任務が完了したその日のうちにササキと明石国広、ジンノと山姥切国広、ハシクラと加州清光の退去が完了したと連絡が入った。そして明日の朝から篭手切江とサクライから霊力検査がはじまり、審神者と山姥切長義は夕方頃に退去の予定となった。
 審神者と山姥切長義はその日はゆっくり拠点で休息を取ることに専念した。お互い任務初日からほぼ休みなく動いていたし、ずっと張り詰めた状態だった。少しは現代を見て回りたい気持ちもどちらもあったが、そんな気力が起こる様子はない。審神者が苦笑いをこぼして「明日ちょっとだけ外に出てみようか」と声を掛ける。山姥切長義も苦笑いで「そうだね」と返す。それからは審神者はベッドに寝転がり、山姥切長義はソファに座って報告書の準備を始めた。本丸に戻ってからでいいのに。審神者はそうぼんやり思ったが、山姥切長義は恐らくいつも通りの行動をしたほうが休まるのだろう。そう思うことにした。
 もうとっぷりと日が暮れて、窓の外は暗い。山姥切長義と二人きりだからなのか、審神者はぼんやり隠岐国サーバ事件のことを思い出していた。雪が降る真っ暗な空。あのときは暗い空を見上げて、絶望にも似た気持ちがあった。でも、今はとても穏やかで静かな夜だと思える。そんなふうに一人で考えた。
 今でも審神者ははっきり覚えている。山姥切長義の冷え切った弱々しい、冷たい体温を。体を動かすことがままらない山姥切長義を抱きしめて体温を共有しあったあの時間を。そして、今回、抱きしめた山姥切長義の体は、とても温かかった。生きている。冷たい体温を感じたあのときと同じように、そう素直に感じた。生きていると感じたその瞬間が審神者にとっては忘れがたいほどに心地よく、不思議と鼓動がうるさくなるくすぐったさがあった。



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「山姥切長義、名古屋に行こう」
「……は?」

 翌朝五時。山姥切長義はソファで寝ているところを審神者に叩き起こされた。今日は少しだけ外に出よう、という話だったのでは。山姥切長義は困惑しつつも「なぜ名古屋なのかな」と審神者に聞く。

「今月の頭から名古屋にある美術館で刀の展示がされているから、それが見たくて」
「何も名古屋まで行かなくても……。東京にも博物館はあるだろう?」
「名古屋の美術館じゃなきゃだめなの」

 だから準備して、と審神者は洗面所へ歩いて行ってしまう。名古屋の美術館。そう言われて山姥切長義は大体どの美術館のことかは察する。いつも厳重に仕舞われているし、顔を出すのはほんの一瞬。今はその時期なのだろうか。それとも別の刀だろうか。そう考えつつ、仕方なく準備をはじめた。
 一時間後、また長期留守になる拠点。否、拠点ではなく、現代における自宅。そのドアに審神者がガチャンとしっかり鍵をかけた。一生戻ることはないかもしれないけれど、また戻るときが来たら。そう考えて審神者は首を横に振る。そんなことなど考える暇はない。まだ時間遡行軍との戦いは終わっていない。今この瞬間は瞬く間の穏やかな時間でしかない。そう思い直した。
 任務中と違って、山姥切長義は少し現代の光景に興味を持っている様子だった。一応索敵は怠っていない様子ではあるが、きょろきょろと辺りを見ている。山姥切長義が知らなそうなものが見えたら審神者が一つ一つ説明を入れる。山姥切長義はそれを興味深そうに聞いたが、特に質問をすることはない。視覚情報を処理するので手一杯なのだろう。審神者はそう分かったのか、説明はすべて簡潔なものに留めておいた。
 東京駅から新幹線で名古屋へ向かう。もちろん新幹線など初体験の山姥切長義は、新幹線がホームに滑り込んできたその勢いには、電車と同じく面食らっていた。審神者が大体の速さを伝えると、「それは……人間が乗っても大丈夫な速さなのか」と眉間にしわを寄せる。審神者がそれに大笑いしてしまうと「やめろ、笑うな」と恥ずかしそうにした。
 名古屋までは約二時間。窓側に座った山姥切長義は動き出した新幹線の窓の外を眺め、東京の街並みを見つめる。命を落とした審神者、破壊された刀剣男士。この任務で起こった出来事を思い出しながら目を瞑る。山姥切長義にとっても審神者にとっても厳しく辛い任務であった。そんなふうに思いを馳せている。

「長義は優しいね」
「……ずいぶん急だね。何もしていないけれど?」
「昨日のこと」

 審神者が小さく笑うのに対し、山姥切長義はぎょっとした顔を向ける。審神者は恐らく神隠しのことを言っているのだろう。あれは他言無用だというのに普通に会話に出してくれる。山姥切長義は少し恨めしく思いながらも「優しいわけがないだろう。君を殺しかねない危険なことだったのに」と目を逸らす。

「とてもきれいな場所だったから」

 満開の桜と、色とりどりの花々と、青空。審神者がそう呟くと山姥切長義はばつが悪くなってしまう。きれいだったとしても、あれは審神者が本来見ることのない場所。見せてはいけない場所だった。
 気まずそうな山姥切長義の様子に審神者がまた小さく笑う。山姥切長義のほうに向けていた顔を前に向き直し、背もたれに体を預ける。それから小さく深呼吸をして、自分の拳をきゅっと握りしめた。

「また見たいな」

 そう呟いてから、通路側に顔を向けた。山姥切長義が目玉が落ちそうなほど目を丸くして審神者を見つめる。
 付喪神にとって神域は、決して己以外に侵されることを許せぬ領域である。余程強い想いがなければそこへ招かないし、相手への強い想いがなければそもそも神域への門は開かない。物として多くの想いを受けてきた彼らにとっての強い想い、というのは、到底人間には理解できないほどのものとなる。受け止める側が器を保てることが稀有なほど。この世に産まれてたった数十年の人間などは特に。
 山姥切長義は確かに、審神者に美しいものだけを見て、生きてほしいと思った。戦いなんてこの子には似合わない。平和で、穏やかな、人間としての人生を送ってほしい。そう思ったからこそ、審神者が入った神域は美しい自然に囲まれた光景となった。
 でも、それ以上に。山姥切長義は審神者の、笑った顔が見たかった。きれいな花を見て、きれいな空を見て、「きれいだね」と愛らしく笑う審神者が見たかった。それに自分も笑って「きれいだね」と返したかった。そんな想いが溢れた神域。それは常人にはとてもではないが受け止められない思い神力だったに違いない。
 それを審神者は受け止めた。審神者も同じだったのだ。「きれいだね」と山姥切長義に笑ってほしかった。ただの、どこにでもいる、ただの人間のように。戦いなど忘れて穏やかな日々を過ごす人間のように。叶うことはないと分かっていても、それを強く、想っていた。

「……発言には気を付けるように」
「あはは、ごめんなさい」

 照れくさそうに笑った審神者が山姥切長義のほうに顔を向けた。山姥切長義の顔を見るなり、声が止む。一つ間を空けてから「大丈夫?」と審神者が思わず山姥切長義の顔を覗き込む。心配になるくらい山姥切長義の顔が赤かった。山姥切長義は口元を手で覆って俯くと「何でもない」とだけ言って、それきり黙った。審神者が話しかけてもほとんど反応しなくなる。変なことでも言ったかな、と審神者は少し反省したが、どうにも山姥切長義が怒っているようには見えない。よくよく観察してみれば、体調が悪そうというわけでもなかった。どこか、照れくさそうで、嬉しそう。そんなふうに見えた。
 また見たいな。その言葉は直接的などんな言葉よりも鋭く、情熱的な想いでしかない。山姥切長義にはそうとしか聞こえなくて、在るはずでないがないようで在る心臓が索敵も儘ならないほどうるさくなる。審神者にそんなつもりはなかっただろう、と山姥切長義は言い聞かせる。この子はいつも迂闊だから、と言い聞かせる。でも、それでも、熱が消えなかった。
 審神者は山姥切長義から目を逸らして、気付かれないように苦笑いをこぼす。伝わらなかったか。結構勇気を出して言ったのだけど。そんなふうに、ぽつりと心の中で呟いた。

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大和国第〇番本丸 同行:明石国行※退去済み
(備考:ササキ/二十代女性)※退去済み
山城国第〇番本丸 同行:山姥切国広※退去済み
(備考:ジンノ/二十代男性)※退去済み
豊後国第〇番本丸 同行:加州清光※退去済み
(備考:ハシクラ/二十代男性)※退去済み
石見国第〇番本丸 同行:篭手切江
(備考:サクライ/二十代男性)
周防国第〇番本丸 同行:鶴丸国永
(備考:アラキ/三十代女性)
〇〇国第〇番本丸 同行:山姥切長義
(備考:/○代女性)
武蔵国第○番本丸 同行:燭台切光忠
(備考:タナカ/十代男性)
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