サキモトから受け取った位置データ履歴を頼りに、また電車に乗って五駅。そこから歩いて十分ほどの場所にアパートがあった。位置データ履歴は確かにそこを指している。突然行けば当然警戒されるだろうし、何より戸を開けない可能性が高い。そのため先に通信機器で連絡を取ってから、と審神者は考えていた。だが、いくら試しても連絡を取ることは叶わなかった。通信機器は審神者の霊力をほんの少しだけ供給されて動いているものだ。通信機器を動かせるだけの霊力も残っていないということなのか、それとも。審神者と山姥切長義は連絡を取ることを諦めるしかなく、周辺に注意しながらアパートに近付く。
 位置データ履歴には部屋番号まではなかった。一つ一つのドアの前で山姥切長義が中の様子を探るしかない。ドアに耳を付けて中の音を聞いていき、一階の一番西側のドアの前まで来たが、山姥切長義は首を横に振った。二階へと続く階段をあがっていき、また一つ一つドアの前で耳をそばだてる。そうして三つ目のドアに耳を付けようとしたその瞬間、山姥切長義が審神者の体を自分の後ろに隠すように左手を伸ばした。

「下がれ!」

 固まる審神者を庇いながら山姥切長義が刀を抜いた。かなぐり捨てられた図面ケースが落ちていく。それがやけにスローモーションに見えた審神者の目の前には、ドアを貫通して山姥切長義に襲い掛かる刀。己の刀に滑らせてなんとか避けた山姥切長義がその刀を弾くと同時に、落ちて行った図面ケースが地面に転がった音がした。

「事前連絡もなしに申し訳ない。こちらは〇〇国第〇番本丸の者だ」
「……味方でしたか。失礼。すでにその程度の索敵も儘らないんですよ」

 細い声は宗三左文字のものだった。かなり弱っている。だが、先ほどの突きの速度と威力はかなりの手練れのものであった。現世出陣に選出される審神者はやはり強者揃いのようだと山姥切長義は見解を見直す。
 基本的に宗三左文字という刀剣男士は、政府が統計を出したデータ上では全体的にステータス数値が低めである。修行へ出て極認定をされても合計値を見れば低めである場合が多い。もちろん合計値のみで力量を測ることはできないが、データを見て刀剣男士の良し悪しを決める審神者は少なからずいる。そのため宗三左文字を第一部隊に編成している審神者は多くはない。政府がデータ化している編成されることの多い刀剣男士のランキングでも下位に入っている。
 恐らくこの現世任務に選ばれているイトウの同行者である宗三左文字は、全本丸の宗三左文字の中でトップクラスの実力を持っていると思われる。そんな宗三左文字が薄っぺらいドアの向こうの状況を上手く索敵できないほどに弱っている。それは事実であった。
 刀を鞘に納めたような音がしてから、ゆっくりとドアが開いた。その向こうに立っていた宗三左文字は刀を握っているのもやっとといった様子で、脇腹を押さえながら「こちらへ」とふらつく体を頼りなく動かして二人を部屋に招き入れた。部屋はきれいに片付いていたがどこか薄暗く、濁ったような空気を審神者は感じていた。
 部屋の奥に入って二人はさらに驚いた。審神者らしき女性が頭に氷嚢を乗せられて眠っている。宗三左文字同様に審神者もかなり弱っていた。宗三左文字が己の主のそばに腰を下ろすと、濡らしたタオルで主の汗を拭き取った。その顔をじっと見てから、審神者と山姥切長義のほうに視線を戻す。

「どうしてこんなことに……?」
「分かりません。僕たちは二週間前に指令を受けてここへ来ましたが、最初は問題なくいつも通りでした」
「サキモト、という審神者から二日前から連絡が取れなくなったと聞いている。何かあったのかな?」
「二日前に敵の短刀と脇差七振と遭遇しました。そこで重傷を負い、主も脇腹に怪我をしています。幸いにも鶯丸を連れた審神者に助けられたのでなんとか助かりました。何か、と言えるほどのことではないかもしれませんが」

 宗三左文字曰く、主が脇腹に怪我をしたその日は手入れこそ儘ならなかったが、彼女自身は元気であったという。だが、翌朝から高熱が続きこうして寝たきりになっているとのことだった。一度目を覚ましたときに彼女は「ごめん」とだけ言ったという。

「この有り様ではどうにもできないです。僕たちは政府とも連絡が取れないですし、そちらから緊急退去申請をしていただけないでしょうか」
「それはもちろん構いません。ただ、緊急退去は基本的に霊力を大量に放出するので時間遡行軍に気付かれる可能性が高いです。できればもう一組と合流してからが好ましいですね」
「それなら鶯丸を連れている審神者と合流するのが良いです。この任務に参加している刀剣男士の中で三番目に練度が高いですし、仮住まいもすぐ近くです」

 宗三左文字がそばにあったメモを手に取る。そこには鶯丸を連れた審神者の居住地の地図が書かれていた。主が寝たきりになる前に、何かあったときに助けを求めるようにと地図を書き残してくれたそうだ。通信機器が使えない彼女たちの頼みの綱はこの地図だけだったという。審神者はそれを大事にしまい、代わりに札を一枚宗三左文字に手渡す。結界陣が書かれた札だ。約二日は効力がある。宗三左文字はそれをぎゅっと握りしめて深々と頭を下げた。
 二人が立ち上がったときだった。山姥切長義が持っている通信機器が鳴る。この音は審神者と刀剣男士にしか聞こえないものである。それにわずかに驚いた山姥切長義だったがすぐさま内容確認のために通信機器を操作する。本任務担当本部からの連絡であった。それを見るなり山姥切長義は目を見開き、驚きを隠せない様子で「主、これを」と言いながら画面を見せる。そこには。

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美濃国第〇番本丸 同行:三日月宗近
(備考:エノモト/三十代男性)
大和国第〇番本丸 同行:明石国行
(備考:ササキ/二十代女性)
備前国第〇番本丸 同行:太鼓鐘貞宗
(備考:フジミネ/六十代男性)
山城国第〇番本丸 同行:山姥切国広
(備考:ジンノ/二十代男性)
加賀国第〇番本丸 同行:鶯丸
(備考:トウジョウ/四十代男性)
越中国第〇番本丸 同行:宗三左文字
(備考:イトウ/三十代女性)
豊後国第〇番本丸 同行:加州清光
(備考:ハシクラ/二十代男性)
越前国第〇番本丸 同行:薬研藤四郎
(備考:サキモト/二十代女性)

石見国第〇番本丸 同行:篭手切江
(備考:サクライ/二十代男性)
周防国第〇番本丸 同行:燭台切光忠 → 鶴丸国永
(備考:アラキ/三十代女性)
〇〇国第〇番本丸 同行:山姥切長義
(備考:/○代女性)
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「……嘘……これって……」
「どうやら時間遡行軍は薬研が弱っていることを悟っていたようだね」

 審神者は言葉を失ったまま動けない。先ほどまで話していたサキモトが脱落、つまり。その衝撃はすぐには受け止めきることができないものだった。通信機器が動かなくなっている宗三左文字にも事態を伝えると、宗三左文字はもう一度己の主の顔を見た。そうしてぼそりと「恐らく僕たちも」と呟くと、ぐっと拳を握る。
 山姥切長義にとってもそれは衝撃的なことであったが、それよりも彼が気になったのはその表記についてであった。もちろん周防国から派遣されている審神者の同行刀剣男士が変更になっていることも気になってはいる。だが、何よりも一番下に書かれていたはずの、備中国から派遣されすでに打ち消し線が引かれていた審神者の欄が消去されていることが、何より気がかりだった。山姥切長義は打ち消し線が引かれた欄はその後も残り続けるものだと思っていたが、それが消去されている。それはつまり、他にも任務中に命を落とした、あるいは刀剣破壊にあった者がいたかもしれないという可能性を示していた。

「宗三、他に死亡あるいは刀剣破壊された報告はこれまでもあったのかな?」
「ええ、ありますよ」
「総数は何件ほどになるか覚えていれば知りたいのだが」
「おや、貴方たちは知らされていないんですか」
「……何?」
「僕たちが指令を受けた時点で審神者は十人以上、刀剣男士は二十振以上。それぞれ犠牲になっていると聞いています。僕たちが現世へ赴いてからは審神者は二人、刀剣男士は四振だったと思います」

 宗三左文字が端末を覗き込む。「たとえば」と言って指を差したのは加州清光を連れている審神者の欄。「この方ははじめは大倶利伽羅を同行させていました。五日ほど前に加州清光に同行が変わったと記憶しています」と言った。他は鶯丸を連れている審神者ははじめ亀甲貞宗を連れており、明石国行を連れている審神者は愛染国俊を連れていたとのことだった。あとの刀剣破壊はすでに死亡した審神者の刀剣男士だったという。二週間前より過去のことは分からないとのことだった。

「僕が知っている中では最速ですね」
「最速?」
「この燭台切光忠を連れた審神者は三日前くらいに来たばかりだったと思います」
「練度も申し分なし、審神者の技量も周防国随一のようだが……」

 山姥切長義が眉間にしわを寄せる。政府が死亡者ならびに刀剣破壊の件数を自分たちに伝えてこなかったことの理由は予想がつく。前回の事件で鶯丸に恐ろしい目に遭わされたため、再びの報復を恐れて故意に隠していたのだろう。山姥切長義はそれに呆れはしたが、そこまで重要なことではないと考えていた。
 霊力の供給のトラブル、狙ったかのように弱っている薬研藤四郎を連れたサキモトを襲撃したこと。そもそも審神者たちが拠点とする居住地に必ず展開する同期ポイント。これは霊力の動きを時間遡行軍に見つからないようにする機能が備わっている。システム内における本丸に張られている結界とほぼ同じ役割を果たせるほどの効力を持っているはずなのだ。審神者自身が霊力を上手く供給できない状況になっていたとしても、そう簡単に解除されるものではない。結界が張られているサキモトの拠点をいかにして見つけたのか。山姥切長義にはそれが不可解であった。

「主」
「……」
「主、気を確かに。立ち止まっていては何も終わらせられないよ」
「…………うん、ごめん」
「そう、前を向いて。まっすぐに前さえ向いてくれれば、あとは必ず道を拓くよ」

 山姥切長義が審神者に笑って見せる。審神者はなんとかそれに小さく笑い返すことができた。
 結界を張っていたはずのサキモトが襲われた、ということは宗三左文字たちもそう安心はできないということだった。審神者は鶯丸を連れた審神者と合流するつもりだったが、一気に動きづらくなってしまう。ひとまずは通信機器でコンタクトを取り、どうにかあちらから動いてもらえないかと願うしかできない。
 山姥切長義がメッセージを送ってすぐ返信があった。その内容は端的に言えば「協力はしたいが、それどころではない」というものだった。恐らくこの審神者たちにも何かしらの危機が迫っているようだった。断るのは当然のことであるが、そうなると審神者たちは動くことができないままだ。他の審神者に協力を要請しようと山姥切長義が提案し、同時に「できるだけ多く情報がほしい」という理由で同行していた燭台切光忠が刀剣破壊に遭った審神者に協力を要請することにした。山姥切長義の連絡にすぐ反応があり、断られると予想していた山姥切長義を良い意味で裏切った「了解」との返答だった。
 映像モードに切り替えると、浮かんだ画面に女性の審神者と鶴丸国永の姿が映る。女性の審神者はアラキと名乗った。その様子は少し憔悴しているようにも見え、審神者はぐっと拳を握ってできるだけ穏やかな声で名乗るしかできなかった。

「同行している山姥切長義だ。話してもらえるのなら教えてほしい。今日何があったのか」
『……時間遡行軍の捜索を行っていたところ、十振の時間遡行軍に襲撃されました。まるで行先を読まれていたように』
「十振も……?」
『光忠……光忠が、私だけでも逃げろと、庇ってくれました。姿くらましの術札を使うようにと言って……』
「姿くらましの術札? そんなものどこで? 持ち込みですか?」
『任務に就いた初日に合流できた山姥切国広を連れているジンノさんがくれたんです。札を作ったのは三日月を連れている方らしいのですが……危ないから、と』
「……危ない、か」

 山姥切長義が少し考え込む。姿くらましの術札は、一枚作るだけで相当な霊力を消費する。もし山姥切国広を連れているジンノという審神者が「危ないから」というぼんやりした理由でアラキに札を渡したのなら、相当なお人よしだと思われる。しかも初日に合流し、すぐに札を渡したとなるとかなりお人よしだ。だが、その「危ない」と思ったことに明確な理由があれば話は別である。ジンノは何かしらの考察もしくは事実によりアラキに危機が及ぶ可能性が高いと読んだ。もしそうだとすればその考察または事実を確認する必要がある。
 これまでの任務に参加している審神者の一覧を見て予想するに、欄の上に書かれている審神者ほど長く現世に滞在し任務にあたっているはずだ。山姥切国広を連れたジンノという審神者はその推測が正しければ現在任務に赴いている審神者の中で二番目に長くいることになる。つまり、山姥切長義たちより明らかに多くの情報を持っているということだ。その情報を考察した結果、燭台切光忠を連れたアラキに危険が及ぶと読んだのであればかなり重要な情報を持っている可能性が高い。

『同行している鶴丸国永だが、一つ気になることがある』
「何かな」
『うちの光坊は怖いくらいまめな刀剣男士だったんだ。必ず一日五度は本丸に定期連絡をしてきていた。それが昨日は一度もなかったんだ。主に確認したら昨日は通信機器の繋がりが悪かった、と言っているんだが……そういう不具合は他にも起こっているのかと思ってな』

 現世出陣任務ははじめてだという。鶴丸国永の疑問に対して山姥切長義は現状確認できている通信不良のことを伝えると、鶴丸国永はさらに首を傾げた。アラキには霊力の不調は見られていないのだという。手入れも通常通りできるし、同行している鶴丸国永に不調も起こっていない。良好な霊力供給ができている証拠だった。アラキ曰く燭台切光忠との間にも霊力の不調は見られなかったという。
 山姥切長義は「他に合流した審神者は」と聞く。現世へ来た初日に山姥切国広を連れたジンノ、その数日後に篭手切江を連れたサクライ、さらに数日後に加州清光を連れたハシクラ、そのまた数日後に太鼓鐘貞宗を連れたフジミネと合流できたそうだ。最後に合流したフジミネとは二日前に合流したばかりだという。アラキは全員分の位置データ履歴を送る準備をしつつ、「ジンノさんの位置データだけないんです、すみません」と言った。全員と居場所を共有できるように位置データを交換し合うのが当たり前だと思っていただけに、審神者は「あれ、どうしてなんですか?」と首を傾げた。アラキも首を傾げつつ「そういう約束にしているから、と言っていました」と言った。約束、とは。審神者も山姥切長義も首を傾げるが、言葉の意味は恐らくジンノに聞かなければ分からないものだろう。
 黙って聞いていた宗三左文字が口を開く。宗三左文字たちも山姥切国広とその審神者と合流した際、同じ理由で断られたという。そうしてそのあとに合流を計ったという三日月宗近とその審神者にも、同様の理由で断られたと。山姥切長義が詳しく聞くと、なんでも三日月宗近を連れた審神者とコンタクトを取ろうとした際、映像モードに切り替えると三日月宗近の姿しかなかった。審神者はどこに、と問えば「主は少々顔を出せなくてな」と言うだけで理由は話さなかったそうだ。合流をしたいとイトウが言うと三日月宗近は少し横目で確認するようにしてから「今はちと間が悪い。約束があってな」と答えたという。

「ジンノさんと三日月を連れた審神者が何か約束をしているのでしょうか……でも、一体何の……?」
「それは本人たちに聞いてみないと分からないだろうね。今はひとまず宗三たちの退去を第一優先に考えるべきだ。アラキさんといったかな。君たちが今日中に動ける状況なのかお聞かせ願いたい」
『動けます。時間遡行軍の気配はないですし、霊力供給も良好ですから問題ないです』

 アラキのその声に山姥切長義は少し穏やかな顔をして「協力、感謝する」と頭を下げた。審神者も続けて頭を下げると、アラキは唇を噛む。そうして少し俯いてから「必ず任務を完遂しましょう」と言う。同行している鶴丸国永がその頭を軽く撫でると、ぽたぽたと涙が落ちたのが、審神者にもはっきり見えた。

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