審神者の拠点から新橋駅までは電車で三十分ほどだが、始発が五時以降のため電話でタクシーを呼ぶことになる。タクシーの車内で篭手切江を連れているサクライに「説明不足で申し訳ない。緊急事態です」と返信しておく。二人は新橋駅に急行してくれているようで、返信はなかった。
 夜明けが近付く空はまだ薄暗く、交通量も少ない。タクシーは思ったより早く新橋駅に到着した。料金を払ってタクシーを降り、審神者と山姥切長義は走って駅前広場に入った。新橋駅からかなり近い場所が拠点であるタナカとその同行者、燭台切光忠がすでに到着しているのが見え、審神者はようやく胸をなで下ろした。
 ぱっとタナカが顔を上げた。審神者のほうを見ると「どうもです」となんともフランクな挨拶をしてくる。審神者は急に呼び出したことへの謝罪を伝えた。すると、燭台切光忠が「先ほど山姥切国広くんの主から聞いたよ」と言う。事態は把握しているとのことだった。自分たちがどうして呼び出されているのかも、そもそもどうしてこの任務に就くことになったのかも。位置データ履歴はリアルタイムではないとはいえ、先回りされる要因になる恐れがある。それもちゃんと理解した上で置いてきた、と燭台切光忠が説明してくれた。

「ショックっすよ、マジで。こつこつ頑張ってきた成果が認められて選ばれたと思ったのに」
「まあ、そもそも急な任務要請で叩き起こされたり準備する暇もなく出陣させられたり、近侍じゃない僕が指名されていたりしてかなり異様だったから警戒はしていたけどね」
「え、そうなの? 俺だけじゃん、騙されてんの」

 タナカががっくり肩を落とす。それを燭台切光忠が「まあまあ」と宥める。どう言葉をかけようか。そう審神者が迷っていると、山姥切長義が先に口を開いた。たとえこの任務における陰謀のために選ばれたとしても、数多くいる燭台切光忠の中から優秀であると認められたことに変わりはない。敵をあぶり出す役割ができるのは優秀な者だけ。審神者としての能力や刀剣男士としての強さが認められてこその選出だろう、と山姥切長義はタナカをしっかり見て言う。タナカはそれに少しだけ気恥ずかしそうにしたが、笑って「ならいいや」と呟いた。

「それで、俺らって何すればいいんすか? 通信機器置いてきちゃったし、そもそも現世任務がはじめてなんでよく分かんないっていうか……」
「もう大体の概要は分かっている。ステルス機能を気にする必要はないし、ここで敵が来るまで待とうか」
「大体分かっているって……じゃあ、やっぱりフジミネさんが?」
「いや、そう単純な話ではない」

 山姥切長義はアラキの鶴丸国永が太鼓鐘貞宗を見たときの言葉でほぼ確信していた。貞坊の皮を被った別の何か、のように思えた=Aそれこそが恐らく真実なのだろうと結論づけているのだ。
 優秀であるはずの審神者たちに不調が見られる原因。これは十中八九霊力の不調によるものだろう。霊力に不調が現れる主な原因は病気や怪我、精神的な問題である。最も起こりやすいものは病気による不調だ。その次が精神的な問題による不調である。最後が怪我による不調なのだが、この怪我というのは広い意味ではなく、主に時間遡行軍から受けた怪我によるもののことを差すことが多い。時間遡行軍の刃による怪我は治りにくいとされており、致命傷でなくとも治癒までに時間がかかるため、放置すれば最悪死に至るとされている。宗三左文字を連れていたイトウが分かりやすい例だっただろう。
 そして、刀剣男士の手入れが上手くいかない原因。もちろん審神者の霊力不調によるところが大きい。現世任務における手入れは、負傷そのものに反応するわけではなく、時間遡行軍の刃による怪我に反応するという面が大きい。つまり、たとえば刀剣男士自身が転んだりした怪我より、時間遡行軍の刃による怪我のほうが治りがいいのだ。審神者の霊力が反応しやすいのが敵の反応であるから、と考えられている。本来少しの霊力で手入れできるそれが上手くいかない。それはつまり、霊力が反応すべき時間遡行軍の霊力ないしは気配が希薄である可能性がある。負傷した刀剣男士たちは、時間遡行軍の刃以外のもので負傷している可能性があるのだ。先述の原因と合わせて手入れが上手くいきづらくなっている、ということなのだ。
 そして通信機器の不調とハッキング。これは政府が裏切っていないと仮定すると原因が一つしかない。誰か細工したはずなのだ。通信機器の作りに詳しく、どこをどう触れば不調を起こらせられるかが分かっている、誰かが。

「どこかの本丸であっただろう。襲ってきた時間遡行軍が、実は刀剣男士だったということが」
「……それって、つまり」

 足音が聞こえた。審神者が顔を上げると、駅のほうからゆっくりと人が歩いてくる。影に隠れていた顔が見えてくると、太鼓鐘貞宗がにっこり笑ってこちらに手を振っていた。

「ここまでか。まあ、結構殺せたしもういいけどな」

 赤く瞳がゆらりと薄暗い空気を揺らす。太鼓鐘貞宗の後ろに控えているフジミネは、震えて俯いているだけだった。山姥切長義が刀に手を掛けると、太鼓鐘貞宗が「斬ってもいいけど、そのときはこの短刀も斬ることになるぞ」と笑う。その言葉にフジミネが顔を上げると、痛いほど唇を噛んだのが審神者の目には見えた。

「優秀な審神者さえ排除すれば、あとの本丸は適当に急襲すれば壊滅させられる。現世任務っていうのは恰好の狩り場だったぜ。勝手に優秀な審神者が刀剣男士を一振だけ連れてのこのこやってくるんだからな」

 入り込むまでに苦労したけど、と肩をすくめる。時間遡行軍の意識に支配されているだけで声や雰囲気は太鼓鐘貞宗に近いままのようだ。
 燭台切光忠や大倶利伽羅、鶴丸国永、そして亀甲貞宗、物吉貞宗。これらの太鼓鐘貞宗に近しい刀剣男士を多く狙ったのは時間遡行軍に意識を乗っ取られていると気付かれないようにするためだった。アラキの鶴丸国永が違和感を覚えたように、近しい刀剣男士のほうが雰囲気や態度の違和感には鋭い。とりあえず近しい刀剣男士がいれば先に攻撃するようにしていたのだろう。

「……通信機器には何をした」
「この審神者が位置データを交換するときにいろいろとな。元システム管理部だったんだぜ、この審神者。一番に目を付けたね。まあ、霊力で動いてるっていうのは便利でもあるけど弱点でもあるってことだ」

 太鼓鐘貞宗が刀を抜いた。まだ篭手切江と山姥切国広は到着していない。索敵では明らかに太鼓鐘貞宗のほうが上。練度が互角だからこそ、その優劣はかなり大きなものになってしまう。山姥切長義と燭台切光忠も刀を抜き、しばらく見合う。六人だけ時間が止まっているような感覚だった。
 きらりと太鼓鐘貞宗が光ったその瞬間、勢いよく駆け出した太鼓鐘貞宗に、山姥切長義が一歩前へ出る。それに不敵な笑みを向けた太鼓鐘貞宗が飛合った。機動力も圧倒的に上なのは短刀。山姥切長義は刃を受けるので精一杯だった。燭台切光忠が斬りかかるのもひらりと躱され、弄ぶように足蹴にされる始末だった。恐らく時間遡行軍の霊力が混ざり合って流れていることもあり、その力が強まっているのだと思われる。山姥切長義は太鼓鐘貞宗を睨み付けながら「気味が悪い」と呟く。刃を交えれば旧知の仲でなくとも分かる。気配が純粋な刀剣男士のものではなくなっているのだ。
 フジミネが崩れ落ちるように膝をついた。ぼろぼろ涙をこぼして地面に手をつく。「どうか、どうか、貞を」という言葉に続きはない。審神者として、脅されていたとはいえ手を貸した人間として、言ってはいけないと自制しているのだろう。

「この太鼓鐘貞宗は三年かけてやっと顕現した短刀らしいぜ。泣けるよなァ、近侍の燭台切光忠が誉を百個取った褒美として、何でも願いを叶えるって約束だったからどうのこうの、って言ってたよな、主?」

 審神者は年齢とともに霊力が弱まる傾向にある。個人差は大いにあるが、大体の審神者の全盛期は四十代くらいまでであることが多い。それ以降は鍛刀をするのも手入れをするのも楽ではなくなる。そんな中でも近侍である燭台切光忠の願いを叶えようと、フジミネは尽力し続けたに違いない。フジミネの本丸に所属する刀剣男士たちも同じく。
 審神者がぎゅっと拳を握る。一度、刀剣男士を失いかけたからこそ分かるのだ。フジミネの悲痛な思いが。隠岐国サーバ事件で山姥切長義を失いそうになった。今にも折れそうなほど弱っている山姥切長義を見るのはつらかった。自分の刀剣男士が時間遡行軍にいいようにされれば、つらく悔しく、恐ろしいほど憎いに決まっている。

「長義」
「何かな」
「絶対に、斬らないで」
「……君は状況を分かっているのかな。斬らずしてどうしろと?」
「でも、長義も斬りたくないでしょう」

 僅かに切っ先が揺れた。ほんの少しの動揺だ。山姥切長義は少しの間だけ言葉を失ってから、小さく笑った。斬らなければ不利な状況は変わらない。現状で太鼓鐘貞宗から時間遡行軍を取り出す方法が分からないのだ。斬ってはならないとされてしまうと、永遠に戦いは終わらない。審神者もそれを分かった上で山姥切長義に斬るなと言っている。

「いいだろう。この山姥切長義に任せておけ」

 そう言って山姥切長義が太鼓鐘貞宗に飛びかかっていく。後に続くように燭台切光忠も加わると、三振がぶつかり合う高い音が響いた。
 審神者は考える。どうすれば太鼓鐘貞宗を斬らずして時間遡行軍を倒せるか。時間遡行軍は霊力を刀剣男士に流し込んで、脳や何かの機能を支配しているはず。体内に流れる霊力に時間遡行軍のものが加わったことによる支配。霊力を取り除く必要があるというわけだ。けれど、そんな術など存在しない。分かるのは刀剣男士の霊力が完全に力を失ったときに、時間遡行軍も同じように力を失うということだけ。つまりは、刀剣破壊でしか時間遡行軍の霊力を止めることさえ叶わないのだ。
 フジミネ自身の霊力を枯渇されてはどうだろうか。刀剣男士と審神者は現代においては霊力を共有し合って存在できている。フジミネの霊力がなくなれば太鼓鐘貞宗も力を保てなくなるかもしれない。フジミネには肉体的苦痛が伴うが、審神者の霊力枯渇によって刀剣破壊することはないはず。いや、それもやはり難しい。フジミネの年齢を考えれば命の保証ができない。それでは本末転倒だ。
 悩んでいる審神者の真横を何かが走り抜けた。目にも止まらぬ速さで突っ込んでいったのは、篭手切江だった。振り返れば息が切れたサクライが「ぜ、全員が、東京出身だと、思うなよ……!」と苦しそうに言う。新橋駅、とだけ伝えてあったため、待ち合わせ場所で有名なこの駅前広場ではない場所にいたらしい。審神者は慌てて「ごめんなさい」と謝る。そうして、現在の状況を簡単に説明した。
 どこからともなく時間遡行軍が現れはじめる。数で押して全員仕留めるつもりだ。審神者たちのほうにも時間遡行軍が駆けてくる。燭台切光忠が審神者たちの前に立ち塞がったが、とても一振ではどうにもできない。山姥切長義と篭手切江は太鼓鐘貞宗の相手をしているため手が離せない。山姥切長義が「とりあえず一旦待避しろ!」と叫んでくるが、どこかしこも時間遡行軍に囲まれ、待避できる状況ではない。審神者がぎゅっと拳を握り、思わず目を瞑ってしまう。
 激しく刀を受ける音。恐る恐る目を開けてみると、目の前には加州清光。「何? 何?! どうなってんのこれ?!」と訳も分からないまま刀を抜いたらしい。「待ってほんまに俺も訳分からん、これ何なん?!」とサクライに詰め寄っている男性。恐らく加州清光を同行させているハシクラという審神者なのだろう。

「なんで太鼓鐘と長義と篭手切戦っとるん?! 何?! どういうこと?!」
「あの、ハシクラさん、で合ってますか?」
「合っとるけどそんなんどうでもええわ! なんやねんこれ! うちの清光は誰攻撃したらええの?! ちゅーかジンノどこおんねん!」

 どうやらジンノに言われてここへ来たらしい。サクライの腕をぶんぶん振り回しながら「あいつに言われてしゃーなし来たらどえらいことなっとるし、今回の任務ほんまなんやねん!」と騒ぎまくっている。加州清光が冷静に時間遡行軍を斬り伏せつつ「とりあえず時間遡行軍は斬っていいよね?」と燭台切光忠に聞く。主であるハシクラの慌てぶりには慣れているのだろう。特に言及することはなかった。
 ハシクラを呼び出したジンノが走って来た。山姥切国広が審神者たちの前にいる時間遡行軍に斬りかかると、燭台切光忠と加州清光も数の不利がそこまで気にならなくなる。自然と三振で連携を取りながら時間遡行軍を斬り伏せていく。

「やっぱり太鼓鐘だったか……! エノモトさんが言ってた通りじゃん」
「エノモトさんって、三日月の? 来てるんですか?」
「いや、あの人マジで弱いから来てはいない。でも見てるよ、いろんなところから」

 けらけら笑いながら手を振る。その先には、監視カメラ。あそこから見ているということなのだろうか。審神者は首を傾げたが、今はそれどころではない。目の前で太鼓鐘貞宗の相手をしている山姥切長義が中傷を負っている。篭手切江は軽傷だが長くは持たない。
 明石国行と鶴丸国永の刀がきらりを光った。ササキとアラキもジンノに呼ばれて来たようだ。ササキは目の前で起こっている状況に目を見開いて動かない。尊敬しているフジミネが加担していたと分かる状況だ。ササキの様子を横目で見たジンノはすぐに目を逸らし、ほんの少しだけ視線を地面に落とした。
 山姥切国広が山姥切長義と篭手切江に加勢する。審神者たちの守備は他に任せていいと判断したのだろう。未だよく分かっていない加州清光がどうにか統制を取り時間遡行軍を倒していく。それでも続々と出現するそれにはキリがなく、これまで冷静だった加州清光がさすがに舌打ちをこぼした。
 夜明けが来る。それでもまた辺りは薄暗い。ビルの電気は付いておらず、人もほとんどいない。不自然なほどに人がいないその光景は、何かしら政府が手を回したのだと分かる状況だ。けれど、恐らくそれも長くは続かない。このまま戦いが長引けば一般市民を巻き込みかねない。
 何も打開策が思い浮かばない。審神者がそう俯いた瞬間、辺りが一気に明るくなった。他の審神者たちも驚いて顔を上げると、先ほどまで電気など付いていなかったビルすべてに明かりが灯っている。これは、一体。そう審神者たちが困惑していると、ジンノがぽつりと「勝ったな」と呟いた。

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美濃国第〇番本丸 同行:三日月宗近
(備考:エノモト/三十代男性)
大和国第〇番本丸 同行:明石国行
(備考:ササキ/二十代女性)
備前国第〇番本丸 同行:太鼓鐘貞宗
(備考:フジミネ/六十代男性)
山城国第〇番本丸 同行:山姥切国広
(備考:ジンノ/二十代男性)
豊後国第〇番本丸 同行:加州清光
(備考:ハシクラ/二十代男性)
石見国第〇番本丸 同行:篭手切江
(備考:サクライ/二十代男性)
周防国第〇番本丸 同行:鶴丸国永
(備考:アラキ/三十代女性)
〇〇国第〇番本丸 同行:山姥切長義
(備考:/○代女性)
武蔵国第○番本丸 同行:燭台切光忠
(備考:タナカ/十代男性)
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