肆ノ型 遠雷
 生花店はうちの学校から自転車で約三十分ほどのところにある。何を思ったのか自分でも分からないけれど、学校帰りにわざわざ家から反対方向のそこへ来てしまっていた。キキッと自転車を停めて、物陰に隠れて見守ってしまう。生花店の中にはの母親らしき女の人と、従業員らしき若い女の人の二人きり。の姿はなかった。恐らく学生で、まだ学校から帰っていないのだろうか。どこの学校に通っているんだろう。何年生なんだろう。部活に入っているのだろうか。兄弟はいるのだろうか。……そこまで考えて、それは自分には関係のないことだとようやく気が付く。思い出してほしくないのにそんなことを俺が知る必要はない。こんなところに見に来るなんてやっぱりどうかしている。
 でも、やっぱり。俺は心が弱いからどうしても思い出してしまうんだ。じいちゃんと獪岳と、と俺。四人で暮らした短いあの時間を。俺が殺したようなものなのに笑っちゃうよね。

「あの」
「わっ」
「昨日の方ですよね?」

 背後から声をかけられた。全然気が付かなかった。慌てて振り返ると、がいた。制服を着ている。うちの高校から少し離れた女子高の制服だった。でもそれはカナヲちゃんが通っている高校のもので、心臓が少しだけ冷たくなる。嫌だ。カナヲちゃんとは顔見知りだった。何か思い出すファクターになりかねない。嫌だ、思い出してほしくない。
 でも俺が思い出してほしくない理由ってさ。俺が、を、殺したから。恨まれたくないから。に負の感情を向けられたくないからなんだ。なんて自分勝手なんだろうと笑ってしまう。

「あの、どうかされたんですか? 顔色が悪いですけど……」
「いや、何でもないです。近くを通りがかったので、だ、大丈夫かな、と思って」
「心配してくださったんですか? ありがとうございます」

 にこにこと笑うとは「あ、そういえばお名前聞いてませんでしたね」と言う。聞かれて答えない、というかわし方ができなくて「我妻です」とだけ名乗った。は「あがつまさん」と確認するように俺の名字を呟くと「お花、ご入用のときはぜひうちの生花店で!」と明るく言った。
 ああ、泣きそうだ。俺やっぱり、やっぱりさあ、のこと、好きだよ。家族だったけど、女の子として好きだったんだ。言えないままだったけど。いつか俺が立派な剣士になったら告白しようって思っていたんだ。俺が、この手でその誓いをできないものにしてしまったけれど、それでも思っていたんだ。好きなんだよ、神様、俺、この子のことが。

「我妻さん?」
「……あ、俺、もう行きます。すみません」
「そうですか……お気を付けて。また来てくださいね」

 昔より少し伸びた髪。昔より背も伸びている気がする。けど、笑顔は変わらない。声も、優しさも、温かさも。俺が知っているの音がする。何も変わっていない。それが嬉しくて、悲しくて、怖くて、俺は少しだけ泣いた。
 ああ、どうして来てしまったんだろう。思い出してほしくないのに来てしまった。俺って本当、馬鹿だよなあ。自転車を漕ぎながら溢れる涙を必死でこらえた。じいちゃんに怒られる。獪岳に馬鹿にされる。ガキの頃から変わらず泣き虫だな、と。そうだよ、俺は泣き虫だ。子どものころからじゃない、もうずっと昔から泣き虫なんだ。馬鹿で情けなくてどうしようもない泣き虫なんだよ。
 恐ろしいほど真っ赤に燃える夕日が眩しくて、きれいで、あたたかくて。こらえていた涙がぼろぼろと溢れて、消えていった。

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