山姥切長義の目が開いたのは、拠点に戻ってから実に三時間が経過してからだった。はっとして審神者に目を向けると、まだ審神者は眠りこけている。それにほっとしつつ、枕元に置いた通信機器を手に取った。つい十分前にエノモトと三日月宗近の退去が完了したと連絡が入っている。現在はササキと明石国行の霊力検査が行われているのだろう。
 審神者の腕の力が抜けている。腕から抜け出すことに成功した山姥切長義は、刀は審神者に任せたまま音を立てないようにベッドから降りる。審神者の寝顔をじっと見下ろすと、ようやく任務完了を実感した。
 ヒビは入っているが問題なく操作はできる。通信機器で本丸への連絡を入れておいた。「任務完了。帰還は恐らく明日になる」と、昨日と同じように前田藤四郎のパソコンにメールを入れておく。今は恐らく昼食の準備やそれぞれの内番などで誰も気付かないだろう。そう思った瞬間に「あ」と山姥切長義が声を漏らした。一ヶ月の謹慎、それを伝え忘れていたのだ。これは恐らく緊急連絡事項に当たるはず。そう思い出したのだ。
 本丸には一台黒電話がある。通信機器でも電話でのやり取りはできる。その証拠に通信機器には本丸に繋がる番号が登録されていた。本丸から通信機器にかけることはできない。現世任務に当たった審神者や同行者が、本丸運営に関わる重要事項を早く連絡するために使われることが主である。
 一ヶ月間の出陣、遠征等の禁止。そこには演練も含まれているだろう。あと一時間くらいで事前に審神者が組んだ編成で演練に向かってしまう。山姥切長義は慌てて本丸に繋がる番号に電話を掛けると、三コール目に「はい」と誰かが電話に出た。

「……偽物くんが出るとはね」
『本歌か? どうした。何かあったのか』
「まあね。加州はいるかな」
『何があった?』
「……加州に代われと言っているのだけど」
『主も本歌も無事なのか?』
「無事じゃなかったらこんなふうに電話していないだろ……」

 若干苛立ちつつ山姥切長義がそう言うと、山姥切国広は「そうか」とどこか安堵したような声で言う。その声に山姥切長義はまた苛立ちが波立ちそうになるが、ぐっと堪えておく。山姥切国広が大人しく電話を一旦置き、歩いて行く足音が微かに聞こえる。それに軽く舌打ちをこぼしつつ「馬鹿か」と小さな声で呟いた。
 しばらくして電話に出たのは鶯丸だった。加州清光を指名したというのに、とまた山姥切国広に苛立ちを覚えつつ「緊急連絡だが、いいかな?」と一応確認を取る。近侍であり第一部隊隊長である加州清光に話したほうが回りくどくないのだが、という遠回しな意味を含めているが鶯丸がそれに反応することはない。「いいとも」とにこやかな声が返ってきた。

「詳細は省くが」
『長義』
「……何かな?」
『省ける詳細などない。すべて話せ』

 電話越しでも分かる圧に山姥切長義は一瞬言葉に詰まる。「長くなるけれど」と一応断りを入れるが、鶯丸は変わらぬにこやかな声で「構わん」と言った。
 一先ず、演練や遠征に行かれては困るので、先に一ヶ月は内番以外が禁止になった旨を伝える。鶯丸は「そうかそうか」とにこやかに言ってから、そばにいたらしい一期一振に声を掛けた。山姥切長義が言ったそのままを伝えると、一期一振が慌てた様子で「すぐ伝えてきます」と言って去って行く。それを見送ってから「それで、どのような経緯で?」と話を戻す。山姥切長義は言葉を選びつつ今回の任務で起こったことと、自分たちが任務に指名された理由も話した。そうして、一ヶ月謹慎になった本当の理由も話した。

「……まあ、つまるところ、俺のせいだよ。弁解の余地もない」
『そうかそうか。それで謹慎処分とは』
「主は俺の刀解を許さなかったが、君たちとしてはそういうわけにもいかないだろう。どんな処遇でも甘んじて受けるつもりだよ」
『では、帰り次第刀を持て。今度は主も連れて行くか』
「……何の話かな?」
『ん? 本部の人間を皆殺しに行く話だが?』
「待て待て、どうしてそうなる?!」
『主をまたしても巻き込んだ上、主を守った刀を刀解しようなど言語道断。殺すしかないだろう』
「ちょ、待て、加州に代わってくれ、頼むから」

 頭を抱えながら懇願すると、鶯丸は不思議そうにしつつも加州清光を呼んだ。慌ただしい足音が聞こえてから加州清光が電話に出ると「なんか皆殺しとか聞こえたけど大丈夫?」と苦笑いで言う。大丈夫ではない。山姥切長義が簡潔に経緯を話すと、加州清光が「堀川! とりあえず鶯丸確保!」と大慌てで叫ぶ。それから「またそんな大変なことになってたのね」と呆れたように呟いた。

『主は? 怪我はしてないよね?』
「小さな傷はあるかもしれないが、ほぼ無傷だ。今は寝ている」
『さすが。それ以上の結果はないよ』

 なぜだか誇らしげに笑う加州清光に山姥切長義がほっと一つ息を吐く。鶯丸も加州清光も、主である審神者を神域に連れ込んだというのに咎めない。それが意外だったし、何なら八つ裂きにされる覚悟をしていたほどだった。守るためだったとはいえ、主を神隠しするなど基本は許されることではない。主を失うことになるかもしれない事案だったのだ。なんだかんだ言いながら審神者に執着をしている鶯丸はもちろん、初期刀であり近侍である加州清光からも非難されるだろうと山姥切長義は当たり前のように思っていた。
 思わず「怒らないんだね」と山姥切長義が漏らす。加州清光は「え、なんで?」と心底不思議そうに返す。それに素直に答えた山姥切長義に加州清光は大笑いして「怒るわけないじゃん」と言った。

『まあ、でもちょっと妬いてはいるかな』
「妬く? 何に?」
『主の名前、長義だけが知ってるってことでしょ。それに神域に入って主が狂わなかったってことは、主も長義にそれなりに好意があるってことだしね』

 付喪神の神域。そこは当たり前だが神力に満ちた場所であり、普通の人間では肉体を保つことさえ困難である。実際、刀剣男士が審神者を攫うために神隠しをした例がいくつかある。その被害に遭った審神者のほとんどが精神に異常を来し、二度と正常な状態に戻れなくなっているという。神隠しに遭う審神者側にも同じくらいの強い気持ちと、耐えうるだけの優れた耐性がなければ精神を保てないとされている。
 審神者は、山姥切長義の神域で穏やかな景色を見た。神域から出ても異常が見られない。それは山姥切長義に寄り添う気持ちが審神者にある証だ。信頼なのか恋慕なのかは審神者以外の誰にも分からない。けれど、強い気持ちがあることには間違いなかった。

『ま、詳しい話は本丸で聞くよ。今日はまだ帰ってこられないんだよね?』
「ああ、恐らく。明日の夕方頃になると思う」
『りょーかい。出陣も遠征も演練もだめなんじゃ、俺らも大人しく待ってるしかないね。ご馳走作って待っとくから気を付けて帰ってきて』
「承知した」

 ガチャン、と静かに電話が切れた。山姥切長義は通信機器を机の上に置くと、一つ息をつく。やるべきことはすべて終わった。そう安堵したのだ。審神者を振り返ると、小さく笑いをこぼした。
 間抜けに寝ている。平和で、穏やかで、何とも人間らしく。抱えているものは刀だというのに、まるで抱き枕でも抱いているようなおぼこい寝顔だ。数多くの刀を統べる審神者とは思えない寝顔だった。それでいい。山姥切長義は小さくそうこぼして、ベッドに近付く。すぐそばで膝をつくと、審神者の顔を覗き込んだ。そうして、親指の腹を審神者の唇に軽く押し当てる。
 正直審神者が正気を保っていたことに、かすかに動揺していた。政府所属の経歴がある山姥切長義は神隠しの例もいくつもデータとして見てきた。狂った審神者や感情を失った審神者の姿を何人か見たことがある。だから、己のしたことの重大さがよく分かっていたし、それが原因で審神者が強制的に本丸を放棄させられる処置が行われる可能性が高いことも重々承知していた。審神者が元の生活に戻れなくなる可能性があることもだ。けれど、あの瞬間はどれもこれも頭に浮かばなくて。とにかく審神者を殺させるものか、という衝動的になっていた。
 隠岐国サーバ事件で審神者が山姥切長義を同行者として指名したのは、バグやアクシデントに取り乱さない、という山姥切長義の性格を買ったからである。山姥切長義もその選出理由を自ら審神者に尋ねて納得していた。実に冷静沈着に同行者を選んだものだと、意外に思いこそしたが、自分が選ばれた理由に不明な点などなかった。誇らしささえ覚えた。
 けれど、ふたを開けてみればこれか。山姥切長義はそうこぼす。審神者を最も危険な状況に連れ込んだのは自分自身。隠岐国サーバ事件では自身が守られ、今回は審神者の未来を潰しかねない行動を取った。それが、ひどく、腹立たしかった。何もできない。そんなふうにさえ思っていた。
 一つため息をついたときだった。もぞ、と物音が聞こえてベッドを振り返る。ちょうど審神者が上半身を起こして目を擦っているところだった。「おはよう」と山姥切長義が声を掛けると、審神者が山姥切長義のことを見た。目を擦っていた右手を下ろすと、山姥切長義を見つめたまま、なぜだがぼろぼろと涙をこぼす。ぎょっとした山姥切長義が慌てて近寄って「どこか痛いのか? どうした」と審神者の手を握る。審神者は握られたその手のほうに視線を落とす。それと同時に、ぽたりと山姥切長義の手に涙が落ちた。

「主、どうした。怪我をしているなら手当を、」
「長義」
「……うん」
「生きていてよかった」

 大方、山姥切長義を刀解する夢でも見たのかもしれない。審神者は山姥切長義の手を両手で握り返して泣きじゃくった。そんな審神者の顔を見て、山姥切長義は呼吸を忘れそうになる。生きていてよかった。審神者がそう言ったことに、在るはずでない、ないようで在る心臓が痛いほど音を立てたのだ。山姥切長義は刀だ。物だ。それでも生きているという表現をする人間はいるかもしれない。それでも、審神者が口にした生きて≠謔阡Mを持って口にする人間はそうそういないだろう。
 生きているのだ。山姥切長義という刀は、刀剣男士は、確かに審神者の目の前で生きている。他の誰がなんと言おうと山姥切長義にとっては審神者の言葉だけが真だ。だからこそ、審神者の熱のこもった言葉は、まっすぐに届く。

「うん。生きていて≠謔ゥったよ。俺も、君も」

 同じものになれた。たった一瞬、吹き飛ばされそうなほどに少ない時間でも、それが事実のように思えてならない。それをはじめて愛しいと思った。山姥切長義は審神者の手をもう一度握り返す。俺の主はとても、小さな手をしている。そう改めて思う。この本丸にはじめて来た日に握手をしたときと同じだ。何一つ変わっていない。けれど、この小さな手が誰よりも強く、誰よりも優しい。山姥切長義はそうはっきりと感じていた。

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美濃国第〇番本丸 同行:三日月宗近※退去済み
(備考:エノモト/三十代男性)※退去済み
大和国第〇番本丸 同行:明石国行
(備考:ササキ/二十代女性)
山城国第〇番本丸 同行:山姥切国広
(備考:ジンノ/二十代男性)
豊後国第〇番本丸 同行:加州清光
(備考:ハシクラ/二十代男性)
石見国第〇番本丸 同行:篭手切江
(備考:サクライ/二十代男性)
周防国第〇番本丸 同行:鶴丸国永
(備考:アラキ/三十代女性)
〇〇国第〇番本丸 同行:山姥切長義
(備考:/○代女性)
武蔵国第○番本丸 同行:燭台切光忠
(備考:タナカ/十代男性)
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