「ああ、起きたね」

 審神者が目を開けると、すぐ山姥切長義の顔が見えた。本を読んでいたようだがすぐにそれを閉じると審神者の顔を覗き込んで「痛いところは、苦しいとかそういうのはないかな」と聞く。審神者は唖然としていたが、はっとして起き上がるとかすかに頭が痛んだようで眉間にしわを寄せた。

「まだ寝ていないと」
「ちょ、ちょうぎ……怪我は……?」
「俺は刀剣男士だからね。君と違って手入れさえすればすぐに治る」

 冷静に説明されて審神者は納得はしたが、それよりも安堵が大きかったようで分かりやすく肩から力が抜けたようだった。山姥切長義はそんな審神者を見て小さく笑う。審神者は隠岐国サーバから助け出されてから丸一日眠っていたそうだ。霊力の供給がないままに使い続けたつけだろうと山姥切長義は言う。
 山姥切長義は、突然頭を下げると「すまなかった」と言った。審神者はそれにピンときていた。だから山姥切長義が何か言葉を言う前にその顎を掴んで上を向かせてやる。審神者は少し変な顔になっている山姥切長義をくすくす笑うが、山姥切長義は反してかなり不機嫌だった。

「何をしているのかな」
「言わなくていいことを言おうとしているからかな?」

 審神者はゆっくり山姥切長義の顎から手を離すと、顔を覗き込みながら「ありがとうね」とはにかむ。山姥切長義は訳が分からず「何の役にも立たなかった俺に礼を言う意味は?」と己への自嘲なのか、乾いた笑いをこぼした。山姥切長義はゆっくりと審神者の肩に何かをかけた。見てみればそれは、審神者が山姥切長義に貸した上着だった。山姥切長義は自分の膝に肘を置き、頬杖をつく。あまり見ない、行儀の悪い恰好だった。審神者はぽかんとしたまま「柔軟剤のにおい」と呟くと、山姥切長義がぴくっと反応して「借りたものは直接返す主義なんだ」と言った。審神者が起きるまでに洗濯して、ずっと持っていたのだろう。審神者はあえて言わなかったが、柔軟剤のにおいと共に、山姥切長義からよく感じる香のかおりがついていた。帰って来た上着の袖をじっと見つめ、審神者は「ふふ」と笑ってしまう。ほつれていた箇所が、きれいに直されている。ちらりと山姥切長義を盗み見た審神者の目にしっかり映った。針仕事は得意ではないのだろう。恐らく、この本丸で唯一針仕事を得意としている歌仙兼定に習ったに違いない。山姥切長義の指先には絆創膏が貼られていた。
 ”多くの俺は嘘吐きでね。君たちはきれいに騙されているのさ”。山姥切長義が言った言葉を審神者は思い出す。政府から渡される刀剣男士個々の説明書。そこには山姥切長義を冷静沈着で、落ち着いており判断を下すのが早い、だがそれなりに人間味のある性格をしていると書かれている。審神者の認識もおおむね相違なかった。たしかに嘘吐きだ、と審神者はこっそり思う。おおよそ説明書からは想像できないほど人懐こく、かわいらしく、主想いな刀じゃないか。審神者は山姥切長義に笑いかけて「ありがとう」とまた言ってしまう。山姥切長義は照れくさそうに少し視線を外すと、「こちらこそ」と言って頬を赤らめる。その頭上にはらはらと、薄いピンク色をした桜の花びらが舞ったので、審神者は余計に笑ってしまってどうしようもなかった。

「山姥切長義は、きれいだね」

 顔はもちろんのこと、言葉が、声が、思いが、心が。審神者が静かに手を伸ばして山姥切長義の頬に触れる。山姥切長義がその手をやんわりと握ると審神者の顔を再び見た。そうして誇らしげに笑うと、桜の花びらがまた舞った。

「君の刀なのだから当然だろう」

 親に褒められて喜ぶ子供のような笑顔。とても愛らしく、かわいらしく、審神者にとって眩しいものだった。よく呆れたり怒ったりばかりしている山姥切長義の屈託のない笑顔に、審神者はほんの少し視界が滲んだが、思い切り笑顔で応えるのだった。
 いつかに審神者が山姥切国広から「あんたはきっと、本歌を気に入るだろう」と言われたことがある。そのとき審神者はその言葉の意味がよく分からず、ただただ山姥切長義と会える日を楽しみにするだけだった。だが、実際山姥切長義を目の前にしたその瞬間、審神者は自分でも気付かぬうちに呟いていたのだ。「ああ、本当だ」と。突然意味不明な言葉を呟かれた山姥切長義は面食らったためよく覚えているが、審神者にその記憶はない。何事もなかったように審神者が挨拶をはじめたことも山姥切長義の記憶には色濃く残っている。言葉の意味を問うことはしなかったが、山姥切長義の中では不思議な記憶の一つとして残っていた。ただ、その言葉は恐らく良い意味だったのだろうと思うと、山姥切長義はたまならく誇らしくて、いくらでも桜の花びらを散らしてしまうのだった。

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