午後九時。山姥切長義が風呂から上がると、審神者がソファに座ってじっと通信機器を見ているところだった。鶯丸とトウジョウの位置データを見ているのだろう。山姥切長義が後ろから覗き込みつつ「動きは?」と聞くと、審神者は山姥切長義に気付いていなかったようで少し悲鳴を上げた。

「ご、ごめん! あがってると思わなくて!」
「いや、先に声をかけるべきだった。申し訳ない」

 山姥切長義はタオルで髪を拭きながら審神者の隣に腰を下ろす。通信機器の画面上に表示されている位置データは動いていない。まだ東京都庁の地点で止まったままだ。それにほっとしつつも、いつ動き出すか分からないそれを、審神者はただただ必死の顔で見つめている。

「少し休もう。君は根を詰めすぎだ」
「……でも」
「俺が見ている。眠らなくていいからせめて目を瞑ってくれ」

 山姥切長義が手を伸ばす。審神者は不安そうにしつつも、通信機器を山姥切長義に手渡した。審神者はソファの背もたれにゆっくり体を預ける。そのまま天井を見つめるが、なかなか目を瞑らない。寝てしまうのではないかと不安なのだろう。山姥切長義としては眠ってほしいところなのだが。通信機器を見つつ、山姥切長義が手を伸ばす。審神者のアイマスクになるように手の平を顔に軽く当てると「ほんの少しだけだよ」と小さく笑った。
 山姥切長義は右手を審神者の目元に当てたまま通信機器を見つめ続ける。そうしながら前の事件のことを思い出していた。あのときもそうだったが、自分のことをもう少し考えてくれないだろうか、と思うと自分の至らなさに繋がって頭が痛いのだ。あの事件のとき、本丸に戻されて少しして気を失ってしまった山姥切長義は、何者かが侵入してきたことを察した審神者に守られ、押し入れの中では審神者は己を盾にして山姥切長義を庇おうとさえした。そのことを山姥切長義は薄っすらと記憶しており、ただただ情けなく思うばかりだ。
 今回の任務も、どの審神者と落ち合えば自分に有益となるか、など審神者は一つも考えていない。誰が一番困っているか、助けを求めているか。そればかり考えている。山姥切長義はその心を美しいとは思うが、主としてはいかがなものかと少しだけ苦笑いをこぼしてしまう。
 けれど、美しいものを正しく美しいと思える心は残っている。山姥切長義はできるだけ審神者の気持ちを尊重しようとここまで努めてきた。けれど、核心に迫っていくにつれてそういうわけにもいかなくなる。最終的に山姥切長義が優先すべきは己の審神者である。だから、宗三左文字に託されてもすぐにイトウの緊急退去をしなかったし、アラキを救いにも行かなかった。すべて運よく事が運んだので大事には至らなかったが、今後もそういった場面に遭遇すれば、山姥切長義は他の審神者が死のうが、刀剣男士が折れようが、何よりも己の主を優先する。たとえ審神者がそれを望まなくても。
 参加期間の長い順から、明石国行、鶯丸、篭手切江、鶴丸国永、これまで合流した刀剣男士とその審神者たちの話を総括して、やはり怪しいのは太鼓鐘貞宗とその審神者であると山姥切長義は結論付ける。明石国行とササキの意見に同意できる部分もあるが、山姥切国広とジンノは悪意や不自然な点などは何もないように見えた。三日月宗近とその審神者との関係性も非常に分かりやすく、役割分担も多少強引ではあるが理に適っている。破壊された刀剣男士たちが太鼓鐘貞宗と近しいものが多いこともかなり不自然だ。
 だが、理由だけが分からない。山姥切長義たちを撹乱するための罠かもしれない。いろいろな可能性は考えられるが、概ね山姥切長義は山姥切国広とジンノを信用していた。
 そのときだった。動いた。山姥切長義が見続けていた、トウジョウの位置データが。はじめは動物か何かに動かされたのかと思ったが、明らかに違う。人間が走る速さくらいでどんどん東へ動いていく。山姥切長義は「主!」と声をかけながら立ち上がり、本体を入れてある図面ケースを背負った。審神者もすぐに立ち上がり、玄関へ向かう。部屋を出たと同時に通信機器から通話を求める音が鳴り響いた。迷わず出るとトウジョウが一人だけ画面に映っている。

「トウジョウさん!」
『鶯丸は折れてはいない。時間の問題だ。任されてくれないか』
「すぐに向かう。他に応援は」
『フジミネさんが来てくれるそうだ』
「フジミネ……」
『太鼓鐘貞宗を連れている審神者だ』

 山姥切長義が言葉に詰まる。まさに自分たちが疑っている審神者が、トウジョウと合流しに来る。自分たちがそこへ向かえば合流してしまうのは必然だ。行かないほうがいい。山姥切長義はそうすぐさま考えたが、審神者は「隠れていてください。こちらから他の審神者にも連絡を取ります」と言って山姥切長義から通信機器を奪うように操作し始めた。篭手切江とサクライ、鶴丸国永とアラキ、明石国行とササキ、山姥切国広とジンノ。その四組にメッセージを送信してすぐに「行こう!」と迷いなく駆け出した。山姥切長義はその背中にぐっと唇を噛んでから、駆け出す。
 山姥切長義たちの拠点から新宿駅は電車で約ニ十分ほどかかる。その間に太鼓鐘貞宗とフジミネが合流してしまえば、どうなるか。疑わしい点が多い二人と落ち合う前に自分たちが合流したいところだった。審神者はマンションを出て走って行き、山姥切長義に「タクシーに乗るから!」とだけ言った。たくしー、とは。山姥切長義は聞いたことのない言葉にハテナを飛ばしつつも緊急事態なので問いかけはしない。「了解した」とだけ言って審神者の後をついて行く。駅の近くに着くと停まっていたタクシーに乗り込んで「新宿方面へ、できるだけ急いでください」と審神者が運転手にお願いする。運転手はのんびり返事をしつつ、タクシーを発進させた。
 山姥切長義たちが位置データを持っている篭手切江とサクライ、鶴丸国永とアラキ、明石国行とササキの三組が新宿方面へ動いてくれているのが分かる。恐らく山姥切国広とジンノも動いていてくれているだろう。審神者ははっとした様子でまた通信機器にメッセージを打ち込む。山姥切長義がなんと送ったかと問えば「アラキさんとササキさん、夜なのにお願いしてしまったから」と項垂れる。確かにそうだ。太刀を同行者としている審神者は基本的に夜は動かないのが得策である。そのため長期任務において、刀剣男士に偏りが出ないように同行者が選ばれている。短刀や脇差と太刀や大太刀の比率が偏らないように、昼夜問わず力を発揮しやすい打刀は必ず二振は参加させる、といったふうにだ。現状は犠牲者が多いためその均衡が崩れたままになっているのだ。信頼できる者では篭手切江しか夜戦に強い刀剣男士がいない。最も疑わしい側に短刀の太鼓鐘貞宗がいることが、何よりも痛手だった。
 タクシーが走り続けて約十分。四ツ谷駅付近を走っている。トウジョウの位置データはまだ新宿駅にさえ来られていない。足を怪我していたことを審神者は思い出す。隠れながらなんとか動いている、ということなのだろう。気持ちが焦る審神者に山姥切長義は「主、鶴丸国永とアラキからだ」と通信機器の左上に表示されている通知を指差した。開くとメッセージが届いており「新宿駅に現着。場所の詳細を」と書かれている。恐らく鶴丸国永の文章だ。詳細な場所がよく分からない山姥切長義は返信を審神者に任せる。審神者が位置データを見ながら場所の詳細を送ると「了解した」と返答があり、鶴丸国永とアラキの位置データがじわじわとトウジョウに近付いていった。すでにトウジョウと位置データの交換をしていた篭手切江とサクライは南新宿駅に到着し、トウジョウへ近付いていく。

「これで一安心だね」
「…………主」
「うん?」
「トウジョウが、先ほどから全く動かくなっている」

 一瞬で審神者の指先が冷える。山姥切長義の言う通りだ。トウジョウは足を怪我しており、そう素早くは動けない。それにしても、だ。あまりにも動かない。ぴたりと、コンビニエンスストアの横の細い路地から動かないのだ。
 審神者の手が震える。通信機器の画面が小刻みに揺れるのを止めるように、山姥切長義が通信機器の画面を塞ぐように握った。触れた審神者の指が冷たく、折れんばかりに力んでいる。山姥切長義は運転手に「できるだけ急いでくれ」ともう一度頼むしかできなかった。

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美濃国第〇番本丸 同行:三日月宗近
(備考:エノモト/三十代男性)
大和国第〇番本丸 同行:明石国行
(備考:ササキ/二十代女性)
備前国第〇番本丸 同行:太鼓鐘貞宗
(備考:フジミネ/六十代男性)
山城国第〇番本丸 同行:山姥切国広
(備考:ジンノ/二十代男性)
加賀国第〇番本丸 同行:鶯丸
(備考:トウジョウ/四十代男性)
豊後国第〇番本丸 同行:加州清光
(備考:ハシクラ/二十代男性)
石見国第〇番本丸 同行:篭手切江
(備考:サクライ/二十代男性)
周防国第〇番本丸 同行:鶴丸国永
(備考:アラキ/三十代女性)
〇〇国第〇番本丸 同行:山姥切長義
(備考:/○代女性)
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