山姥切長義の怪我を少しずつ治しながら、審神者はただひたすら山姥切長義を抱きしめ続けた。景観がずっと冬の夜のままのため、山姥切長義の服は満足には乾かず、未だ着せるのを躊躇う程度には濡れている。審神者の体温も徐々に奪われていき、降り続ける雪が積もっていく様を見ると余計に体が冷えるようだった。吐く息が白い。建物の中にいるというのに、あまりにも冷え込んでいる。どれだけ時間が経ったのかも分からない。ただ審神者は頭の中で五分を数えたら休憩、また五分を数えたら休憩、それをずっと繰り返していた。一睡もせず続けているのを山姥切長義が止めないのは、彼がすでに意識を失っているからだった。山姥切長義はこの隠岐国サーバに来てからというもの、審神者を第一に行動し続けたため一睡もしていなかった。その上数々のバグやアクシデントに頭をフル活動させ続け、戦い怪我を負った。刀剣男士は人間ではない。そうとはいえその疲労は並のものではなく、電池が切れたように山姥切長義は眠ったのだった。
 審神者はふと思う。今ごろ本丸のみんなはどうしているのだろう、と。加州清光は審神者が指に小さな傷を作るだけでひどく心配し、審神者に「お願いだから無茶はしないでね」と何度も言うような刀剣男士だ。鶯丸はとにかく楽をしたがりはするが、審神者が手を拱いている戦場への出陣部隊に頭を悩ませていると、横から「俺を入れればいいだろう」と言ってくれるような刀剣男士だ。平野藤四郎はいつも気が付けば審神者の執務室にお茶を持ってきてくれ、肥前忠広は素直ではない言動が目立つが庭の雑草を当番でもないのに抜いてくれたりする。審神者にとって刀剣男士たちは、ただの道具ではない。それぞれが生きている人間だった。そんな彼らもまた、自分たちをただの道具だと言うことは少なくなっていた。人間と同じように喜ぶし、楽しむし、悲しむし、怒る。審神者が戻らないことをどう感じているのか。審神者はそれが一番心配だった。

「早く帰りたいね、長義」

 眠っているその頭を撫でてそう呟いた瞬間だった。ぴりっと一瞬だけ空気が揺らいだのを審神者が感じると、思わず山姥切長義に向けていた視線を辺りに向ける。ただの一瞬。だが、確実に何かを感じた審神者は、ぎゅっと山姥切長義を抱きしめる力を強めた。傍らに置いてある山姥切長義の刀。それを掴んで山姥切長義ごと抱きしめると、再び何かを感じた。ぴりっと、雷が落ちたような感覚。何かがこの隠岐国サーバに侵入してきたと審神者はようやく把握した。この場所を探すように何かが蠢いている。山姥切長義はまだ眠っている。起こさないように静かに呼吸を続けながらその気配を辿り続ける。どうか遠ざかってくれ、と祈りながら審神者はぐっと目をきつくつぶるが、その祈りも虚しく気配はどんどん近付いてくる。山姥切長義の怪我を治すために込めていた霊力を止め、息を殺すことにだけ集中した。少しでも隠れようと審神者は山姥切長義を引きずって、何も入っていない押し入れに入り込む。山姥切長義を守るように奥にして、自分は押し入れの戸に背を向けた。山姥切長義の刀もしっかり持って、片手に札を持つ。一瞬の隙を作ることくらいならできるが、それ以上のことはできない。それでも審神者は札を持つことくらいしかできず、山姥切長義を抱きしめて唇を噛んだ。
 がたん、と入口のほうで物音がした。何かがこの仮の本丸を見つけて侵入してきたのは明らかだ。審神者の腕に力がこもる。審神者と山姥切長義が隠れている押し入れがある部屋に何かが足を踏み入れた。それに審神者が札を構えて、山姥切長義を隠すようにより抱きしめると、押し入れの戸がほんの少し開いた。審神者がその隙間に向かって札を投げつけ、呪文のようなものを唱えると札が光を放ち、目くらましのような役割を果たす。それと同時に審神者が山姥切長義の刀を思い切り戸に突き刺すと、「わっ」という声が審神者の耳の届いた。

「ちょっと、危ないじゃんか!」
「きよ、みつ……?」
「迎えに来たよ、主」

 戸の向こうにいたのは審神者が初期刀に選んだ加州清光で、しかもまさに審神者の本丸にいるはずの加州清光そのものだったのだ。加州清光が立ち上がって大声で「いたよ!」と叫ぶと、それまで恐らく足音を潜めていた全員が一斉にどたどたと走ってくる。そうして審神者たちが隠れていた部屋に入ると、一様に安堵した様子で顔を緩めていた。最後に入って来た鶯丸は審神者の顔を見ると笑い「無事で何より」と手を差し伸べた。審神者は山姥切長義がいるから先に、と言うと弱い力で体を押される。山姥切長義だった。山姥切長義は弱弱しい声で「いいから早く出ろ」と審神者に言うと、審神者は大人しく鶯丸の手を取って押し入れから出る。審神者は山姥切長義に手を伸ばすと、一つ涙をこぼした。「よかった」と呟いた声があまりにも情けなかったからなのか、山姥切長義は思わず笑ってしまう。審神者の手をしっかり握ると、山姥切長義は「ああ」と短く言って再び意識を手放した。
 山姥切長義は大包平に、審神者は鶯丸に背負われて仮の本丸から出る。その道中で審神者がどうしてここにいるのかを加州清光に尋ねると、加州清光はなぜだかほんの少しだけ鶯丸の横顔に目を向ける。そうして笑いながら「主、聞いたら大笑いだと思うよ」と言うので審神者は首を傾げてしまった。



▽ ▲ ▽ ▲ ▽




 審神者と山姥切長義が本丸を出て丸三日が経過した本丸は、どんよりと暗い雰囲気が渦巻いていた。審神者が不在の中、本丸を統括するのは近侍であり第一部隊隊長である加州清光の務めであった。そんな加州清光が本丸担当のこんのすけに主の不在はなぜなのかを聞いても「機密事項です」としか答えてもらえない。これまでも審神者が本丸を数日空けるようなことはあったが、そのすべては理由をちゃんと説明されていた。こんなふうに説明もない上に、今まで本部に出向く際に連れて行ったことのない山姥切長義は本部からの指名だと山姥切長義が言っていた。加州清光をはじめとする刀剣男士たちは不信感しかなかった。
 苛立つ加州清光に鶯丸が「こんのすけを本丸に呼んでくれないか」と言ったそうだ。加州清光は苛立っていたために呼んだって無駄だと言い返した。すると、鶯丸はいつも通り穏やかに笑ったまま「そうか」と呟き、加州清光から視線を外す。その瞬間、穏やかだった表情は消え去り、まさしく冷え切った刃のような視線をぎらりと光らせ、「ならば俺が本部へ出向こう」と刀を握って言い出した。その瞳の鋭さが人殺しのそれだった。加州清光は鶯丸をなんとか宥め、こんのすけを半ば脅す形で本丸に呼びつける。こんのすけは本丸システムの中を自由に行き来できるため、ものの数秒で本丸に転送されてきた。転送位置はいつも決まって審神者の執務室である。そこで待ち構えていた鶯丸と加州清光、数人の刀剣男士。こんのすけは何事かと聞こうとしたが、それは叶わなかった。こんのすけが本丸に転送されたとほぼ同時に、鶯丸がその美しい太刀をこんのすけのほんの数ミリ右横に突き立てたのだ。こんのすけは恐怖のあまり言葉を失いぶるぶると震える。鶯丸が刀を引き抜かないままに顔を近付け、にこりと笑うとこんのすけはその場にへたり込んでしまう。

「返答次第では、分かっているな?」

 その声色はあまりにも穏やかでいて、あまりにも殺気立っている。こんのすけはぷるぷる震えながら「はい」と返事をするしかできない。鶯丸が淡々と、審神者は何の用があって三日も本丸を空けているのか、どういう理由があって山姥切長義を連れてくるように指示されたのか、一体どこで何をしているのか、それだけをまくし立てるようにこんのすけに尋ねる。鶯丸がすべて疑問を並べたところでようやく刀を床から引き抜くと、その切先をこんのすけにまっすぐ向ける。

「答え以外は不要だ。ひとつずつ、分かるように、納得できるように説明しろ」

 その悍ましい殺気に、こんのすけは力なく「詳しくは私にも分からず……」と前置きを付けはしたが、たどたどしく説明した。審神者は政府から極秘任務と言われてまだ開放されていないサーバに内定調査へ行っていること。政府の担当部署の人間より、本丸に残った刀剣男士に言うなと口止めをされているが、実は調査へ向かった審神者と一切連絡が取れなくなっていること。山姥切長義を連れて行ったのは審神者が「バグやアクシデントに対処できる」と判断し選んだためということ。こんのすけの説明を最後まで聞いた鶯丸は「そうか、なるほどな」とにこにこと笑ったままようやく納刀する。そうして立ち上がると「加州、青江、平野、一期一振、大包平」と第一部隊に配置されている刀剣男士の名前を呼んだ。反射的に呼ばれた刀剣男士たちは立ち上がりつつ鶯丸の背中を見つめる。そうして振り返った鶯丸の顔を見て、一瞬で震えあがる。

「本部へ出向く。刀を持て」

 そうして加州清光たちは本部へ乗り込み、審神者たちを捜索することが叶ったのだ。
 審神者がのちに聞くことになる話は、それまでと同じくほぼ鶯丸の独壇場となっており、「何をしに来た」と追い返そうとする政府の役人に刀を向けたり、書類を送ったというのに「覚えていない」と言う政府担当者の眼鏡を吹き飛ばしたり。なかなかな暴れようだったため、審神者は頭を抱えることとなる。
 件の事件はすべてシステム部に所属する二人の職員によるものだった。山姥切長義が言った仮説そのままに、以前本部を襲撃された際に殺さない代わりにと交渉を持ちかけられたのだという。審神者として有能な者、強い刀剣男士を多く所持している者を排除していくように、と。仮想戦闘システムを利用し、刀剣破壊システムの脆弱性や審神者という存在を転送する際に痕跡が残りづらいシステムの穴を利用した。ただ、仮想戦闘システムを使った審神者の殺害にはかなり手を焼いたようで、しばらくして開放予定サーバの内偵調査を任せる、というところに目を付けたという。
 時間遡行軍に手を貸した職員二人は鶯丸に斬られそうになりつつ、政府のしかるべき機関に拘束されたという。それから別の職員によって審神者と山姥切長義の場所が探られたが、システムを構築した職員二人にしか分からないように審神者と山姥切長義のマーク付けがされていた。大体この辺りにいる、くらいにしか分からないようになっていたため、職員が総動員して刀剣男士六振りの存在証明をしつつサーバへ転送することになったのだ。
 審神者も山姥切長義も軽度の凍傷を負ってはいたが、いずれも命に関わるようなものではなかった。山姥切長義の怪我はひどいものではあった。だが、審神者がずっと少ない霊力を使って少しずつ治していた甲斐もあり、大事には至らなかったようだ。
 そうして審神者と山姥切長義は、本丸へ帰ることができたのだった。

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