に入らず鬼殺隊士を誘い込むように動き続けているのだろう。の家は大丈夫。それならあとは奴を斬るだけ。奴本体はどの辺りにいるのか聴覚で探ってみる。何かぼそぼそと呟いているのがさっきからかすかに聞こえているからまだ遠くにいるはず。近くの民家の屋根に飛び乗って辺りを見渡すと、一面の煙がところどころでまだ蠢いている。目を瞑って耳を澄ます。殺してやる、必ず見つけ出してやる、嬲り殺してやる、あのときのようにはさせない。怨念のような声だった。聞こえて来る声が突然近付いた。猛スピードでこちらへ向かっている。気付いたか。じゃなく、俺に。この場を離れるように開けた場所へ誘導していく。民家のない林の中だ。
 立ち止まって振り返ると、もやもやと煙が漂っている。一瞬人の顔のような形が見えては消え、また見えては消える。それを繰り返して煙がにやりと笑った。

「お前、あのときの鬼狩りだな、ようやく見つけたぞ、探していたのは女のほうだが」

 その声、よく覚えている。夢で何度も聞いた。ぐっと刀を握る手の力が強まると、町に漂っていた煙がどんどん奴に集まってくる。林をぐるりと囲んでいるらしいそれに恐怖はない。怒りと憎しみだけが俺の中に渦巻いていた。鬼は不死身だが絶対に死なないわけじゃない。首を斬れば死ぬし日の光に当たれば死ぬ。死ぬ要素を必ず持っている。煙の姿になったからとそれを消し去れるわけじゃない。だから、この姿のままでも必ず死ぬのだ。恐らくこの煙の細かい粒子の一つ一つ、どこかに首部分があるはず。奴が一瞬姿を戻す隙を狙うか、粒子を残らず斬り落とすか。もしくは何らかの攻撃で奴の煙を一点に集めるか。
 煙が近付いてくるときは何かが擦れるような音がかすかにする。その音が聞こえているときは空気を吸えない。呼吸ができない。ただひたすらに耐える。あのときとは違う、ただ怯えているだけ、ただ耐えているだけじゃない。次に備えて耐えているのだ。奴にはそれが過去と重なっているようで、ときどき笑い声が聞こえた。

「あのときと変わらぬ腰抜けめ、また女と共に俺を殺すのを待っているのか」

 煙が空高く舞い上がる。満月がきれいな夜だ。月を隠すように煙が蠢くと、頭上高くから一気に俺のところへ落ちてくる。煙自体は吸い込まなければそこまでの攻撃はしてこない。頬や手、肌が少し切れた感覚があったが致命傷ではない。恐らく俺が呼吸をするのを待っている。煙が再び頭上に上がっていく隙に呼吸をすると、煙溺が少しイラついているのが音で分かった。まだ自分の能力を昔ほど使いこなせていない。その様子からして、奴は生き延びたのではなく、俺と同じで生まれ変わったのだと悟った。鬼まで生まれ変わるのかよ。報告したらみんな驚くだろうな。
 奴は昔の記憶があるから余計に腹が立っているのだろう。なぜ前みたいに動かせないのだ、と。苛立ってくれているのなら好都合だ。隙が生まれやすい。煙の状態よりも本当の姿のほうが力が強くなるだろうし、痺れを切らせばそのときが来るかもしれない。逃げるのは得意だ。耐えるのも得意なほうだと思う。煙での攻撃を避けながらひたすらにそのときが来るのを待ち続ける。
 風が吹いた。上手く血鬼術を使いこなせない煙溺の煙がほんの少しだけ流れていく。煙溺が舌打ちをすると煙が一ヶ所にまとまりはじめる。煙の姿を長くは保てないのかもしれない。呼吸ができる。めいっぱい空気を吸い込んで攻撃に備える。煙溺に気付かれないように踏み込もうとした瞬間、ぱきっ、と木の枝が折れる音が聞こえた。そちらへ恐る恐る視線を向ける。なんでだよ。なあ、なんでなんだよ。唇をきつく噛んだ俺の顔を、困惑した顔で見ていた。

「我妻さん……?」

 なんでだよ、なんで、なんだよ。

戻る
Design by slooope