――任務完了から、二週間。

「ね〜主、さすがにそろそろ畑当番飽きてきたんだけど〜」
「出陣した〜い」
「遠征行きた〜い」
「演練した〜い」
「はいはい、ごめんね」

 口々にそうこぼすものだから審神者も笑ってしまう。そうして真似するように「わたしも出陣させた〜い」と言うと「ね〜」と返ってくる。内番も何もかも終わった加州清光、乱藤四郎、鯰尾藤四郎、鶴丸国永が暇を持て余して執務室へ来ているのだ。
 刀剣男士たちは本来の仕事ができずに退屈している者も多いが、審神者は結構この時間が好きだった。今まで忙しくて時間を取って話ができなかった者とも話ができた。今まであまり気付かなかった本丸の修繕箇所を見つけた。本丸から出ることはできないが、本丸内でもやることは山積みだ。そんなふうに一つ伸びをした。
 多くの犠牲を出した二週間前の任務の詳細は公表されなかった。被害数は発表されず、任務が無事に完了したことだけが報告書にあがっていた。任務で知り合ったジンノから届いた文には「政府ぶっ飛ばしたい」と書かれていたが、何をしても揉み消されるだけだ。また淡々と任務に当たる日が来るまでは大人しくしているしかできなかった。
 こんこん、と軽く壁を叩く音。振り返ると、にっこり笑った山姥切長義が「君たち、主の仕事を邪魔して何をしているのかな?」と加州清光たちに声を掛ける。加州清光が「だって暇なんだもん」と頬杖をつく。それを真似して乱藤四郎も「だもん」と言うと、山姥切長義は「だもん、じゃない」と二人の頭を軽く叩いた。

「ねーこの新米近侍偉そうなんだけどー。主どうにかしてよ」
「どっちかっていうと先輩近侍の加州さんがどうにかしなきゃいけないんじゃないですか?」
「鯰尾にしては正論じゃん。やめてよ」
「邪魔をするなと言っているのが聞こえないのかな」

 鶴丸国永が「主も暇してるだろ?」と笑って言うが、審神者は「どう見ても書類整理してるんですが」と苦笑いを返す。暇ではない。いてくれるのは構わないけれど。そんなふうに言うと山姥切長義が「いても邪魔するだけだろう」と四人をつまみ出した。それに乱藤四郎が「長義さんだけずるい! 主さんと二人っきりになりたいだけでしょ!」と山姥切長義を指差す。他の三人も「確かにそうじゃん、ずるいずるい」と山姥切長義を指差す。山姥切長義は「うるさい、いいから出て行け」と問答無用で襖を閉めた。

「全く……。君も君だよ。それ、三十分前からやっている箇所がほぼ動いていないだろう」
「す、すみません……」
「見せてごらん。何が分からないんだ」

 審神者と山姥切長義が任務から帰ってきた三日後の夜。突然審神者の部屋を訪れた加州清光が、近侍を降りると言い出した。第一部隊隊長はそのまま務めるが、近侍は別の者に回してほしいと。初期刀としてこの本丸に顕現し、それ以来ずっと近侍を務めてきたのは加州清光だ。審神者は変えることなど考えたことがなく、動揺して加州清光に理由を聞いた。嫌になってしまったのか、忙しすぎたのか、仕事を回しすぎたのか。そんなふうにいろいろ謝る審神者に加州清光が慌てて「そんなわけないじゃん」と言って、ようやく審神者は落ち着きを取り戻せたものだった。
 加州清光は現世任務から帰還した審神者と山姥切長義に、何かがあっただろうと感じ取っていた。それを審神者や山姥切長義に言ってはいない。悪いことじゃないし、どこか二人とも楽しそうだ。そう思って近侍を退くことにしたのだ。何より、お互いを見る目が変わっている。深く信頼して、深くお互いを理解している瞳をしていた。加州清光はそれに少し悔しい気持ちになったが、こっそりと祝福しておいた。まだ二人の関係がどうなったのかは分からないけれど。
 近侍が山姥切長義になることを全員に伝えると、驚きの声が湧き上がった。この本丸はずっと加州清光が近侍であった。変わることはないだろうと誰もが思っていたからだ。ただ、特殊任務に二度山姥切長義が同行したこともあり、数名は予想をしていたらしい。山姥切国広はその筆頭格だった。審神者と山姥切長義の相性がいいことをはじめから予想していた節もある。予想していなかった者たちからも特に反対の声はなく、山姥切長義は無事近侍となった。
 近侍になった山姥切長義は毎日忙しなく審神者の世話を焼いている。前任の加州清光もそれなりに世話焼きのほうであったが、山姥切長義はその倍ほど世話焼きだった。審神者が執務室にこもっている間は、どこにいようと必ず三十分置きに様子を見に来る。少しでも審神者が重たいものを持とうとすると当たり前のように荷物を預かる。その様子に鶯丸が「主は赤子じゃないぞ」と本気で不思議そうにしたくらいだった。

「君は存外、こういった書類仕事が苦手だね」
「傷付く……けど、まあそうかな。休憩しながらじゃないとなかなか進まなくて」
「休憩、か」
「うん?」

 山姥切長義が持っていた新しい書類を机の上に置く。いつも自分が座っている座布団を移動させる。審神者の真横に置いた座布団に座ると、審神者に軽く手招きをした。「おいで」と優しい声で言われた審神者は、よく分からないまま万年筆をペン立てに戻し体を山姥切長義のほうへ向ける。少し近付きながら「何?」と首を傾げた瞬間、山姥切長義が審神者の手を掴む。それをぐいっと引っ張ると、審神者の体はすっぽり山姥切長義の胸の中に収まってしまった。
 審神者を抱きしめたまま山姥切長義がそのまま体を倒すものだから、審神者もろとも畳に倒れ込む。審神者が「ちょっと」と文句を付けるのも聞こえていない。横になったまま審神者の頭を撫でて「休憩だよ」とだけ言う。

「仕事終わってないんだけど」
「君の言う休憩は休憩になっていない。一時間経ったら起こすからちゃんと休むこと」
「寝ろってこと?」
「そうだよ。多少睡眠を取れば脳が休まる。効率的に仕事ができるからね」
「む、無理だよこんな状態で寝るなんて」
「なぜ? 布団を敷くとぐっすり寝てしまうからこれくらいがちょうどいいと思ったのだけど」
「せめて、あの、離れて」
「俺が近くにいるのは嫌なのか」
「そうじゃなくて! 緊張して眠れないから離れてって言ってるの!」

 やけくそで言った審神者が山姥切長義の胸の辺りを思い切り手で押した。面食らった様子の山姥切長義が思わず審神者から手を離す。そそくさと山姥切長義から離れた審神者が赤い顔で「長義はなんでもかんでも急すぎるんだよ!」と苦情を付ける。ぼけっとした顔の山姥切長義が「いや、うん、すまない」とわけが分からないまま謝った。そのあとすぐに「君がそれを言うか」と苦笑いをこぼす。
 山姥切長義は別に下心があったわけではない。これにはしっかりとしたわけがある。山姥切長義がまだ練度が低かったとき、同じ隊に所属していた五虎退が言っていたのだ。一期一振に一緒に寝てもらったことがあり、そのときのほうがぐっすり眠れた、と。誰かと一緒に眠るととても安心する、とも言っていた。だから、人間はそういうものなのだろうと思った。審神者もそうだと信じて疑わなかった結果の行動である。けれど、そんなことを審神者は知る由もない。

「……俺が近くにいると緊張する、ということかな?」
「そうだよ。当たり前でしょ」
「ふうん……そうか、それは、少し良い気分だな」

 機嫌が良さそうな顔をした。審神者はそれに悔しくなりながら「とにかく、ちゃんと休むので起こして」と言って、座布団を枕に横になった。なんだかんだ山姥切長義の言うことは聞く。それを少し面白く思いつつ山姥切長義は審神者の押し入れから薄手のブランケットを取り出した。ブランケットを持って審神者に近付く。ふわりとそれを審神者にかけると、すぐ近くに座った。

「ちゃんと起こすから、しっかり眠るように」
「……はい」

 審神者は自分のことをあまり大事にしない。いつも自分のことは二の次だった。隠岐国サーバ事件でも、現世任務でもそうだった。自分のことよりも山姥切長義を優先していた。自分のメリットより他の審神者の手助けになるようにずっと動いていた。それが、山姥切長義には腹立たしく思える場面も多かった。
 だから、自分は審神者をこれでもかというほど世話を焼いてやろうと決めていた。お節介と言われようとなんと言われようと、審神者のためになることなら過剰でもやってやろうと。今のところは思惑通りだ。山姥切長義はそれで最近ずっと機嫌が良いのだ。
 次第に審神者から寝息が聞こえてきた。余程疲れていたのだろう。実戦より書類仕事のほうが苦手なら、この二週間はさぞ苦痛だったことだろう。書類仕事を手伝うこともあるへし切長谷部や堀川国広の手伝いも断って一人でやっていた。恐らくこれ以外に仕事がない今、誰かの手を借りることに罪悪感があったに違いない。誰も嫌がらないというのに。むしろ、手伝いを申し出たへし切長谷部なんかは断られてひどくショックを受けていたほどだ。その日のへし切長谷部の鍛錬はかなり荒れていたそうだ。道場を破壊される前に仕事を回してやろうと山姥切長義は苦笑いをこぼす。
 審神者が寝ている間に、進められるものは進めてやろう。こっそりそう考えていたので審神者を寝かせることにしたのだ。そそくさと移動しようとしたとき、審神者の手が山姥切長義の手を掴んだ。起きているのかと驚いて振り返るが、審神者はしっかり眠っている。
 握っている手を離して仕事を、と考えている。けれど、どうにも離しがたい。これでは審神者を寝かせた意味がない。そんなふうに、審神者の顔をじっと見つめているときだった。こんこん、と控えめに襖がノックされる。小声で返事をすると静かに襖が開き、その向こうには堀川国広の姿があった。

「あ、やっぱり主さん寝かせているんですね。書類、できそうな分だけもらって行きますね」
「え、ああ、助かるが……俺もやるから、」
「長義さんはどうかそのままで。書類は僕と長谷部さん、松井江さんでできるところまでやっておきますね」
「……助かる。頼んだ」
「はい、もちろん」

 書類を受け取った堀川国広が静かに出て行く。山姥切長義の作戦は勘の良い者にはバレていたらしい。まあ、これでへし切長谷部のストレス発散問題は解決だ。一つ気が楽になった。そんなふうに一つ息を吐く。
 そこから代わる代わる何人かが執務室を静かに訪れ、山姥切長義にお茶を置いていったりお菓子を置いていったりする。この本丸は誰もが過保護か、と一人で笑っていると、また襖がノックされる。「はいはい、次は誰かな」と声を掛けると、怖々襖が開く。顔を出したのは、山姥切国広だった。

「偽物くんが何の用かな。残念だけれど、もうお茶もお菓子もある。必要なものは何もないよ」
「いや、ただ様子を見に来ただけだ」
「それこそ必要ないね。早く襖を閉めろ。主が物音で起きたらどうしてくれるのかな」
「分かった」

 静かに襖が閉まる。ぴき、と山姥切長義の眉間が震えてから「どうして偽物くんは残っているのかな」と怒りを堪えた声で言う。山姥切国広はもう慣れているようで「よく寝ているな」と審神者を観察しはじめる。山姥切長義が「おい」と軽く足を叩くと、ようやく山姥切長義のほうを見た。じっとその顔を見つめてから、「邪魔したな」と言って襖を開ける。そのまま静かに襖を閉めて出て行くものだから、山姥切長義が怒りを鎮めるために深いため息をついた。なんだったんだ今のは。そんなふうにこぼして。
 謹慎も残り約一週間ほど。謹慎が解けたあとは、また審神者としての戦いが待っている。この子がただの普通の人間だったならば。山姥切長義はこの二週間でそんなことを考えていた。戦いなど知らなくていい。血も見なくていい。そう思う。きれいなものだけを見て、きれいなものとだけ関わればいい。でも、それじゃあ、山姥切長義と審神者は出会えなかった。いつもそこの着地して宙ぶらりんになってしまうのだ。
 人間の一生は短いものだ。刀の付喪神である山姥切長義から見れば余計に短い。だからこそ、一日一日は光り輝き、様々な歴史が残り、それに人々は思いを馳せる。審神者の一生はどのように残るのだろうか。審神者として生きた証は、きっとどこにも残らない。データ上で削除され、何でもない偽りの人生の痕跡が残るだけ。山姥切長義も本丸が解体されれば刀解され、記憶も存在も残らない。いずれ消えてしまうのだ。二人の記憶も想いも、何もかも。それだけが山姥切長義はとても、刺さるように痛く感じていた。
 いずれにしても、どうせ消えゆく日々なのだ。好きなように、満足いくように。審神者が一生を終えるときに後悔がないように。そのためなら何でもしよう。山姥切長義はそんなふうに一人で呟き、審神者の手を握り直す。小さな手。刀を握ることも儘ならない手だ。それでも彼女は俺の主で、守るべき人である。そう語るほど、熱のある視線を審神者に向ける。
 どうせ消えゆく日々だったとしても、それでも、今は確かにここに在る。それを平穏で穏やかで、愛しい日々にしたいと願って何が悪い。美しいもので溢れた日々にしたいと祈って何が悪い。山姥切長義は強く審神者の手を握る。戦いは終わらない。本当の意味での平穏な日々が来たときは、審神者と山姥切長義の別れを意味する。まだたったの二週間しか経っていない二人にはそんな先のことを結論付けることはできない。
 審神者の手を親指の腹で軽く撫でる。ぼんやり考えた先のことはやはり山姥切長義にはまだ分からない。けれど、確かに言えることがあるとすれば、山姥切長義にとって今の時間は、手放しがたい、美しい時間だった。審神者にとってもそうであればいい。山姥切長義はそんなふうに笑って、審神者の手に口付けを落とした。

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