名古屋駅からバスに乗り、辿り着いた美術館を見上げて山姥切長義は「やはりか」と呟く。審神者が山姥切長義の顔を見て笑った。

「残念だけど俺≠ヘ厳重に保管されているよ。他の刀が見たいなら話は別だが」
「でも、たまに顔を出すんじゃない?」
「……やはりそういうことか」
「この時代の長義も見てみたいなって」

 審神者が入り口付近にあるカウンターのパンフレットを手に取る。それを山姥切長義に渡すと「ね」と顔を覗き込んだ。本作長義以下五十八字略、と略されているのに苦笑いをこぼしつつも「なるほど。そういうことか」と言う。確かに滅多にないことだ。今日を逃せばもう見られる機会はそうそうない。審神者は申請が通りさえすれば現代にいつでも行けるが、なかなかそんな機会はない。大した用もないので現世任務以外では現代へ赴いたことがないほどだ。せっかくだから見ておきたかったのだろう。
 二人分の入館料を支払って館内へ入る。他にも様々な展示がされているのを興味深そうに審神者が見ている。山姥切長義はその姿を見て、東京にいたときと逆だな、と一人で笑った。街並みが珍しくてきょろきょろしていた山姥切長義に代わり、美術品が珍しくてきょろきょろとする審神者。今度は山姥切長義が知っている限りの解説をしてやりながら奥へ進んでいく。
 そうして、その姿を見つけた。他にも見ている人がいるので後方から展示されている刀身を見つめると、審神者が「きれい」と呟いた。

「長義も見える?」
「まあ、見えてはいるかな」
「きれいだね」
「……あれは厳密にはここにいる俺ではないが、一応君の刀だからね。当然だろう」

 前で見ていた人が違う展示へ映っていく。審神者と山姥切長義が前に進み、きらりと光っている刀をじっと見つめた。後方にもこの本作長義を見るために人が並んでいる。もう振るわれることはなく美術品としてここに在る刀を見るために。幾星霜の時代を超えて現代まで残った刀に、それぞれがいろんな想いを向ける。歴史を知っている者は歴史を想い、歴史を知らぬ者は美術品としての価値を想う。幾重にも折り重なり、今日までここに在ったのか。ガラス越しに見る人間たちをそんなふうに思ったことはなかったな、と山姥切長義は息をつく。刀剣男士として形を成さなくとも、生きていたのか。そう思えた。

「長義」
「何かな」
「きれいだね」

 審神者がそう笑って山姥切長義の顔を見る。山姥切長義も審神者の顔を見つめ返して、一つ瞬きをした。「君もきれいだよ」と笑って言えば、審神者が顔を赤らめて「からかわないで、恥ずかしいから」と大慌てで後ろの人に順番を譲る。微笑ましそうに笑う人の声から逃げるように移動していく審神者の後をついていく。どこに行くのか、と笑っていると、審神者は本作長義を見る人の列の一番後ろに並び直した。

「……もう一回見たいからわたしは並ぶけど、長義は好きなところ行ってもいいよ」
「馬鹿を言わないでくれるかな。主を置いて一人でうろつく者はいないだろう」
「主って言い方はしない決まりじゃなかった?」

 不思議に思われるでしょ、と審神者が拗ねたようにそっぽを向く。人に微笑ましそうに笑われて恥ずかしかったらしい。機嫌を損ねてしまったな、と山姥切長義が笑う。


「…………でいいよ」
「いや、君はだ。何もしようと思わなければ呼んでも問題はないだろう」

 審神者が諦めたように「いいけどさ……」と少し不満げに呟いた。そのあと数歩列が進む。審神者と山姥切長義も数歩前に進むと、一番前で見ているらしい子どもが「かっけー!」と言った声が聞こえた。それを両親が窘めている。はじめて見た刀に興奮したのだろう。審神者が見てみると、小学校高学年くらいの男の子だった。

「かっこいいってさ。よかったね」
「まあ、当然かな」
「長義っていい性格してるよね。そういうところ……」
「そういうところ、何?」

 先ほどの子どもと両親が列から離れる。子どもがもう一回見たいとごねている声に、審神者たちの前に並んでいる人が「かわいい」と笑った。恐らく刀を見たい、と言ったのだろう。なかなか子どもには美術館の魅力は分かりづらいものだ。好きなものが明確にあれば、ああして両親にねだって連れてきてもらうこともあるだろう。あの子にとって刀は、何よりもかっこよくて魅力的なものなのかもしれない。
 審神者は、山姥切長義の顔を見つめて固まる。自分が口走ろうとした言葉を頭に浮かべて、ほんの少しだけ顔が熱くなったのを感じた。そうっと目を逸らして「何でもない」と誤魔化すが、山姥切長義に誤魔化しは利かない。「隠されると気になるのだけど」とずいっと顔を寄せる。

「そんなにひどい言葉を言おうとしていたのかな。さすがの俺も傷付くね」
「違うから。ひどい言葉じゃない」
「じゃあ言ってごらん。怒らないから」
「……好きだよ、って言おうとしただけ」

 また数歩列が進む。それに続いて審神者が進んだのに対して、山姥切長義は一歩出遅れる。審神者が「長義、動いてるから」と言って、山姥切長義の右手首を掴んで引っ張る。それにつられて山姥切長義が審神者の隣までようやく動き、じっとまた顔を見つめた。
 照れている。それがすぐに分かる顔をしている。山姥切長義に好きだと言ったことに照れているのだ。その顔をしばらく眺めていると、審神者がぎろりと山姥切長義を睨んだ。けれど、本物の殺意を向けられる戦いに慣れている山姥切長義には怖くもなんともない。子猫に睨まれた程度のものだった。「じろじろ見ないで」と審神者がそっぽを向く。子どもか。山姥切長義は素直にそう心の中で呟いて、笑ってしまった。

「もっと大胆なことをもう言ったのに、そんなに照れるなんて」
「……何のことだっけ。よく覚えてない」
「そういう誤魔化し方をされると、どちらも本気だったと受け取るけれど。いいのかな」

 また一歩進む。山姥切長義の手首を掴んでいた審神者の手が離れる。けれど、今度は山姥切長義がその手を掴んだ。二人で一緒に前に進むと、美術館の中だというのに風が吹いたように感じた。
 山姥切長義に手を握られたまま、審神者は前だけを見た。今見ている人が移動したら審神者たちの番だ。そのときを今か今かと待っている。山姥切長義はそれに少しだけ呆れたけれど、今は付き合うことにした。
 そうして、順番が回ってきた。二度目の対面。審神者は目の前で光る刀身を無言で見つめている。瞬きも忘れて。息をしているように見える。審神者として本丸で生活をしているからかもしれない。刀剣男士と関わっているからかもしれない。たくさんの要因はある。それでも、今この場で審神者の手を握っているのは、山姥切長義ただ一人だけ。今目の前にある刀がただの刀に見えないのは、山姥切長義が隣にいるからという以外の何でもなかった。
 審神者の手がそっと山姥切長義の手を握り返した刀を見つめたまま「きれいだね」と呟く。山姥切長義ももう一度手を握り返しながら「そうだね」と返した。それからしばらく黙って二人並んで刀を見つめる。目に焼き付けるように。審神者はぽつりと心の中で呟く。これが、わたしが、愛した人なんだ。そんなふうに。
 後ろの人に順番を譲り、手を繋いだまま展示スペースから離れる。そのとき、審神者が持っている通信機器が鳴る。メッセージを開いてみれば、すでに昼前に退去済みのサクライと篭手切江に続き、アラキと鶴丸国永の退去が完了したとのことだった。次は審神者と山姥切長義の番だ。退去予定時刻は今から一時間後。人気の少ないところへ移動せよとの連絡だった。
 美術館の隣接している広い庭園がある。そこならいくらでも人気のないところはあるだろう。そう審神者が言って、美術館の出口へ向かおう、としたのを山姥切長義が手を引っ張って止めた。振り返った審神者が「どうしたの」と首を傾げる。美術館の中では目立ってしまう。人間の記憶から消える山姥切長義と違って、審神者の姿は記憶に残ってしまう。突如として人が消えてしまえば騒ぐ人もいるだろう。それを避けるための移動だというのに。そんなふうに山姥切長義を見つめていると、不満げに「ちょっと」と山姥切長義が眉間にしわを寄せた。

「俺の問いに答えていない」
「……と、問い、って」
「もう一度聞こうか。君の言葉を本気だったと受け取っていいのかな」

 審神者の手を強く握り直した。ぎゅうっと痛いくらいのその力に審神者が唇を噛む。審神者は、刀剣男士をほとんど嘘を吐いたことがない。子ども騙しの小さな嘘や、心配させまいとする強がりの嘘は吐いたことはある。でも、どれも細やかなものばかり。だから、山姥切長義への言葉のどれもこれも、嘘もからかいもない。

「……いい、よ」
「…………そうか。分かった」

 満足そうに山姥切長義が笑った。それから審神者が歩いて行こうとした方向に歩き始める。審神者の手を引いて美術館の出口をくぐり、「で、どこに行く?」と審神者の顔を見る。審神者が「あっちかな」と指を差した方向へ歩いて行くと、きれいに手入れされている庭園が見える。どこか上機嫌な山姥切長義が歩いて行くと、俯いて恥ずかしそうな審神者が手を引かれてついていく。
 これは、そういうことになったのだろうか。審神者は内心そんなふうにパニックだった。山姥切長義は一つも直接的なことを言っていない。好きだとか何だとか。審神者の言葉が本気だったのか、と聞いてきただけだ。恐らく新幹線の中で言った、神域をまた見たい、という言葉のことだ。それはまた神隠しされても構わない、という意味だ。攫ってほしい、と言っているようなものである。付喪神にとっては熱烈な愛の言葉だっただろう。
 二人は手を繋いだまま庭園をゆっくり眺めて歩いた。途中までは恥ずかしそうにしていた審神者も、あまりにきれいな光景に次第に顔を上げ、先ほどまでのことは一度忘れて素直に楽しんでいた。山姥切長義が見せたあの光景に少しだけ似ている。そんなふうに思いながら。穏やかに庭園を歩いて回った。
 牡丹が咲いている隣で藤の花が揺れている。審神者が「きれいだね」と山姥切長義に言う。山姥切長義はその審神者の顔をじっと見つめてから「きれいだね」と返した。それからまた花に視線を戻して、呼吸をする。もうそんなに時間はない。辺りにはちらほらと人の姿がある。けれど、誰しもが人の姿など見ていない。きれいな花々に夢中だ。
 藤棚を少し通り過ぎた先の、花が遠目に見えるところまで移動した。通信機器に連絡が入り、画面をタップすればカウントダウンが表示された。残り六十秒。審神者が「もう帰る時間だね」と呟く。過酷な任務だった。失ったものは多い。それでも、得たものもちゃんとある。それを噛みしめるような声だった。



 山姥切長義の声は刀のようにきらりとしていて、どこか冷たく聞こえる。けれど、不思議と温度はある。温かさはあって、それを通して優しさを感じる。そんなふうに審神者は感じる。その声に名前を呼ばれるというのは、どうしようもなくくすぐったくてたまらない。なぜだか一層優しさを感じてしまうからだ。

「君は手放しに俺をきれいだと言うけれど、人を生かそうとする君のほうがきれいだと俺は思うよ」

 審神者は山姥切長義に反論しようとした。けれど、山姥切長義は今言いたいのは己が反論しようとしている箇所ではない。それを察してぐっと押し黙る。山姥切長義がそれに優しく笑って少し目を伏せた。
 風が吹いた。正真正銘の風だ。藤の花が揺れているのが横目に見える。審神者はそのことも含めて、きっと、今日のこの光景を忘れることはないのだろうと確信した。

「だから、俺は君がほしいと思ってしまうのかな」

 山姥切長義が小さく笑う。照れくさそうでもあり悔しそうでもある。残り時間は十五秒。審神者は山姥切長義の手をしっかり握り直して、ゆっくり息を吸った。

「わたしは、人を守ろうとする長義こそが、きれいだと思うよ」

 残り時間十秒。山姥切長義は審神者の顔を見つめて「そうか」と呟く。そして、また強い風が吹いた。
 牡丹と藤を見ていた人たちが「えっ」と声を上げた。誰もが花から視線を外して、上を見たりあちこちを見ている。風に乗って、桜の花びらが飛んでいる。もう時期はとっくに過ぎている。この庭園にも桜が咲いている場所はもうない。「季節外れの桜だね」と人々が嬉しそうに舞い上がる桜の花びらを見上げる。どこに咲いているのかと飛んできた方向を誰もが見たけれど、とんと、どこにも桜など咲いていなかった。それどころか、先ほどまで舞っていた桜の花びらは、どこにも残っていなかった。

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石見国第〇番本丸 同行:篭手切江※退去済み
(備考:サクライ/二十代男性)※退去済み
周防国第〇番本丸 同行:鶴丸国永※退去済み
(備考:アラキ/三十代女性)※退去済み
〇〇国第〇番本丸 同行:山姥切長義※退去済み
(備考:/○代女性)※退去済み
武蔵国第○番本丸 同行:燭台切光忠
(備考:タナカ/十代男性)
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