拠点に戻った審神者は、口を閉ざしたままだった。ずぶ濡れになった体を温めるように、と山姥切長義が言うと無言で風呂場へは向かっていったが、完全に戦意喪失状態だ。山姥切長義は一つ息を吐いてから審神者が出してくれたタオルで体を簡単に拭く。服は脱いでとりあえず玄関に置いておき、調達してあった替えの服を着た。
 山姥切長義は思い出したように通信機器を手に取る。本丸に定期連絡をしておこう、と思い出したのだ。他の審神者たちも本丸には定期連絡を取っていたようだ。山姥切長義たちはまだ一度も本丸に連絡をしていない。加州清光辺りがまた「連絡が取れない」と不満を言い始めている可能性が高い。通信機器にメッセージを政府を介する形で、本丸の経理を担当している前田藤四郎が使用しているパソコンにメールを送った。ちょうど今日は政府への定期報告書の提出日だ。今頃作業を終えて他の経理係と休憩をしている頃合いだと予想したのだ。
 山姥切長義の予想は見事に的中する。ものの数分で返信があったのだ。その返信には映像データが添付されていた。とりあえず開いてみると、前田藤四郎やへし切長谷部、松井江といった経理係の刀剣男士たちに混ざって近侍の加州清光や山姥切国広、石切丸の姿もあった。どうやら経理係の休憩に混ざっていたらしい。再生ボタンを押してみると、開口一番加州清光が「ちょっと!」と不満げに言った。

『無事だ、って文章だけ?! これ打ったの絶対長義でしょ! 画像くらい付けてきなよ! この山姥切!』
『まあまあ、任務中ですから……』
『長義、主は無事か? 怪我の一つでもさせたら覚えておけよ』
『主、本丸のことは任せておいて。たまに連絡をくれると嬉しいかな』
『本丸のみんな、ずっと連絡を待っていたんだよ』
『山姥切の国広さんも何か一言どうぞ』
『え、ああ……ほ、本歌も、無事であれば何でも……』
『って感じでちょー心配してるけど、とりあえず無事ならそれでいいよ。その調子で頑張って!』

 そんな感じで、賑やかなまま動画が終わった。山姥切長義は一つ笑いをこぼしてから通信機器を一旦机に置いた。意気消沈している審神者にとっては何よりの励みになるだろう。そう思いながら。
 そこでふと、山姥切長義はやけに審神者が風呂から上がってくるのが遅いと気が付く。先ほどからシャワーの流水音は聞こえている。まだ入っているのは間違いないが、それにしても時間がかかりすぎている。山姥切長義にも人間の女性は湯浴みに時間がかかることが多い、という認識はある。だが、それにしても。湯を張っているのであれば時間がかかるのは分かるが、シャワーの音がずっと聞こえてくるのは不自然だ。
 嫌な予感がして立ち上がる。脱衣所の前まで歩いて行き、脱衣所のドアを軽くノックした。「主、聞こえるかい」と少し大きな声で聞く。けれど、返事がない。もう一度ノック、それから声かけ。それを三度繰り返してから山姥切長義は「開けるよ」と一応声をかけてから脱衣所のドアを開けた。脱衣所には審神者が脱いだ服が、洗濯機に入れられていないまま放置されている。山姥切長義はそれに違和感を覚えつつ、磨りガラスのようになっている風呂場のドアを強めに叩いた。けれど、やはり、返事がない。

「主、失礼する」

 早口でそう断りを入れてから、風呂場のドアを開けた。出続けているシャワー。それを浴びて、審神者が風呂場に倒れていた。山姥切長義は服が濡れるのも構わず審神者に近寄って、呼吸と鼓動の確認を取る。どちらも正常だ。ただ、体が熱い。風呂に入っていたからかもしれないが、それにしても熱く山姥切長義は感じた。審神者に声をかけながらその体を抱き上げ、風呂場を出る。置いてあったバスタオルで審神者の体を包みながら何度も声をかけた。
 一瞬頭をよぎったのは、これまでの他の審神者たちに起こった霊力の供給不良。十分な霊力がなければ審神者の体調は崩れてしまう。熱が出たり、頭痛がしたりするらしいのだ。もしそうであれば状況は最悪な方向に向かってしまう。今すぐにでも緊急退去をしなければいけない可能性が出てくる。
 けれど、審神者の様子をちゃんと見れば恐らく霊力の不調ではなさそうだった。そもそも審神者の霊力供給に不調が生じれば刀剣男士にも不調が現れる。だが、山姥切長義にその気配は全くなかったのだ。つまりは単純な体調不調である可能性が高い。現世任務に着いてからほぼ休みなしで動いていた上、今日は雨に濡れて体を冷やしながら帰ってきた。限界だったのだろう。山姥切長義は唇を噛んでから、濡れている審神者の体を拭いた。それから審神者が自分で用意していた服をどうにかこうにか着せて、また審神者を抱き上げる。軽い体。それに内心ゾッとしながら、審神者をリビングへ連れて行く。
 ベッドに審神者を寝かせてしっかり掛け布団をかけてやる。山姥切長義はベッドに腰を下ろして審神者の顔を覗き込んだ。恐らく発熱しているが、どちらかというと気を失うように眠った、というのが倒れた原因だろう。少々呆れつつも主の体調に気を配れなかったことに反省をする。これでは本丸の皆に怒られてしまうな、とため息を吐いて審神者から顔を離す。審神者の額に軽く触れてから、ゆっくりと瞬きをした。
 前のような失態はするものか。山姥切長義はこの任務に就くことになってからずっとそう思っていた。主を守り切れず、最終的にあろうことか主に守られた。そんなふうに思っているのだ。無論審神者はそんなふうに思っていないが、あのときのことを話題に出すのを避けている節がある。お互いの思いが若干すれ違ったまま、二人はこの任務に就いているのだ。
 審神者の瞳が開いた。ぼんやりした視線を山姥切長義に向けて、不思議そうな顔をしている。小さな声で「どうしたの、長義」と言う。夢の中にいるつもりなのかもしれない。山姥切長義を落ち着かせるように微笑んで「大丈夫だよ」と呟いた。山姥切長義の頬に手を滑らせて、もう一度「大丈夫」と呟く。山姥切長義は頬に添えられた審神者の手を掴んで、ゆっくり瞳を閉じる。「うん」と柔らかい声で返してから、審神者の手を布団の中に戻してやる。「今は休むことだけを考えて」と優しい声で審神者に言い聞かせる。審神者はぼんやりした瞳のまま、山姥切長義と同じような優しい声で「うん」とだけ返し、またゆっくり瞳を閉じた。



▽ ▲ ▽ ▲ ▽




 目を覚ましてすぐ、審神者は素っ頓狂に「へ」と声を上げた。手をしっかり山姥切長義に握られている上、山姥切長義はベッドに座ったまま眠っていた。これまで山姥切長義はソファで眠ると言って譲らなかった。横で寝ていないにしても、まさか同じベッドで眠っていたとは。そんなふうに驚いているのだ。
 審神者は風呂に入ってからの記憶が一つもなかった。どうやって風呂から上がったのか、ちゃんと支度をしてベッドに入ったのか。その何一つとして記憶にない。けれど、審神者はちゃんと服を着ているし、ベッドで眠っていた。ただ、ほんの少し生乾きのままの髪をしているが。
 そっと山姥切長義の手を離そうとするが、山姥切長義がしっかり審神者の手を握っているため抜け出せない。審神者はちょっとだけ照れてしまいつつ、空いているほうの手で山姥切長義の肩を軽く揺さぶった。

「長義、長義、起きて」

 ぴくり、と山姥切長義の肩が震えた。のそりと顔を上げた山姥切長義は、審神者のほうに顔を向ける。数秒間を開けてからハッとした様子で目を見開いた。それから素早い動きで審神者の両手を握り「体調は?」と聞く。そのあまりの剣幕に審神者はほんの少しだけ後ずさりしそうになったほどだった。それでも山姥切長義は審神者に詰め寄って「君、昨日倒れたんだよ」と当時の状況を事細かく説明した。熱を測る機械がないから焦ったことや、本丸と水回りの環境が違いすぎてほとんど何もできなかったこと。「不甲斐ない」と肩を落として審神者に説明した。

「ご、ごめん……何も覚えてなくて……」
「もう大丈夫なのならいいけれど、本当に肝が冷えたよ。風呂場で倒れている君を見つけたときは」
「そうだったんだ…………って、え、風呂場、で?」
「そうだよ。シャワーを出しっぱなしにして意識を失っていて、」
「中に入ったの?!」
「え、ああ、そうだけど?」

 山姥切長義が軽く首を傾げる。審神者はそれに顔を少し赤らめてから「そ、そうですか」とぎこちなく言った。審神者の反応がよく分からず、山姥切長義は真顔で「何か?」と審神者に詰め寄る。けれど、審神者は「大丈夫です、ありがとう」と赤い顔で言う以外何も言わなかった。
 ぐるりと首を回した山姥切長義が「そういえば」と思い出したように通信機器を手に取る。操作して画面を審神者に向けると「新たに一人審神者が投入されている」と言った。審神者が眠っている間に一人、新たな審神者が現代に送り込まれたのだ。その通知時刻は約一時間前。朝でもなく夜でもない、不自然な時間帯の投入だ。その詳細を見て審神者が目を見開く。新たな審神者の同行が燭台切光忠だったのだ。

「長義、連絡を取って。すぐに合流しよう」
「君は休んだほうがいい……と言っても聞かないね。分かったよ」

 新たな審神者は武蔵国に本丸を置く、タナカという未成年の審神者だ。最も新しいサーバであり、審神者本人が未成年ともなれば現世任務ははじめてのはず。こういった特殊任務自体もはじめてかもしれない。何も知らないというのは不利な状況に置かれやすくなる要因の一つでもあり、利用される要因の一つ、でもある。

「政府は燭台切光忠の刀剣破壊が頻発しているのを把握しているはずなのに、どうして同行が燭台切光忠なのか。さすがに分かりやすいね」

 恐らくこの新たな審神者であるタナカは、山姥切長義たちと同じく政府から同行者を指名されたはずだ。訳も分からず指示の通り燭台切光忠と現代に来たことだろう。まさか、自分が内通者をあぶり出す囮にされているとも知らずに。
 山姥切長義が送った連絡に返信があった。タナカからは何の警戒心もない様子で拠点の位置データ履歴が送られてきており、その数秒後には映像モードでの通話リクエストが来た。審神者に許可を取ってから山姥切長義が通話を取ると、画面に映っていたのはまだ幼さの残る審神者と燭台切光忠だった。

「こちら○○国第○番本丸のです」
『武蔵国第○番本丸のタナカです。現世任務ははじめてなんで勝手が分からないんですけど、これってとりあえず全員と合流するんですか?』
「待て、落ち着け。同行の山姥切長義だ。早急に答えろ、他の審神者と連絡は取ったか?」
『ええ……山姥切の本歌怖いんだけど……えーっと、さっきジンノさんって人とフジミネさんって人から連絡が、』
「位置データ履歴は送ったのか?!」
『お、送った、っすけど? 普通送るもんなんですよね?』
「すぐに通信機器を捨ててそこから離れろ!」
『は?』
「君の燭台切光忠が折れることになるぞ!」

 同行の燭台切光忠がピクリと反応した。それから「どういう意味?」と怪訝な表情を見せる。けれど、説明している暇はない。タナカたちの拠点は審神者たちの拠点からは三十分ほどの場所だ。盗聴されている恐れがあるため自分たちの拠点の場所を口では説明できない。そもそもこの任務で起こっている緊急事態を説明しなければ、何をしても怪訝に思われるだけ。ではどうすれば。
 審神者と山姥切長義は拠点から出ながら「とりあえず通信機器を捨てて今すぐ新橋駅!」とだけ言った。盗聴されていれば行き先が割れてしまうが拠点に攻め込まれるよりは幾分かマシだ。通信を切ってから山姥切長義が走りながら他の審神者に連絡を取る。まだ薄暗いため短刀や脇差、打刀がやや有利な時間帯だ。鶴丸国永を連れているアラキにはあえて連絡を取らず、篭手切江を連れているサクライ、山姥切国広を連れているジンノにのみ連絡を送った。火急だったため「今から新橋駅、燭台切と合流」とだけだ。サクライはともかく、ジンノはそれで理解してくれるだろうと踏んだのだ。
 予想通りジンノからすぐに返信があった。「了解。こちらも向かう」とだけだ。数分遅れてサクライからは「どういうことだ?」と届いたが、返信しないままにしておけば「とりあえず向かう」と返信があった。

「主、一つ確認を」
「何?!」
「君はもし、選択を迫られるような状況が来たとき、山姥切長義という刀を無慈悲に使えるかな」

 ほんの少しだけ審神者の足取りが止まる。けれど、それはほんの一瞬だけだった。すぐにまた駆け出した審神者が、大きく呼吸をした。

「そのときにならなきゃ分からない!」

 山姥切長義は面食らった顔をしてから笑った。「君らしい」とだけ言って、審神者と同じように足を進め続けた。

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美濃国第〇番本丸 同行:三日月宗近
(備考:エノモト/三十代男性)
大和国第〇番本丸 同行:明石国行
(備考:ササキ/二十代女性)
備前国第〇番本丸 同行:太鼓鐘貞宗
(備考:フジミネ/六十代男性)
山城国第〇番本丸 同行:山姥切国広
(備考:ジンノ/二十代男性)
豊後国第〇番本丸 同行:加州清光
(備考:ハシクラ/二十代男性)
石見国第〇番本丸 同行:篭手切江
(備考:サクライ/二十代男性)
周防国第〇番本丸 同行:鶴丸国永
(備考:アラキ/三十代女性)
〇〇国第〇番本丸 同行:山姥切長義
(備考:/○代女性)
武蔵国第○番本丸 同行:燭台切光忠
(備考:タナカ/十代男性)
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