『僕、分かったよ! 緊急退去システムを使えばいいんだ!』

 辺りに響き渡ったのは、子どもの声。あまりに突然のそれに太鼓鐘貞宗も少し動きが鈍くなった。その隙に山姥切長義が致命傷にならない腕に刀を振るい、篭手切江も左足を斬り付ける。崩れ落ちそうになった太鼓鐘貞宗は、どうにか踏ん張って三振から距離を取った。

「……え、自分誰やねん」
「エノモトさんだよ」
「……は? エノモトって……三日月宗近の審神者やろ? 三十代って書いてあったで?」
「あの人特殊なんだよ。体が弱くて寝たきりなんだけどさ、霊力はすげー強いの。ちなみに頭は悪い」
「いやめちゃくちゃ失礼やな自分……」
「つまり……どういう意味ですか?」
「んで、八歳の息子が世界がひっくり返るくらい天才でさ。二人で一人の主、みたいな?」

 このハッキングはすべてその息子の仕業、とジンノが笑った。八歳の子どもが、と審神者が固まってしまう。見える限りすべての防犯カメラがこちらを向いている。ビルの明かりがなんともカラフルに、子どもらしく光っている。それを見て審神者は肩の力が自然と抜けた。世界がひっくり返るくらい天才というのはあながち間違いではないのかもしれない、と小さく笑って。
 エノモトが現世任務で姿を現せない理由に合点がいく。本来の審神者である父親は体が弱く現代へは行けない。息子は父親の霊力供給を受けながら任務に就けるものの、天才でもまだ八歳の子ども。そう簡単に戦場へ行けるわけがない。だからこそ、ジンノという協力者とともに任務にあたっていた、というわけだった。

「ははは、つまりそういうわけだ。すまんな、俺の主は少しばかり特殊でな」

 三日月宗近がフジミネのすぐそばに現れた。それからすぐに「通信機器をこちらへ」とフジミネに声を掛ける。震えた手でフジミネが通信機器を手渡すと、躊躇なくそれを地面に叩きつけて刀で刺した。

『緊急退去はいろいろな手順をすっ飛ばした退去だから、政府が把握している霊力しか取り出せないんだよ! それなら無理やり敵の霊力を引き剥がせるよね! 普通の退去だと霊力の検査をしてから退去するから時間がかかるんだよね。その分いろいろなリスクはなくなるけど!』

 無邪気な声で「ほら、早くやってみて!」とエノモトの息子が言う。三日月宗近は楽しげに笑い、一番近くにいる審神者に「緊急退去申請を」と指示を出してきた。慌てて審神者が通信機器を取り出して政府に信号を送る。
 三日月宗近がフジミネの通信機器を破壊したのは、緊急退去の際に通信機器は霊力の簡易検知に入らないためであった。通信機器はどんなに異質なものが混ざり込んでいても、ただの鉄の箱と捉えられてしまう。二次被害を防ぐために現代で壊しておく必要があったのだ。
 太鼓鐘貞宗が先ほどより素早い動きで斬りかかる。一人でも多くの猛者を排除しておきたいのだろう。山姥切長義と山姥切国広、篭手切江がどうにか往なしていく。そんなふうにしばらく攻撃をしてきたが、自身の体が緊急退去による光に包まれると、攻撃を止めた。
 しばらく黙り込んで「ここまでか」と呟いた瞬間、その刃を自身に向ける。「せめてこいつだけでも!」と刃を己に突き立てよう、とするが、そんなことは読めていた、と言わんばかりに山姥切長義と山姥切国広がそれぞれ太鼓鐘貞宗の腕を掴んでいた。
 辺りを眩しい光が包み込む。それにつられた時間遡行軍が襲いかかってくるが、山姥切長義と山姥切国広が動けないとはいえ、他の刀剣男士が揃っている。皆一様に優秀な審神者と刀剣男士ばかり。数が多いだけの時間遡行軍など、敵ではなかった。
 次第に太鼓鐘貞宗が苦しみ始めた。時間遡行軍の霊力がそぎ取られているのだ。太鼓鐘貞宗自身にもそれなりの苦痛はあるだろう。それをフジミネが必死な瞳で見つめる。三日月宗近がその隣にしゃがむと「案ずるな。本丸ですぐ手入れしてやるといい」と微笑んだ。フジミネがぼろぼろこぼれる涙はそのままに、その場で額を地面にこすりつける。「申し訳ありません」と何度も繰り返す言葉に、審神者はまた拳を握り直した。
 どっ、と光が脈を打った瞬間に、フジミネと太鼓鐘貞宗の姿が消えた。緊急退去が完了したのだ。太鼓鐘貞宗を押さえていた山姥切長義と山姥切国広の手には敵短刀が一振残る。もうほぼ瀕死であった。山姥切国広が「チップがついているぞ」と言って敵短刀の体から小さなものを外した。報告にあった証明チップで間違いない。敵短刀と証明チップは動きを封じる術をかけたのち、政府に連絡を入れて引き渡しに成功した。
 辺りにいた時間遡行軍たちも加州清光が統率した四振でほとんど片が付いていた。取りこぼした敵は篭手切江と山姥切国広、加州清光で辺りを見て回ったが確認できなかった。一応警戒のためにしばらくここに留まることになる。穏やかに言葉を交わす審神者たちの中で、ササキだけは俯いて気まずそうな顔をしている。ジンノをずっと目の敵にしていた件だろう。明石国行がそのそばに寄り、「主はん」と声を掛けた。

「……ジンノさん、あの」
「あ、謝罪とかいらないんで!」
「は?」
「だって疑うのは悪いことじゃないだろ。間違えたから謝らなきゃいけないってことはないし。誰も答えが分からないんだから当たり前だろ。ちょっと傷付いたけどな」
「主はこういう人間だ。気にしなくていい」
「……そう、ですか……ありがとうございます」
「おおきにな」
「いーえ!」

 にこにこしているジンノを見て、ササキはようやくほっとしたらしい。もう一度礼を言うと、はじめて笑顔を見せた。
 審神者は輪から少し離れて山姥切長義の手入れをはじめる。中傷を負ってはいるが山姥切長義自身はそれなりに元気だった。「まったく、厄介事はしばらく御免だね」と前髪を払いながら呟くので、審神者も苦笑いをこぼしつつ「そうだね」と返す。手入れは順調。しかしながら、太鼓鐘貞宗の刃を通しての傷なので治りが遅い。これは時間がかかりそうだ。審神者はそう霊力をしっかり込めつつ思った。
 刹那、どこからともなく、気配。篭手切江が「長義さん!」と叫んだその瞬間にはもう、審神者の真後ろに、敵苦無。先ほどの戦いの中で虎視眈々とそのときを狙って潜んでいたのだろう。
 間に合わない。山姥切長義が刀を抜く前に恐らく審神者は斬られる。敵として発見されてまだ日が浅い苦無だが、その実力は確かなもの。修行をし極めた刀剣男士でさえ重傷を負うことが多々ある。相手の急所は心得ている。だから、間違いなく、審神者は、死ぬ。

=Aこっちへ来い!」

 審神者が瞬きをする時間もないほど一瞬の出来事だった。強い風が吹いたような感覚のあと、審神者の目の前には、穏やかな光景が広がっていた。満開の桜が風に揺れて、花びらが踊るように風に乗る。青空と美しい花々が一面に広がる。ここは、一体。審神者がそう固まっていると「くそ、やってしまった」と山姥切長義が頭をかいた。

「あの、ここ、は……? わたし、死んじゃったの?」
「縁起でもないことを言わないでくれるかな」

 山姥切長義が深いため息をつく。ぼすんっと音が聞こえそうなほど勢いよくその場に寝転ぶと「もうここまできたら引けない。無事でよかった」と呟いて静かになる。状況が理解できていない審神者は山姥切長義の横顔を見つめて、ただただ固まったままだった。

「審神者研修終了直前に、すべての審神者が必ず教わることだよ」
「へ?」
「刀剣男士に真名を教えてはいけない=B覚えておくことだ」
「真名って、いうのは……」
「君でいう≠ニいう名のことだよ。姓ではなく、授けられた名のほうだ」

 山姥切長義が体を起こす。頭に花びらがついてしまっている。それが少し間抜けで審神者は笑ってしまったが、山姥切長義はこれっぽっちも笑わない。少し恥ずかしそうにはしているが、この状況はあまり良しとされるものではないらしい。
 ここは一体どこなのか。審神者は首を傾げる。先ほどまで自分は他の審神者と一緒に新橋駅前にいたはず。それがどうして突然こんなにのどかなところに来ているのか。ウンウン考えている審神者を見かねた山姥切長義がため息をついてから口を開いた。

「神域に連れ込んでしまったんだよ、君のことを」
「……神域」
「ここは俺の神域だ。こちら側の世界に……まあ、所謂神隠しというやつだね」
「聞いたことはあるけど、本当にできるんだ……」
「本来は起こらないよ。審神者研修をちゃんと受けていれば、の話だけれど」
「名前を教えたから?」
「そう。名前というのは最も短い呪文のようなものだ。人間である君を縛るなんて造作もないよ」

 山姥切長義は不自然に明るく笑った。その顔に審神者が言葉を失っていると、山姥切長義がちらりと審神者を見る。優しい顔をしてから立ち上がると、ゆっくり伸びをした。それから空を見上げると、ぽつりと「いいことを教えてあげよう」と呟く。

「付喪神が神域に人間を連れ込むとき、神域の姿は連れ込む人間により変わるんだ」
「神域の姿……この景色がってこと?」
「そう。その人間に見せたい姿に、形が変わるんだよ」

 ゆっくり山姥切長義が審神者を見下ろす。穏やかな風に山姥切長義の髪が揺れると、きらきら光って眩しいほどだった。美しい。思わずそう言葉が漏れそうになるほど、審神者の目には光って見えた。
 山姥切長義の神域は、穏やかな自然に囲まれた場所だ。花がきれいに咲いていて、穏やかな陽気をしていて、くすぐるように風が吹く。誰もが声を揃えて言うだろう。穏やかで、美しくて、平和な場所だと。

「君に、どうしても、死んでほしくなかった。血が流れる光景など見せたくなかったんだ」

 優しい顔をした。山姥切長義は目を細めて、ほんのり悔しそうな声色で「それだけだ」と呟き、それきり話さなかった。

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美濃国第〇番本丸 同行:三日月宗近
(備考:エノモト/三十代男性)
大和国第〇番本丸 同行:明石国行
(備考:ササキ/二十代女性)
備前国第〇番本丸 同行:太鼓鐘貞宗※緊急退去済み
(備考:フジミネ/六十代男性)※緊急退去済み
山城国第〇番本丸 同行:山姥切国広
(備考:ジンノ/二十代男性)
豊後国第〇番本丸 同行:加州清光
(備考:ハシクラ/二十代男性)
石見国第〇番本丸 同行:篭手切江
(備考:サクライ/二十代男性)
周防国第〇番本丸 同行:鶴丸国永
(備考:アラキ/三十代女性)
〇〇国第〇番本丸 同行:山姥切長義
(備考:/○代女性)
武蔵国第○番本丸 同行:燭台切光忠
(備考:タナカ/十代男性)
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