瞬きをした瞬間、審神者の後ろで何かが砕ける音。敵苦無だった。審神者が山姥切長義に神隠しされている間に他の刀剣男士によって斬られたのだろう。あまりに突然現実に引き戻されたので審神者は固まって動けない。敵苦無を斬った篭手切江が顔を覗き込んで「大丈夫ですか?!」と声を掛けてくれる。山姥切長義がそれに「助かった。恩に着る」と言って審神者を引き寄せた。
 先ほどまでの穏やかな光景。もう、見られないのだろうか。審神者はなんだか夢見心地で、そんなことを考えてしまう。それほどまでに美しい景色だったからだ。
 アラキが審神者に駆け寄る。「大丈夫ですか」と顔を覗き込まれた審神者が慌てて「あ、はい」と返す。急にいなくなるからどうしたのかと、とアラキが胸をなで下ろしているが、その同行者である鶴丸国永は苦い顔をしていた。アラキの後に近付いてきたジンノが「あ〜……」となんとも言いがたい声を上げる。山姥切国広も同じようにしているので審神者は首を傾げてしまう。その近くでハシクラが「というか大丈夫なん? 意識はっきりしとる?」と審神者に手を振ってきた。

「あの?」
「いや……今のは神隠しだろ。やっちまったなあ、と思って」
「え?」
「神隠しをした刀は即刀解命令が出るよ」
「……え?!」
「でも意識あったよかったやん。審神者は続けられるやろ、こんだけしっかりしとったら」

 審神者が山姥切長義を見る。山姥切長義は苦い顔をして俯いたまま、特に言葉を発さなかった。心得ている、と言い出しそうな顔。審神者にはそれが分かった。

「で、でも、今のは、守ろうとしたのに」
「まあ……組織っていうのは融通が利かないからな。ルールはルールだ」
「そんな……!」

 審神者たちが困惑している中で、刀剣男士たちは誰一人困惑はしていなかった。全員が山姥切長義に苦い顔を向けてはいた。けれど、その中で加州清光が口を開き、「主を守った結果でしょ。やるじゃん」と笑って山姥切長義の肩を叩いた。山姥切長義はそれに「それはどうも」とだけ返し、ちらりと審神者を見た。
 端末が一斉に鳴る。任務完了の通知だ。それぞれ順番に霊力検査を受けた後、本丸へ帰還となる。順番は決まって任務に就いた時期が早い者から。今回だと三日月宗近を連れているエノモトから検査がはじまるはずだ。恐らく加州清光を連れているハシクラまでで丸一日かかるはずなので、山姥切長義と審神者は明日の帰還になるだろう。
 審神者の端末だけがまた鳴る。そこには「山姥切長義の神隠しを確認。本丸に帰還次第刀解せよ。なお、本丸連帯責任として一ヶ月の出陣、遠征等の本丸から出る行為すべての禁止を命ずる」と書かれていた。

「そういうことだ。主、迷惑をかけてすまない」

 審神者の手から通信機器が滑り落ちる。アラキがそれを拾い上げると「どうにかならないんですか」とジンノを見た。ジンノは困ったように目を背けて「どうにかしたいけど、そうは言われてもなあ」と頬をかく。その通りだ。誰もどうしようもできない。政府の命は絶対だ。背けば審神者の任を解かれることになる。
 山姥切長義を見つめて固まる審神者に、山姥切長義が気まずそうに咳払いをする。審神者がそれに唇を噛んだ。頭の中を巡るのは、山姥切長義がはじめて本丸に来た日のこと。山姥切長義がはじめて出陣した日のこと。山姥切長義がはじめて誉を取った日のこと。どれもこれも、審神者ならば覚えていて当然の思い出だった。
 そして、最後に巡るのは、やはり隠岐国サーバでの事件。山姥切長義は身を挺して審神者を守り、大怪我をした。その姿は人によっては審神者への立派な忠義だと思うかもしれない。それでも、審神者にとってはもう二度と見たくない光景だった。でも、そうだとしても、やはり、審神者にとっては何より、忘れがたい光景でもあった。

「わたしの山姥切長義を刀解しろというならば、隠岐国サーバ事件とと今回のこと、すべて公表します」
「えっ、隠岐国サーバ事件って、あんたのところが被害者だったのか!」
「主、やめろ。下手な交渉は火に油を注ぐだけだよ」
「前回も今回も、わたしのことを守ってくれたのは政府じゃない、山姥切長義です。そんな山姥切長義を刀解しろと言う政府なんか信用できません。まだ時間遡行軍に下っている人がいるんじゃないですか」

 審神者の言葉はここにはいない、何かを通して聞いているであろう政府に向けられている。山姥切長義は信じられないものを見るような目で審神者を見る。「やめろ」と言うが審神者は山姥切長義を見ない。宙を見て、誰でもない誰かを睨み付けている。

「刀解なんてできません。どうしても刀解しろと言うなら、ここで審神者の任を解いてください」
「なっ……! 君、自分が何を言っているのか分かっているのか?!」
「分かってるよ!」

 審神者の怒鳴り声に山姥切長義が少しだけ体を震わせる。怒りが滲んだ声。あまり審神者が出さない声だった。山姥切長義が呆気に取られていると、審神者の瞳がぼろっと大粒の涙がこぼれた。
 その様子をやけににこにこと笑って見ていた三日月宗近が口を開いた。

「時間遡行軍に二度も侵入を許し、多くの審神者と刀剣男士を危険に巻き込んでおきながら隠蔽を計り、その事実を公表しないとは。時の政府も少々おいた≠ェ過ぎるかもしれんな」
「三日月さん……」
「裏切り者による謀略でも死なずに帰還し、最小限の被害に抑えた上、今回も短期間でこの事態を解決に導いたのだ。少しのおいた≠ュらい目を瞑ってやるべきではないか。こうして審神者本人も無事なのだから何も問題はなかろう。これまでの任務、政府ではどちらも為す術がなかっただろうに、随分と図々しいことよなあ」

 ははは、と三日月宗近が穏やかに笑う。腕を組んで事態を見守っていた山姥切国広もウンウンと首を縦に振り、「全くその通りだ」と呟く。ジンノと山姥切国広も政府からの任務をよく受けており、その中で疑問に思うところが多いのだろう。明石国行の主であるササキも小さく頷いて「都合のいいことばかり自分たちは言うくせにね」と呟く。
 辺りの明かりが一斉に消える。三日月宗近がそれを見渡して穏やかに笑うと「任務完了、しかと見届けた」と口元を着物の袖で隠しながら言う。それからゆらりと視線をどこかに向けて「後始末はそちらの仕事だな」と言い残し、一人ですたすたと歩いて行ってしまう。主の元へ戻っていくのだろう。その背中にジンノが「お疲れーっす」と軽く声を掛ける。三日月宗近は振り返りこそしなかったが、楽しげな声で「また頼む」とだけ返した。
 燭台切光忠とタナカがぐったりした様子で「初任務がこれかあ」と呟く。はじめての現世任務がイレギュラーなもので気苦労は多かっただろう。篭手切江とサクライが苦笑いをこぼして「でも助かった」と励ます。その様子にササキが少しだけ不満げな顔をした。多くの死者と刀剣破壊が出た任務だ。それをがっかりした、という様子で述べられたことが不満だったのだろう。だが、タナカはそれこそ数時間前に任務に就いたばかり。そんな状況を把握できていない中で巻き込まれた上、囮として使われた立場だ。その状況で配慮しろとは言えない。ササキがぐっと言葉を堪えると、明石国行が「お、主はん大人になったなあ」とからかうように言った。明石国行も愛染国俊が折れた中での着任だった。言いたいことはたくさんあるだろう。それでも、何も語らずただただササキのそばにいた。
 山姥切長義を見つめたままの審神者が、唇を噛んだ。悔しい。そうこぼした審神者が俯いて、痛いほど拳を握りしめる。アラキが審神者の肩を抱くと、鶴丸国永は山姥切長義の腰をとんっと軽く叩く。そばに行け、という意味だ。山姥切長義は少し気まずそうにゆっくり審神者に近付く。その様子を見たアラキがそっと審神者から離れた。

「……主」

 ぽたりと地面に雫が落ちる。審神者の涙。それをしっかり見つめた山姥切長義は、審神者の前にしゃがんで腰から本体を抜く。拳が握りしめられたままの審神者の右手を取る。刀の柄を審神者の手にそっと当てた。

「俺は君の刀だ。君が生きていなければ俺はここにいられない。君が審神者でなくなったら、俺はただの鉄屑でしかないんだよ」

 審神者の指を無理やり広げ、その手に刀を握らせる。柄をしっかり握った手を審神者が見ると、山姥切長義は小さく笑った。ゆっくり審神者が顔を上げると、涙で濡れた頬がほんの少しだけ光る。審神者の瞳が山姥切長義を捕らえると、眩しい朝焼けがその後方に見えた。
 強い風が吹く。山姥切長義の美しい銀髪を揺らしたそれは、どこか冷たく、どこか寂しい。一日のはじまりに吹く風とは審神者には思えなかった。それは審神者の頬が涙が塗れているからであろう。けれど、山姥切長義も同じように感じていた。

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美濃国第〇番本丸 同行:三日月宗近
(備考:エノモト/三十代男性)
大和国第〇番本丸 同行:明石国行
(備考:ササキ/二十代女性)
山城国第〇番本丸 同行:山姥切国広
(備考:ジンノ/二十代男性)
豊後国第〇番本丸 同行:加州清光
(備考:ハシクラ/二十代男性)
石見国第〇番本丸 同行:篭手切江
(備考:サクライ/二十代男性)
周防国第〇番本丸 同行:鶴丸国永
(備考:アラキ/三十代女性)
〇〇国第〇番本丸 同行:山姥切長義
(備考:/○代女性)
武蔵国第○番本丸 同行:燭台切光忠
(備考:タナカ/十代男性)
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