「それにしても人が多いな。さすがに目が回りそうだよ」

 山姥切長義はうんざりしたように呟くと、刀が入っている図面ケースを肩にかけ直して汗を拭う。季節は夏。照り付ける日差しがアスファルトに照り返す。その暑さにはさすがに山姥切長義も耐性はないようで、少々鬱陶しそうに前髪をかきあげた。その動作一つ一つに、近くにいる女性が反応しているのが審神者には嫌というほど分かった。山姥切長義は現代に馴染むように動きやすい格好をしているのだが、その見た目はどうしても目立ってしまうものらしい。女性たちが熱烈な視線を向けている。けれど、そんな彼女たちの記憶から山姥切長義の姿はほんの数分で消えていく。一欠片も山姥切長義のことは記憶には残らないようになっているからだ。不思議なシステムだ、と審神者はしみじみ思いつつ拠点となるマンションへ急いだ。
 二人が向かっているマンションは、もともと本丸所属になる前まで審神者が住んでいたマンションである。今もそのまま残されているし、家賃などはすべて政府が負担している。いつ審神者を辞めても元の生活に戻れるというわけだ。まあ、本丸で過ごした記憶は消去されるらしいが。辞めることなど考えたことがないので審神者の知るところではない。
 今日一日の目標はまず居住地となるマンションにて、山姥切長義が必要なものを揃えること。長期任務になるため最低限の着替えや食べるものなど、揃えるものはそれなりに多い。資金は政府より支給されているので審神者としてショッピングをするだけという感覚である。その次に他の審神者ならびに同行している刀剣男士との合流。通信機器を使って連絡を取り合いどこかで落ち合うというところまでが今日の目標である。

「君のことはなんと呼べばいいかな? さすがに主≠ナは不自然だろう」
「あ、そっか。でもでも、どっちでもいいよ」
「……ちなみに≠ニいうは、君の下の名前かな」
「そうだけど?」
「…………審神者研修、君、最後のほう寝ただろう」
「えっ、な、なんでそれを……」
「まあいい。とにかく今は急ごう。同期ポイントを作らないと政府と連絡もできないからね」
「う、うん」
「ただし、これ以降下の名前は口にしないように。いいね?」
「はい……」

 ため息をつきつつ山姥切長義は足を速める。先ほど山姥切長義が口にした同期ポイント≠ニいうのは、通信機器を使用する際に必要となる電波塔のようなものである。現代において同じ通信機器を持っている相手であれば連絡を取れるが、本丸システム内にいる政府とは連絡を取ることはできない。現代の回線に違法に電波を乗せたところで本丸システムに信号が弾かれるのだ。その他、審神者が現代で生命活動を行うための核としての役割もある。同期ポイントを確立させられなければ審神者は霊力を十分に回復できず、放っておけば生命活動に不調が表れる。一度作ってしまえばいいだけなのでそう難易度の高いことではない。だが、現世任務に置いては必要不可欠なものである。
 本丸システムから存在を遮断され、現代に適合するようデータが書き替えられた二人は、現代日本の中心部である東京に存在している。目を開けた審神者の目に入ったのは懐かしい東京駅であったが、山姥切長義にとってははじめて見るもの。真っ先に審神者に「ここは?」と聞いた山姥切長義は、別段現代に興味はないようでとにかく状況の把握に努めていた。それは移動した今現在も変わらない。恐らくその目で見るのははじめてであろう現代の様子に彼は特に興味を示さない。審神者はその様子に少し驚きながら、マンションまでの道のりを正確に伝え続けた。マンションまでは地下鉄に乗らなければいけない。切符の券売機はさすがに審神者が操作することになる。山姥切長義は物珍しそうに、というよりは今後使うことになるかもしれないことを想定して審神者の手元をじっと観察していた。
 山姥切長義に切符を手渡し、改札の通り方を教えてから二人はホームへ入った。山姥切長義は辺りを見渡してから、ぼそりと「索敵がしにくい」とぼやく。確かに普段山姥切長義が出陣している場所と状況が違いすぎる。人があまりにも多いし、索敵も何もないだろう。逆に隠密行動はとりやすいのかもしれないが、山姥切長義にとってそれは重要ではなかった。敵襲があってもこれだけ人が密集していれば刀を抜くのも簡単ではない。何より、ただ隠れているだけでは任務が長引くだけである。山姥切長義としては一刻も早く任務を終わらせて審神者を本丸へ帰したいという気持ちが強いようだ。
 電車が滑り込んでくる。その大きな音とスピードは山姥切長義の予想以上だったようで、ほんの少し表情が崩れる。電車のドアが開いて人混みに紛れるように乗り込んでから山姥切長義は「こうも変わるのか、同じ国だというのに」とほんの少しだけ疲れたように息をついた。

「ついたらとりあえず休憩だね」
「……そうだね、そのほうが有難い」

 山姥切長義は図面ケースを再度肩にかけ直して、鬱陶しそうな顔をする。腰に差せるものなら差したいのだろう。だが、現代においてそれは不可能だ。警察を呼ばれてしまうと恐ろしく困る。短刀ならまだしも、打刀の長さだとうまく隠す選択肢が狭くなってくる。故に現世出陣を伴う任務に薙刀、槍、大太刀は基本的に選ばれにくい。一応あった例としては薙刀は現代競技にもあるので競技用ということで誤魔化したというもの、弓道具であるというふうに装ったというものがあるそうだ。本任務においては同行に選ばれていないのでそういった苦労はないようだが。
 審神者は電車に揺られながら考える。まずはじめにコンタクトを取るべきはどのペアか。指令書に書かれていた参加者たちの詳細を頭の中で思い出す。

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美濃国第〇番本丸 同行:三日月宗近
(備考:エノモト/三十代男性)
大和国第〇番本丸 同行:明石国行
(備考:ササキ/二十代女性)
備前国第〇番本丸 同行:太鼓鐘貞宗
(備考:フジミネ/六十代男性)
山城国第〇番本丸 同行:山姥切国広
(備考:ジンノ/二十代男性)
加賀国第〇番本丸 同行:鶯丸
(備考:トウジョウ/四十代男性)
越中国第〇番本丸 同行:宗三左文字
(備考:イトウ/三十代女性)
豊後国第〇番本丸 同行:加州清光
(備考:ハシクラ/二十代男性)
越前国第〇番本丸 同行:薬研藤四郎
(備考:サキモト/二十代女性)
石見国第〇番本丸 同行:篭手切江
(備考:サクライ/二十代男性)
周防国第〇番本丸 同行:燭台切光忠
(備考:アラキ/三十代女性)
備中国第〇番本丸 同行:山姥切長義
(備考:オカモト/五十代男性)

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 短刀が二振、脇差が一振、打刀が三振、太刀が四振。山姥切長義が先ほど難色を示したように今は索敵を強化するのが優先である。
 本任務に参加している短刀は太鼓鐘貞宗、薬研藤四郎の二振。情報を見ると太鼓鐘貞宗を同行させている審神者は本任務の最年長審神者である。そして、所属サーバが最古サーバである備前国。現世出陣はこれがはじめてではないであろう。
 逆に薬研藤四郎を同行させている審神者は二十代女性。所属サーバもまだ新しく、審神者になって約二年ほどだろう。現世出陣ははじめてのはずだ。どの審神者も成績優秀であることに間違いはないが、実戦では経験が物を言う。通常であれば有益な情報をもたらしてくれそうな熟練の審神者との合流を優先するものだ。
 けれど、審神者は薬研藤四郎を連れている審神者と合流する、と山姥切長義に言った。山姥切長義は少し考えてから「状況把握に努めるなら太鼓鐘貞宗を連れているほうでは?」と首を傾げる。審神者もはじめはそう考えたのだが、結論付けるに至った理由を恐る恐る山姥切長義に伝える。

「はじめての現世任務なら不安も多いだろうから、先に合流したほうがいいかと思って」

 それを聞いた山姥切長義は面食らったような顔をしてから「君は本当に」と不自然に言葉を切って小さく笑ったのだった。
 電車から降りてホームの階段をあがる。改札口を伝えると山姥切長義は案内板を探しつつ進んでいく。なんとか駅を抜けて外へ出ると、山姥切長義が大きく呼吸した。どうやら息苦しかったらしい。審神者も久しぶりの満員電車には少し参っていた。小さく伸びをしてから「こっちです」と道を指さしながらマンションまでの道のりを急ぐ。
 審神者が住んでいたマンションは割とこじんまりしたところだった。三階の東側の一番奥が審神者の部屋である。隣人だったという老夫婦はもう住んでいなかった。審神者業をはじめてずいぶん経つ。その間に引っ越して行ったのか、それとも。審神者は深く考えないようにして、数年ぶりに部屋の鍵を取り出した。
 部屋に入ってすぐ玄関の鍵を閉め、カーテンがしっかり閉まっていることを確認する。部屋の中央に審神者が鞄に入れていた札を置き、小声で何かを唱える。水のきらめきような光が部屋に淡く広がって、一瞬で消えた。札も消えている。審神者はそれを確認して山姥切長義を見る。政府に支給された通信機器を確認した山姥切長義が「良好だよ」と言えば、ようやく審神者はほっと一息ついたのだった。

「さて、薬研藤四郎を連れた審神者に連絡を取るが、いいかな?」
「もちろん。お願いします」
「ちなみにだが、彼らはこちらが統括係として送り込まれたことを知っているのかな。説明する時間が惜しいのだけど」
「一応知らされているとは聞いてる。納得しているかは分からないけど……」

 手慣れた様子で通信機器を操作する。音声コンタクトを急に取ることは思わぬ危険を呼ぶ場合があるので、まずは所謂メールのような文章でコンタクトを取るのだろう。山姥切長義は一度文章を読み直してから送信ボタンを押して通信機器をしまった。
 通信機器は文章でコンタクトを取る方法と、ビデオ電話のように映像と音声でコンタクトを取る方法、あと通話のように音声のみでコンタクトを取る方法がある。どちらも合流できていなくても政府側が勝手に連絡先を登録してくるのでコンタクトが可能である。その状況でも審神者たちは一度対面する形での合流が不可欠だ。位置データという居場所と行動範囲を把握するための情報を交換するためだ。これは連絡先のように政府から登録されるものではない。むやみやたらに登録して、不利益が起こることが過去にあったからである。

「薬研藤四郎を連れた審神者の次はどの審神者と合流するつもりかな」
「順当にいけば太鼓鐘貞宗を連れた審神者だけど……こっちも主戦力になる刀剣男士と早めに合流したいし、三日月宗近を連れてる審神者かなあ」
「それには賛成だ。……それにしても面倒だね。一気に合流できればいいんだが」
「まあ……政府のステルス操作が追い付かないみたいだから……」

 ステルス操作、というのは審神者や刀剣男士などの霊力を隠すシステムである。同期ポイントの及ばない範囲で一度に集まる際、霊力の波長をデータ上改竄して気配を追われにくくするというものだ。この操作は限られた技術者しかできないため、一度に集まる人数は最大で五人までと決められている。つまり一組ずつ合流しなければいけないというわけだった。まだこちらが敵の場所を捕捉できていないこともあり、敵に見つかることを極力避けるためでもある。山姥切長義はため息をつきつつ「便利なのかそうでないのか……」とぼやく。それとほぼ同時に通信機器が何かを受信したらしい音を発した。先ほどのメッセージへの返信があったらしい。山姥切長義が画面を審神者に見せて「合流はいつにする?」と問いかける。

「ここなら電車で二駅くらいだ。もう今日落ち合っておこうか」
「承知した。映像モードに切り替えるよ」

 山姥切長義がボタンをいくつか操作すると、ザザッと鈍い音がしてから空中に小さな画面のようなものが浮かんだ。若い女性と薬研藤四郎の姿を確認し、審神者が「こちら〇〇国第〇番本丸より派遣されたです」と言えば、あちらも所属と名前を伝えてきた。サキモトという審神者は安堵したように息を吐くと、隣にいた薬研藤四郎がそれを茶化すように笑った。

「現在の状況について分かる範囲で教えていただきたいのですが」
『私たちは二週間ほど前に現世へ来て、時間遡行軍との戦闘は五回です。どれもチップをつけた個体ではなかったので、思っている以上に現世へ侵入しているかもしれません』
「失礼。同行している山姥切長義だがそちらの薬研藤四郎、ずいぶん顔色が悪いけれどどこか具合でも悪いのかな」
『……実は、前の戦闘の際に中傷を負って、手入れをしたんですが……霊力の供給が悪くなってしまって』
『心配はない。多少体が重い感覚はあるが支障はないぜ』

 サキモトが「ごめんね」と薬研藤四郎に謝る。それを横目に、山姥切長義は少し考え込むように口を閉じた。現世出陣で霊力の供給が悪くなる例は過去にもあった。けれど、そのタイミングが手入れ後という例はこれまで見たことがない。霊力量などの個人差はあるだろうがなるべく手入れをしなくて済むように行動を、と心に留めておくことにした。
 サキモトは他に太鼓鐘貞宗を同行させているフジミネ、山姥切国広を連れているジンノ、明石国行を同行させているササキ、宗三左文字を同行させているイトウと一度合流したといった。二週間前に来ているのであれば全員と合流しているのが普通だというのに。合流した数が少ないのでは、と山姥切長義が指摘すると霊力の供給が悪くなってから通信機器の調子も良くないのだという。通信機器も微量ではあるが審神者の霊力を使って動作している。不調が起きてからは連絡を取ろうにもうまくいかず、下手に動けない状況に陥っていたと説明があった。それに加えて予想以上に敵が侵入しており、誰しも戦闘に追われてしまっている。そのため審神者たちは一様に合流が後回しになっているとのことだった。
 何より現状では霊力の供給が十分ではないため、移動するには大きなリスクを伴う。そのため一人でも多くの審神者と合流したいが、なかなか動けずに弱っているとのことだった。

『周辺で時間遡行軍の気配があるんです。ここ数日ずっと。分かりやすく気配を感じるので、恐らく誘われているのではないかと思っています』
「薬研が弱っていることを悟られたのか、単に日中であれば有利と踏んでいるのか……」
『同期ポイントは正常に作動しているので問題はないかと思います。でもほとんどの人と拠点が離れていますし、それに……』
「それに?」
『……イトウさんは同行している宗三左文字が重傷なんです。手入れがうまくいかなくなったと、二日前に連絡があって以降連絡が取れていません』

 山姥切長義は顎に手を当てて視線を下に向ける。サキモトだけでなくイトウも霊力の供給がうまくいかない傾向が出ている。何かがおかしい。そう思考を巡らせている。
 現世出陣に関するシステムは政府が慎重に開発したものだ。現世出陣は頻繁にあることではないが、珍しいものでもない。諸々の調査やデータ収集のために審神者と刀剣男士が赴くことはそれなりにある。審神者の霊力維持やその運用のサポートは万全なはずなのだ。システムを円滑に作動させられるよう専門の技術者が数人いるほどだ。審神者側の問題としても、そもそも一度の手入れで霊力が枯渇するようでは現世出陣任務に指名されない。
 では、なぜか。山姥切長義はあらゆるパターンのバグやイレギュラーを考えたが、政府で見てきた現世出陣任務では起こったことのないことだ。思い当たるところはないようだった。

「こちらは結界を張ってあと数日は耐えられます。できれば先に重傷の宗三左文字を連れているイトウさんと合流していただけませんか。位置データは持っているので……」

 サキモトがそう頭を下げて「お願いします」と言われると、審神者は断ることができなかった。山姥切長義はそんな審神者を見て小さなため息をついたが、それはそれで彼女らしいと口を挟むことはしなかった。
 送られてきた位置データ履歴を確認し、そこでサキモトとの通信を終了する。第三者から受け取った位置データ履歴は少しの行動履歴や同期ポイント設置場所しか分からない。リアルタイムの位置データを手に入れるためには本人とコンタクトを取る必要がある。サキモトから送られてきた位置データ履歴はイトウの同期ポイントの場所のようだった。
 本来であればすでにサキモトと合流している審神者と合流することは優先事項ではない。サキモトを通して連絡を取ることが可能だからだ。審神者にとって一番の悪手である。けれど、重傷の宗三左文字を連れていると聞いてしまえば、審神者が行かないわけはないのだ。前回、己を守り続けて折れるかもしれなかった山姥切長義を見ていた審神者には、無視ができなかった。
 ひとまずすぐに宗三左文字を連れた審神者に合流することにする。日用品を買いそろえる予定は明日に回そう、と審神者が提案すれば山姥切長義は「承知した」と言って再び図面ケースを肩にかけた。

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