審神者の通信機器が鳴る。びくっと肩を震わせた審神者が、落としたそれを拾って操作すると、本任務の担当者からの連絡だった。睨み付けるような顔で通信機器を見つめ連絡を開く。そこには、訂正、という文字がまず書かされていた。読み進めていくと「訂正。○○国第○番本丸は一ヶ月の出陣、遠征等の禁止を命ずる。以上」とだけ書かれていた。
 山姥切長義が「どうしたのかな」となんだか気まずそうに言う。審神者がゆっくり顔を上げると、またぼろぼろと涙を流す。それに山姥切長義がぎょっとした顔をした瞬間しっかり握った刀ごと、山姥切長義に抱きつく。驚きつつも審神者を抱き留めた山姥切長義が「何、どうした」と困惑気味に言う。地面に叩きつけられた通信機器が嫌な音を立てたが、それにも構わず審神者はわんわん泣いて山姥切長義を強く抱きしめた。
 刀解の文字が削除されていた。三日月宗近の言葉を借りれば、今回のおいた≠ヘ見なかったことにされたらしい。理由は不明≠セが本丸に一ヶ月謹慎の処罰だけが下された、ということになったのだ。理由を知るのは本任務に関わった者のみ。誰も何も言わぬままであれば刀解はしなくて良い、ということだった。
 山姥切国広が通信機器を拾い上げる。それを覗き込んだジンノが「うわ、ヒビ入ってら」と笑う。それから「よかったな。通信機器を壊した処罰が一ヶ月謹慎で済んで」と言うと、山姥切長義が審神者を抱きしめたまま素っ頓狂な顔をする。そんな山姥切長義を見た山姥切国広が小さく笑いながら「そうだな。通信機器のヒビで一ヶ月謹慎はかなり寛大だぞ」と言い、画面を山姥切長義に見せてやる。ヒビが入った画面。そこに書かれた文字を読んで、山姥切長義が少し固まる。それから審神者を抱きしめたまま小さく笑い、通信機器を受け取った。
 他の審神者や刀剣男士も笑って口々に「通信機器にヒビか。それは一大事」と言う。ハシクラが「え、そんなん三日月なんかは破壊しとったけどな」と一人だけ訳が分かっていない様子だったが、加州清光がしっかり裏拳で黙らせていた。ああいうタイプの加州清光もいるのか、と山姥切長義は少し驚く。そんな山姥切長義に加州清光が「しっかり反省しときなよ」と笑った。
 朝日が昇った。眩しい朝が東京の街を染め上げる。新橋駅前には通勤通学の人々の波ができ、いつも通りの日常が流れ始める。ここで起こったことなど一つも歴史に残らず、跡も残らない。審神者がこぼした涙も、もう乾いてどこにも残っていなかった。それでも、山姥切長義の記憶には確かに残っている。自分の為に流された涙。触ってもいないのにその温度も、重さも、何もかも。山姥切長義の頭にだけは、確かに残っていた。
 それぞれが拠点に戻るため、帰路につく。今頃三日月宗近とエノモトの息子の霊力検査が行われていることだろう。ジンノが山姥切国広に「どっかで飯食うか」と声を掛けると、山姥切国広が「牛丼がいい」と返す。それを聞いていた加州清光が「朝から肉って、どこの山姥切国広も同じなんだね」と呆れ顔をした。ハシクラも「いや清光も昨日の朝生姜焼きやったやん」と笑うと、またしても加州清光から裏拳が飛んだ。タナカがそれに「清光って怒らせたらあんな感じなんだ……怖……」と呟く。燭台切光忠が「うちの加州くんは君に甘いから大丈夫だよ」と肩を叩いた。明石国行が「うちのもそんな感じですわ。あれは珍しいんとちゃいます?」とあくびをこぼす。ササキが小さく笑って「確かに。あんな清光見たことない」と言った。篭手切江が「ぎゃっぷもえ、というやつでしょうか」と真剣に呟くと、サクライが「頼むから本丸でこれ以上変な流行りを作るなよ」と苦笑いをこぼす。アラキが「鶴丸もあれくらいしっかり食べてね」と言うと、鶴丸国永が「いや、俺はよく食べるほうだぞ?」と不思議そうに首を傾げる。
 どの本丸の審神者も、刀剣男士も。まるでここに生きている人間みたいだ。山姥切長義はそうぼんやり思う。審神者を抱きしめている自分もまた、そう見えているかもしれない。そんなふうに思って、審神者を抱きしめる手にまた力を込める。いくらそういうふうに見えても、刀剣男士は人間ではない。審神者と同じ時間を生きられない。審神者と同じもの≠ノはなれない。それでも、そうだとしても、たった一瞬のことだったとしても。同じもの≠フふりをしていたい。そんなふうにはっきりと思ったのははじめてだった。山姥切長義は在るようでない、ないようで在る、己の心臓がほんの少しだけ不規則に動いたのを感じる。微かな違和感。けれど、嫌なものではなかった。
 人々の話し声に混ざって「うわ、あの人朝から女の人泣かせてる」という声が聞こえてきた。山姥切長義がぎょっとして辺りを見渡すと、ちらちらと人間に見られていることにようやく気が付いた。早くここから離れたほうがいい。山姥切長義のことは人間の記憶には残らない。そうだとしても、一瞬でもこの人を傷つけた人間だというふうに認識されるのが好ましくはなかった。

「主、とりあえず移動しよう。拠点に戻って休んでくれないか、頼むから」

 泣きじゃくる審神者が言葉につっかえながら、離れたくない、と言った。山姥切長義はどうしたものかと少し困ったが、不思議と面倒だとは思わなかった。刀ごと山姥切長義を抱きしめたままの審神者を抱き上げる。それを見ていた人間が軽く黄色い悲鳴を上げたが、山姥切長義の耳には入っていない。山姥切長義が審神者の耳元で「大体の方向しか覚えていないから、帰り道だけ教えてほしいのだけど」と苦笑いをこぼす。審神者は山姥切長義にしっかり抱きついたまま「右」と言う。道案内はする気があるらしい。ここまでタクシーで来たけど帰りは歩くのかな。山姥切長義はそう内心こっそり思ったが、声には出さなかった。



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 拠点まで歩いて帰ってきた山姥切長義が、少しだけ疲れた様子でドアを開ける。審神者を下ろそうにも腕を離してくれる気配がない。靴だけ脱いでくれ、と声を掛けたが審神者からの返事はなかった。それに一瞬固まったが、即座に状況を把握した。寝ている。道案内をする声がどんどん微睡んでいるようには感じていたので驚きはしない。山姥切長義は審神者を起こさないようにどうにか手を伸ばして靴を脱がせてやる。
 眠りこけているというのに審神者は、山姥切長義の本体である刀をしっかり握ったままだった。その体温が隠岐国サーバ事件でのことを自然と思い出させる。気を失った山姥切長義を審神者はしっかり抱きしめていた。その記憶は薄らと山姥切長義に残っていたし、本丸に戻ってからの審神者の体温はしっかり記憶に残っている。山姥切長義の中には審神者が残したいろんなものの記憶がどんどん刻まれていく。それが、山姥切長義はひどく、嬉しかった。胸の奥がひりつくようなその感情の名前を、山姥切長義はまだ知らずにいる。
 自身も靴を脱いで部屋に上がる。もう慣れた室内を歩いて行き、審神者をベッドに寝かせる、が。やはり腕が離れない。どうしたものか、とベッドに審神者を下ろそうとした体勢で固まる。引き離せば審神者が起きるだろうし、かといってこのままでは自分がつらい。審神者にはちゃんと休んでほしいが、自分は報告の準備などをしておきたい。起こしたくないが起こさなければどうにもならない。そんな状態だった。
 いろいろ悩んだ末に、山姥切長義は審神者の休息を最優先と判断した。報告などの事後処理は後回しにすることにして、審神者と一緒にベッドに寝転がる。審神者の腕を潰してしまわないように気を付けつつ、審神者が握ったままの刀もどうにかこうにか向きを変え、体に当たらないようにした。審神者は起きない。よほど、疲れていたのだろう。それを静かに実感して山姥切長義はゆっくりと瞬きをした。
 審神者の頭を、起こさない程度の優しい手付きで撫でる。すうすうと規則正しい寝息を聞きながら、山姥切長義はこっそり笑う。刀を握っている審神者の手を見つめて、ただただ満足げな顔をする。無慈悲に使ってくれたね、と一人で呟いた。誰も殺させず、敵も殺すな。そう審神者は山姥切長義に言った。無茶な命令だった。誰もどうにもできない状況だと分かった上で、山姥切長義に敵を殺すなと命令をしたのだ。太鼓鐘貞宗と戦う前に山姥切長義は審神者に確認した。選択を迫られるような状況が来たとき、無慈悲に自分を使えるか。そう聞かれた審神者は迷わず分からないと答えた。でも、いざその瞬間が来たとき、審神者は迷わず無慈悲に、山姥切長義に斬るなと命令した。その命令は最悪の場合、山姥切長義が折れる可能性を孕んでいた。それでも審神者は迷わなかった。山姥切長義はそれが、ただただ誇らしかった。
 それでこそ俺の主だ、と山姥切長義が呟く。刀は主に使われてこそ。たとえ主の選択により折れたとしても、主の手によって振るわれたという事実が何よりも誉。審神者がそれを分かっているかは疑問が残るが、山姥切長義にとってはその事実だけで十分だった。

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美濃国第〇番本丸 同行:三日月宗近
(備考:エノモト/三十代男性)
大和国第〇番本丸 同行:明石国行
(備考:ササキ/二十代女性)
山城国第〇番本丸 同行:山姥切国広
(備考:ジンノ/二十代男性)
豊後国第〇番本丸 同行:加州清光
(備考:ハシクラ/二十代男性)
石見国第〇番本丸 同行:篭手切江
(備考:サクライ/二十代男性)
周防国第〇番本丸 同行:鶴丸国永
(備考:アラキ/三十代女性)
〇〇国第〇番本丸 同行:山姥切長義
(備考:/○代女性)
武蔵国第○番本丸 同行:燭台切光忠
(備考:タナカ/十代男性)
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