審神者たちが新宿駅に到着したころ、雨が降り出していた。小雨だったそれは次第に強まり、道路のあちこちに水たまりを作りはじめる。雨の中で傘もささずに山姥切長義と審神者は、位置データが示し続けている場所へ走り出した。午後九時半。コンビニエンスストアや居酒屋などの店やビル明かり。光る雨粒を弾かせながら審神者は走った。
 着いたころには審神者も山姥切長義もずぶ濡れだった。先に到着していた鶴丸国永とアラキ、篭手切江とサクライが顔を上げる。サクライが「見ないほうがいい」と審神者に言ったし、山姥切長義も審神者に立ちふさがろうとした。だが、審神者はすべてを押しのけて、路地の奥に目を向けた。

「……俺たちが着いたときには、もう。すまない、力になれなくて」

 鶴丸国永の小さな声。審神者は言葉を失ったまま、ただただ立ち尽くした。血の海。建物の壁にまで飛び散った血液が、どんどん雨に流されて、辺りを染めていた。
 篭手切江が数分前まで辺りの見回りに出たが、鶯丸の姿は見つけられなかったという。夜という条件下な上、審神者と離れ離れになり霊力の供給はうまく行っていなかっただろう。サクライが通信機器を操作してトウジョウの死亡確認を政府に報告する。その報告から数十秒後にトウジョウの遺体は消え、辺りの血液もきれいに消え去った。
 遅れて到着した山姥切国広とジンノ、明石国行とササキの二組は顔を合わせると少し距離を取った。疑われている身と疑っている身。関係が良いはずがない。そのことを知らない鶴丸国永とアラキ、篭手切江とサクライは少し不思議そうにしたが、特に言及はしなかった。
 時間遡行軍はきれいさっぱり姿を消している。集まっていても意味はない。太刀が同行者の二組にそれぞれ山姥切長義か篭手切江がつく形で解散することにする。山姥切国広とジンノはまさか明石国行とササキについていけるわけがないし、五人以上集まるとステルス機能が効かなくなるため、単独での行動になった。
 解散する直前、山姥切長義がはっとしたように顔を上げる。「太鼓鐘貞宗はどうした」と一番に到着した鶴丸国永に問う。鶴丸国永より先に山姥切国広が「太鼓鐘だと?」と口を開いたので、トウジョウから応援で来ると聞かされていたことを伝えた。ジンノは歩き出そうとしていた足を止め、「マジか」と参ったような表情を浮かべた。

「フジミネさんは……ああ、ちょうどこちらに向かっているようです」
、長義。お前ら俺と来い。とっとと退散しよう」
「ちょっと、何なんですか? 偉そうにして。裏切り者のくせに」
「……どういうことです?」
「ササキさん、落ち着いて。ここで言い合っても意味が、」
「あれ、全部終わったところか? もしかして」

 びくっと審神者の肩が震える。聞いたことのある声。まさしく太鼓鐘貞宗の声だったのだ。振り返ると少し離れた位置に、小柄な姿が見えた。その数歩後ろを歩いているのが審神者のフジミネだろう。
 山姥切国広とジンノが黙り込む。その姿をじっと見るだけで口は開かない。明石国行とササキが二人に近寄りつつ「そちらは大丈夫でしたか」と声をかけた。太鼓鐘貞宗は明るく笑って「何にもいなかったぜ」と言った。

「篭手切江と山姥切長義は初対面だな。太鼓鐘貞宗だ」
「その審神者の備前国第○番本丸のフジミネと申します」
「石見国第○番本丸のサクライです。合流できてよかったです」
「……○○国第○番本丸のです」

 山姥切長義も簡単に自己紹介を済ませ、ちらりと山姥切国広の顔を見る。山姥切国広もそれに気が付いたようで、視線を山姥切長義に向けてすぐ目を細め、駅のほうに視線をやる。できるだけ早く離れたほうが良い、という意味と山姥切長義は捉えた。こういうときだけ考えていることが分かるのは癪だ、と山姥切長義はほんの少し苛立ったが、今回に関しては助かったの一言だろう。
 山姥切長義が審神者に何かしらの合図を送ろうとした瞬間、ピリッと何かを感じた。まるで時間遡行軍が出現したような違和感だったが、そういう感じでもない。一瞬の違和感だ。何に対して感じたのかを探ろうにも、あまりにも微弱な違和感だったために追うことができない。異常事態ばかり起こる状況において、些細な違和感も見過ごしたくないだけに山姥切長義は小さく舌打ちをもらした。今のはなんだったんだ。
 そう辺りを見渡す中で、鶴丸国永が目に入った。鶴丸国永は猫が警戒しているように目を丸くして、黙りこくったままじっと何かを見つめている。その視線の先をたどると、まっすぐに太鼓鐘貞宗を見つめているのが山姥切長義には分かった。近しい刀剣男士に興味を抱いているのかと思ったが、どうやらそうではない。親しみのこもった視線ではなく、明らかな警戒と疑念の眼差しだった。

「談笑中のところ悪いのだけど、主を早く休ませたいので先に失礼する」
「ああ、位置データの交換をしたいのですが、いかがですか?」
「すみません、先ほどから調子が悪くてうまく動作していないので、またの機会に」
「そうですか……分かりました」
「鶴丸、途中まで一緒だろう。護衛する」
「…………ああ、願ってもみない。頼む」

 山姥切国広とジンノがひょこっと割り込んでくる。「俺たちも一緒にいいか?」と屈託なく笑ったジンノにアラキはほんの少し不審そうにしたが、審神者が「いいですよ」と言ったのを見てすぐに表情を戻した。必然的に明石国行たちと篭手切江たちが一緒に帰ることになる、が。審神者は後ろ髪を引かれるようにササキとサクライのことを見ている。山姥切長義はその横顔に一つため息をこぼしてから小さく笑い「主、たくしーを呼べるかな」と言った。審神者はその言葉にはっとしてすぐさま電話をかけはじめる。他の審神者たちは駅がすぐそばなのに、と不思議そうな顔をしたが、知らんふりを決め込んだ。
 タクシーを二台呼ぶと、ほとんど無理やり明石国行とササキ、篭手切江とサクライの二組を同じタクシーに乗せた。もう一台をフジミネに「どうぞ」と言えばにこやかな表情で「どなたか乗らなくても?」と首を傾げる。ジンノがにこっと笑って「俺たちは少し用事があるので!」と答えれば、「それでは」と言って乗り込んでいった。
 そのタクシーが走り去ってすぐ、鶴丸国永とアラキに説明しないままに駅へ向かって走る。六人で集まっている今、ステルス機能が作動しないため時間遡行軍に場所を特定されやすい。人混みに入って審神者の霊力を使った疑似結界を張るのが最も優先されることだった。
 新宿駅内はまだ人が多く、疑似結界を三重に張れば十分安心できる。審神者はほっと息をついてから、突然連れて来てしまった鶴丸国永とアラキに謝罪する。アラキは不思議そうに「構いませんが、何かあったんですか?」とよく分かっていない様子だ。鶴丸国永は大体何か分かっており、思考を巡らせているらしかった。

「鶴丸国永、単刀直入に問う。あの太鼓鐘貞宗、どうだ?」
「……うちの貞坊とは、少し違うな。貞坊によく似た偽物のような……」
「個体差じゃないの?」
「いや、そういうんじゃないんだ。なんというか……演練で他の本丸の貞坊には多く会ったし、それぞれうちの貞坊とは違った。けど、あのフジミネという審神者の太鼓鐘貞宗は、そういう些細な違いではない、というか……」

 鶴丸国永は顎に手を当てて慎重に言葉を探す。少しでもニュアンスの違う言葉を言ってしまうと伝わらないからだ。それくらい些細で、とても、大きな違和感だったのだろう。山姥切長義は鶴丸国永のその真剣な表情でそれを察した。

「本霊に近い個体だと逆に違和感を覚える、という場合もあるがそういうわけではないのか?」
「むしろその真逆、というか……無理くり言葉にするなら、そうだな……貞坊の皮を被った別の何か、のように思えた。得体の知れない気味の悪さだったな、あれは」

 鶴丸国永が苦笑いをこぼす。「上手く言葉にできないもんだな。すまん」と言って頭をかいた。それに一同が首を横に振りつつ、あまり長居するのは危険と判断し解散することになった。
 鶴丸国永とアラキは山姥切国広とジンノが護衛していく、と言ってくれたため審神者と山姥切長義はそのまま拠点へ帰ることになった。四人を見送る審神者はいつも通りの表情をしていたが、山姥切長義の表情は硬い。四人の背中が闇に紛れて見えなくなるまで、山姥切長義は審神者の横顔を見つめ続けていた。
 審神者が四人に振っていた手を下ろす。そうして、少しだけ視線を下に向けてから「帰ろうか」と山姥切長義に声をかけた。雨に濡れて顔に張り付いたままの髪。冷えたせいか恐ろしいほど生気を感じない白い頬。山姥切長義は「分かった」と答えつつ、審神者から目を逸らした。
 責めている。山姥切長義にはすぐに分かっていた。審神者は自分を責めていた。何かあったら助けてほしい、と言われていた。唯一すぐに助けられるように備えられていた。けれど、助けられなかった。それは審神者の実力不足ではないし、判断ミスでもない。物理的な距離の結果が大半の原因を占めている。それでも審神者は自分を責めるのだ。当然のように。
 ぎゅっと握られた小さく弱い拳が、怒りに似た感情で震えている。爪が刺さってしまうのではないかというほどの強い感情に、山姥切長義は小さくため息をこぼした。

「憤っていても、状況は何も変わらないよ」
「……分かってる」
「君がすべきことは死者を悼むことじゃない。いち早く事態を解決することだ」
「分かってる」
「鶴丸が言っていた違和感の調査。ササキとジンノの見解の考察。やることは山積みだよ」
「分かってるよ!」

 大きな声だった。山姥切長義は一切動じることなく前を向いて歩いていく。審神者も足は止めずに山姥切長義の半歩後ろを歩いた。しばらくして、ぐず、と鼻をすする音が聞こえてくる。山姥切長義は振り返らないままに左手を後ろに伸ばした。そうして、審神者の震える拳をぐっと握りしめる。それをぐいっと力任せに引っ張ると、審神者が少しバランスを崩しつつも山姥切長義の隣に来た。驚いた顔をしつつもぽろぽろ流れる涙。審神者は山姥切長義の横顔を見つめてから、涙を腕て拭い払った。

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美濃国第〇番本丸 同行:三日月宗近
(備考:エノモト/三十代男性)
大和国第〇番本丸 同行:明石国行
(備考:ササキ/二十代女性)
備前国第〇番本丸 同行:太鼓鐘貞宗
(備考:フジミネ/六十代男性)
山城国第〇番本丸 同行:山姥切国広
(備考:ジンノ/二十代男性)
加賀国第〇番本丸 同行:鶯丸
(備考:トウジョウ/四十代男性)

豊後国第〇番本丸 同行:加州清光
(備考:ハシクラ/二十代男性)
石見国第〇番本丸 同行:篭手切江
(備考:サクライ/二十代男性)
周防国第〇番本丸 同行:鶴丸国永
(備考:アラキ/三十代女性)
〇〇国第〇番本丸 同行:山姥切長義
(備考:/○代女性)
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