日が落ちていく。建物と建物の間からオレンジ色がこぼれていくのをぼうっと眺める宗三左文字は、弱っていく己の主の体を摩ってただただ呼吸に努めていた。霊力の枯渇でいつ気を失ってもおかしくない状況である。それでも彼は気力だけで起きている。偏に主の護衛のためである。近くに山姥切長義とその審神者がいても、彼には関係ない。刀剣男士として己の主を護る。その一点の信念だけで彼は呼吸していた。
 山姥切長義は懐中時計をちらりと見てから、陰に隠れつつ外の様子を窺う。鶴丸国永を連れているアラキは方角的に南から来る。ちょうどこの部屋のベランダがある方向だ。オレンジ色に染まりゆく街を見渡すが、まだ姿は見えない。気配も感じ取れない。窓から身を乗り出せばちゃんと確認ができるというのに。山姥切長義は唇を噛みながら、できる範囲での索敵を続けた。
 いつ時間遡行軍が来てもおかしくない状況に加え、そのうち夜を迎える。電灯などの明かりがあるとはいえ、鶴丸国永一振では不利な状況に陥る場合が極めて高い。不利な状況の上に審神者が一緒にいる。何かを守りながら刀を振るう緊張感。それを山姥切長義は痛いほど分かっている。どうか日が完全に落ちる前に、と審神者も祈りながら弱っていくイトウの手を握り続けた。
 山姥切長義が目を見開く。ピリッと静電気が走ったような感覚が頭に落ちた。それはまさしく時間遡行軍の気配。山姥切長義が現世へ出陣してからははじめてとらえた気配だった。死亡したと思われる薬研藤四郎を連れていたサキモトが言っていた、恐らく誘われているのではないか=Bそして燭台切光忠を失ったアラキが言ったまるで行先を読まれていたように=Bその見解は正しかったのだろうと山姥切長義は確信した。そうでなければこんなピンポイントに時間遡行軍が現れることは考えにくい。
 では、如何にしてこの弱っている宗三左文字とその主であるイトウの居住地を見つけられたのか。もしくは夜を迎える危うい時間に出歩く鶴丸国永とその主であるアラキを待ち伏せられるのか。その方法だけが山姥切長義にはまったく分からないままだった。

「主、時間遡行軍の気配がある。疑似結界を」
「……アラキさんたちは大丈夫かな」
「分からない。まだ姿も気配も捕捉できていない。今はこの場をどうやり過ごすかだけを」

 審神者はぐっと拳を握ってから疑似結界を発動させる。自分の拠点にある同期ポイント内ではちゃんとしか結界を張ることができるのだが、他人の同期ポイントならびに同期ポイント外では疑似的なものしか使うことができない。もちろん効力はほぼ同じだがその性能に差が出る。時間遡行軍に気付かれるリスクは高くなるのだ。霊力の消費も大きいため使うときは慎重に、と山姥切長義と審神者は任務前に決めていた。
 緊急退去は数十秒の時間がかかる。その間は結界もステルス機能も作動できない上、大量の霊力を放出するため時間遡行軍に狙われるリスクが非常に高い。緊急退去中の審神者ならびに刀剣男士は無防備な状態になり、基本的には行われない処置だ。過去あった例は残りの審神者たちの護衛があって行われたケースばかりである。そのため宗三左文字とイトウの退去にも護衛が必要不可欠になるのだ。政府への緊急退去申請は無事に通ったものの、鶴丸国永とアラキと合流しない限りはリスクが高すぎる。

「それにしても初日からこうなるとは……俺は良いが君も少しは休んだほうがいい」
「大丈夫だよ。何もしてないから」
「体力は消費していないだろうが、精神的に疲労の色が見える。君は顔に出やすいから隠しても無駄だよ」

 ほんの少しだけ温度が下がった夏風が入り込む。とても穏やかな風だったが、不気味な何かを山姥切長義は感じ取る。瞬きをせずに外を睨み付けて様子を窺う。いる。確信に近いそれに呼吸を潜めた。
 ふわりと白いカーテンを揺らしたその瞬間、目にも止まらぬ速さで飛んできた石によって掃き出し窓が粉々に砕けた。夕日を反射して窓ガラスの破片がやけにきらきら光る。それを布で防ぎながら山姥切長義は窓から距離を取り、再度刀に手をかけた。それとほぼ同時に飛び上がるように敵短刀が姿を見せる。かなり近くに潜んで、急襲のタイミングを待っていたに違いない。やはり霊力をとらえられていたようだ。日が落ちかけている。その中に置いての索敵と隠密は敵短刀が上回ったのだと、山姥切長義は唇を噛んだ。
 一直線に弱っているイトウに向かおうとする敵短刀の背に刃を突き立てた。そのまま壁に叩き付けるように斬り落とす。宗三左文字も同じように飛びかかってきた敵短刀を斬り伏せた。まさかこれだけではないに決まっている。山姥切長義は審神者の近くに寄りながら窓を睨み付ける。
 宗三左文字も横たわる主を護るようにしながら刀を抜くと、その口の端から血がこぼれ落ちた。小さく咳き込んでから睨み付けるように窓を見た。静けさの中でピリッとした感覚がわずかに走り続ける。山姥切長義は視線だけを動かしてその気配を追うが、他の時間遡行軍も恐らく短刀が多い。いることは分かるが、正確な位置を把握できなかった。

「まずい。恐らく鶴丸を連れている審神者も襲撃を受けているはず。恐らくここにいる時間遡行軍は足止めをしているのだろう」

 審神者が急いでアラキに連絡を取るが、返信はない。恐らく戦闘しているものと思われる。オレンジ色の夕日がほとんど沈み切った空。夜が訪れる。すぐにでも鶴丸国永とアラキの援護に回らなければ手遅れになるかもしれない。そう分かっていても、その選択をすれば宗三左文字とイトウを見捨てることになる。
 審神者はぼろぼろの体を盾にするように己の主を護る宗三左文字を見つめる。同じだった。前に事件に巻き込まれたときの山姥切長義と。己を犠牲にしてでも審神者を護る。その切先が沈みかける夕日を反射してきらりと煌めいた瞬間、ぽつりと「僕なんか選ばなければよかったんですよ」と宗三左文字が呟いた。

「この人は、意地の悪い審神者に宗三左文字なぞを部隊に編成するなんて≠ニ馬鹿にされても、僕を第一部隊に入れ続けるようなおかしな人なんです。その上近侍に座らせて、こんな危険な任務にも僕を連れて来てしまうような、本当に、おかしな人なんですよ」
「……宗三、無茶な真似はやめろ。ここで持ちこたえれば退去できる。君も、君の主も」
「いいものですね、期待されるというのも。十分すぎるほど、僕は満ち足りました」

 二人を振り返った宗三左文字が穏やかに笑う。通信機器を己の主のそばに置いた。山姥切長義がそのだらんとしたまま力の入っていない腕を掴もうと手を伸ばすが、ひらりと躱される。くるりとこちらを宗三左文字が振り返る。柔らかく吹き込む風に、宗三左文字の桜色の髪が穏やかに揺れた。桜が舞っているように、とても、優艶な光景だった。
 そのまま掃き出し窓からベランダに出た宗三左文字が「どうか、主を頼みます」と言って、疑似結界の外である地上へ飛び降りた。それと同時に数振の敵短刀が勢いよく現れ、宗三左文字を追いかけて下へ向かっていく。下で戦闘がはじまった音が聞こえてくる。音だけでも宗三左文字の強さが審神者と山姥切長義には分かる。次々時間遡行軍が破壊されていく音。けれど、怖気づくことなく敵短刀が次々と現れては宗三左文字に襲い掛かっていく。
 山姥切長義は刀を強く握り直してから眠ったままのイトウを抱え上げ、言葉を失っている審神者の腕を引っ張る。動きが鈍いままの審神者はただただ宗三左文字が飛び降りた窓の向こうの、深い闇に染まった空を見つめている。山姥切長義に引っ張られるがままに足を動かし、顔をその窓から背けるしかなかった。
 アパートから離れていき、どんどんアパートが別の建物で見えなくなる。そのとき、何かが砕けたような、割れたような、折れたような、そんな悲痛な音が審神者と山姥切長義には聞こえた。山姥切長義は抱えている宗三左文字の審神者であるイトウの体をぐっと支え直し、己の審神者の腕を強く握り直す。政府からのステルス機能が働いているので、時間遡行軍とかち合わない限りは隠密行動が取れるが、逆に派手な動きができない。通信機器を使えば微弱な霊力の揺らぎを悟られる可能性があるし、審神者の霊力による術も慎重に使わなければ危ない。鶴丸国永を連れているアラキと合流するのはかなり困難な状況だった。
 通信機器の緊急アラートの音が響く。それは二人が持っている通信機器からではなく、イトウの通信機器からであった。同行している宗三左文字の刀剣破壊によるものなのかと山姥切長義が確認をすると、生命活動の危機を知らせるものだった。イトウの体は霊力が枯渇し切り、一刻も早く本丸システム内に戻すか政府による何かしらの介入がなければ限界を迎える。同期ポイントを失い、霊力を供給している刀剣男士を失った結果の危機だった。

「長義、イトウさんの緊急退去を開始してもらおう」
「だめだ。今の状況ではこちらも痛手を負う可能性が高い。せめてこの場からもっと離れてから、」
「それじゃあ間に合わない!」

 呼吸が弱くなっていく。審神者の言う通り、この場から安全圏に向かっている間にイトウが息絶える可能性が高かった。しかしながら山姥切長義が言う通り、今ここで緊急退去を行えば宗三左文字が作った隙の意味がなくなり時間遡行軍に狙われるだろう。しかも夜という条件下。状況は最悪だった。
 山姥切長義が足を止めた。審神者を振り返って肩を掴む。そうして瞬きをゆっくりしてから「落ち着いて」と言い聞かせるように言う。審神者はぼろぼろと涙をこぼして「どうすればいいの」と俯く。涙がアスファルトにしみを作ったが、答えを出す者はいなかった。
 山姥切長義は唇を噛みながら審神者の腕を再び握り、力任せに引っ張って進んでいく。遠くのほうで刃が交わる音が聞こえる。恐らく鶴丸国永とアラキが交戦している音だろうと予想はできたが、場所を正確に捉えられない上に本当に味方がいるのかも分からない。近寄るのは危険と判断した。それに山姥切長義は己の審神者だけでなくイトウも庇っている状態だ。できることなら時間遡行軍との遭遇は避けたい状況だった。
 慎重に辺りを警戒しつつ丁字路を左に曲がる。その先に影が見えた瞬間、「あっ」という声が緊張の糸を緩ませた。

「主! 山姥切長義さんを見つけました!」
「篭手切江……なぜここに?」
「燭……いえ、鶴丸国永さんから協力要請を受けたんです」
「篭手切……速い……主を置いてったらだめだろ……」
「す、すみません!」

 ぜえぜえと荒い呼吸をする男性が角から姿を現す。会話から察するに篭手切江の審神者らしい。男は山姥切長義と審神者の姿を見て少し考えてから「刀剣男士の数が足りないのでは?」と首を傾げる。それについて山姥切長義が説明をすると、篭手切江とその審神者は「そうか」と少し俯いた。
 篭手切江の審神者はサクライと名乗った。二人は鶴丸国永とその審神者のアラキと同じ時期に任務に就き、すぐに合流したという。しばらくは行動を共にしていたが、アラキの燭台切光忠が急襲されたときは別の審神者と合流しており助けられなかった、と悔しそうな顔をした。今回はアラキからの連絡を受けてここに来てくれたようだ。山姥切長義は聞きたいことがいくつかあったが、それよりも人命優先である。簡単に状況を説明すればイトウの緊急退去に手を貸してくれることになった。
 イトウを地面に横たわらせてから山姥切長義が通信機器で政府に信号を送る。ものの数秒でイトウの体を光が包むと同時に、どっと霊力が流れ出た感覚が辺りを包み込んだ。それを察知した時間遡行軍の気配がこちらに近付いてくる。篭手切江が「南から二振、きます」と山姥切長義に声を掛ける。それに山姥切長義が頷くと、刀を抜いた。
 山姥切長義、篭手切江が刀を構えてすぐに姿を現した時間遡行軍が、まっすぐ退去しようとするイトウをめがけて飛び掛かる。夜戦を得意とする脇差が加わったことにより山姥切長義はかなり動きやすくなった。退去動作を途絶えさせないように気を付けながら刀を振るい、その退去が完了したのを確認してから時間遡行軍と交戦しながら移動を始める。篭手切江も共に移動しつつ、今度は鶴丸国永とアラキの救援に向かうつもりだ。

「このまま東に進もう。あの青い看板の近くだ。そこで位置データが止まっている」

 サクライの指示に審神者が頷き、山姥切長義もそれを確認してから同じように頷く。篭手切江を先頭にして夜道を進み、鋭い刃が交わる音を聞きながら先を急いだ。

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美濃国第〇番本丸 同行:三日月宗近
(備考:エノモト/三十代男性)
大和国第〇番本丸 同行:明石国行
(備考:ササキ/二十代女性)
備前国第〇番本丸 同行:太鼓鐘貞宗
(備考:フジミネ/六十代男性)
山城国第〇番本丸 同行:山姥切国広
(備考:ジンノ/二十代男性)
加賀国第〇番本丸 同行:鶯丸
(備考:トウジョウ/四十代男性)
越中国第〇番本丸 同行:宗三左文字
(備考:イトウ/三十代女性)※緊急退去済み
豊後国第〇番本丸 同行:加州清光
(備考:ハシクラ/二十代男性)
石見国第〇番本丸 同行:篭手切江
(備考:サクライ/二十代男性)
周防国第〇番本丸 同行:鶴丸国永
(備考:アラキ/三十代女性)
〇〇国第〇番本丸 同行:山姥切長義
(備考:/○代女性)
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